大学時代に授業で聞いたことで、今でも印象に残っていることがあります。社会学の科目で、その期のテーマは「未来予測」でした。
そこで「未来予測が当たらない最大の理由は、予測者が未来にたいして“こだわり”を持っているからだ。人は“こだわり”があると考えが偏向し、中立的な予測ができなくなる」と学んだのです。
考えてみれば当然のことです。
巨人の熱烈なファンには、今年、野球でどこが優勝するか正しく予測できません。巨人に勝ってほしいという“こだわり”のため、客観的な戦力判断ができなくなるからです。
同じように「親には自分の子供の実力が客観的に判断できない」こともよくありますよね。
しかも、実は自分が直接関係しなくても“こだわり”が出てしまう場合もあります。
たとえば、「株式投資をしていない人なら株価が予測できるか?」というと、そうでもありません。
というのも、株式投資をやっていない人でも「他の人が株式投資で大きく儲けたら悔しい」と考える人もいます。するとどうしても「株価なんて下がればいいのだ!」という“こだわり”ができてしまい、本人は投資をしていないのに予測は偏向してしまうのです。
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さて皆さん、一番“こだわり”があるものは何ですか?
普通は「自分」か「自分の会社」、そして「子供」や「家族」ですよね。
この意味するところは、「自分にとってすごく大切なものについて、強いこだわりがあるために正しく判断できない」ということです。
これはちょっとしたパラドックスです。
人生には進学、結婚、就職、転職など様々な決断点があります。
そのたびに「こうすべきじゃないか」とか「私はこういう性格だから」と人は真剣に考えます。時間をかけ、情報を集めて分析し、慎重に判断しようとする。
でも間違ってしまうんです。
なぜなら自分は自分の人生に強いこだわりがあるため、客観的な判断ができないから。
言い換えれば、自分の人生を自分で選択するのは、わざわざ“オレは巨人の大ファンだ!”という人を呼んできて、来年の優勝チームはどこだと思いますか?と聞くのと同じくらい馬鹿げた方法だというわけです。
そこで私は、「なんとか、こだわりを捨てるスキルを身につけられないか」と考えました。
もちろん、自分へのこだわりを完全に捨てるのは無理です。誰でも自分のことがかわいいし、自分の家族は(他人の家族より)大事です。
しかも、こだわりのない人生なんてつまらないですよね。食べ物や着るモノや趣味や、いろんなことにこだわりをもつからこそ人生を楽しめるわけですから。
ただ、何か大事な決断を迫られた時にだけでも「意識的にこだわりを排除して考えるスキル」が習得できれば、自分にとって大事なものについても客観的な予測ができるようになるのではないか、と考えたのです。
そこで練習として「外国人になったつもりで、日本の将来予測をする」ということを試みました。
その際、中国人や韓国人になりきっても日本へのこだわりが残りそうだったので、あまり関係のなさそうな「トルコ人」になったつもりで考えてみようと思いました。
そして、まずは頭の中で「私はトルコ人だ、トルコ人だ」と言い聞かせ・・・すっかりトルコ人のつもりになってから「さて、日本の将来はどうなるか?」と考える。
ということをやってみたのですが・・・無理でした・・・。何の考えも浮かんできませんでした。
このように“こだわり”を持てば持つほど、世の中が見えにくくなるのですが、一方でその“こだわり”を捨てるのはとても難しいことなのです。
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下記は、人生の中で重要な「こだわりの対象」となりうるものを「自分からの距離」によって整理したものです。
距離ゼロ (例:自分の人生へのこだわり)
短距離 (例:自分の子供の人生へのこだわり)
中距離 (例:日本の教育制度についてのこだわり)
長距離 (例:世界平和に関するこだわり)
人がこだわりをもつ領域は年をとれば変化しますが、上記に書いた距離が長くなる方向に変わる人と、短くなる方向に変わる人がいます。
こだわりの対象までの距離が年を経るにつれ長くなるタイプとは、
(1)若い頃「オレは金持ちになりたい!」と起業
↓
(2)そのうち「家族に何不自由のない生活をさせてやる」「オレの息子には最高の教育を!」と仕事に邁進し、
↓
(3)事業が大きくなり安定すると「日本はこのままじゃダメだ!」と感じて積極的に社会問題に関わりをもち始め、
↓
(4)最後は「世界平和に貢献できる人を育てたい」と、留学生やNPOの支援、若手政治家の育成に乗り出す、
というような感じです。
一方で、こだわりの対象までの距離が短くなる人とは、
(1)世界に貢献したい!ビッグなことをやるんだ!という思いとともに若い頃に世界放浪、
↓
(2)帰国後に世界と比べておかしな日本にたいして、「日本の市場を変革する!」と意気込み、関連分野で起業、
↓
(3)そのうち家族ができると「家族こそ自分にとって最も大事なものだと気がついた」と“家族派”に転じ、
↓
(4)晩年は、「永久に死にたくない!」、「オレをずっと大事にしてくれる後継者を、次の社長にしたい」と思い始める・・・
最後は自分のエゴに戻ってしまう人です。
このふたつのパターンを比べても「こだわりが強すぎると失敗する」ことがわかります。
こだわりをもつ対象を遠くにおけばおくほど、そのこだわりの力は分散してしまい、たいした影響力を及ぼすことはできません。しかし、こだわりをもつ対象が身近で小さいものだと、強いこだわりによって細部までコントロールできてしまいます。
たとえば「日本の○○業界を変えるぞ!」と言っていても、業界内の企業やそこで働く人を意のままに動かしたりはできません。
しかし自分の会社なら後継者は自由に選べるし、親であれば子供のキャリア選択には半強制的な影響力をもてるでしょう。
このように、近い狭い範囲のことにこだわりを持ちすぎると、影響力が大きすぎて、間違いが起りやすいのです。
しかもこだわりが強い人はエネルギーに溢れており、元気で頑固で力を持っています。その力が小さなモノに向かうと、ものすごく大きく間違ってしまいます。
したがって、自分が力をもてばもつほど、成功すればするほど、できるだけ遠くにある、広い範囲のことにこだわりの対象を移していくべきなのです。そうすれば、少々のこだわりでは間違いが起ったりはしなくなります。
私は、「大事なものへのこだわりを捨てて考えるスキルが習得できないか?」と考え、失敗しました。
でももうひとつ、失敗を避ける方法があったのです。それは自分のこだわりの対象を、できるだけ自分から遠いところにもっていくという方法です。
自分の人生より家族の人生、家族のことより日本全体のこと、日本だけではなく世界の・・・というようにこだわりの対象を遠くしていけば、自分が少々こだわりをもっても、それらを支配していまうことはできません。
またそれにより、「身近なことへのこだわり」を少しでも小さくできるので、自分にとっての判断が少しでも客観的になりえるのです。
判断を誤らせるもの=「自分の大事なものへの強すぎる思い」なのであれば、自分について、自分の大事なものについても、適度に距離をとれるように、遠いことに“こだわり”をもっていく、というのもひとつの方法なのかもしれません。
ではまた明日。