より若く?

人間の一生に関する「グラフ」って、20代あたりで「ピーク」を打つグラフが多いですよね。

体力とか、脳みそ系の能力とか、ホルモンの量、“お肌の曲がり角”、たいていのものが 20代あたりでピークを打つ山型グラフです。

生まれてからそのピークに向かっていく“登り”の道のりは「成長」と呼ばれます。

そして、ピークから終焉に向けてのラインは「老い」と呼ばれる。

電車の「上り」「下り」みたいなもんですね。ピークポイントという基準点があって、そこへ近づいているか、遠ざかっているか、で呼ばれ方が変わる。


昔はこのピークに向けて、人の気持ちも表現されていた、と思います。

たとえば子供は「早く大人になりたい」と思い、老人は「若返りたい!」と思っていた。

つまり老いも若きもすべての人が、「ピーク・ポイントが一番よい時期である」と考えていたわけです。

ところがコレ、最近はちょっと違うんじゃないかと思えます。

若い人の間に「大人になりたくない」トレンドが出てきてるんじゃないかな。

留学だ留年だ進学だと、できるかぎり働き始める年齢を遅くしたがるし、30歳になっても親と同居するとか、自立を遅らせる道を選ぶ人が多いように思えるのです。

また気持ちについても「ピーク・ポイント」に向かってなくて、できるだけ若いところ、幼いところ、に向いているんじゃないかと。

一方で、中年やシニアとなった人の中で、「今が一番幸せ」と感じる人は増えているように思えます。
団塊世代の大量定年に向けて「60歳から人生謳歌!」みたいな人もいるし、定年後に起業だの夢の実現だのと勇ましい人も多い。

で、その中間にいる人たちはどうかというと、「若作り志望」が甚だしい。

20代みたいなファッションを好む 30代が大量発生しているし、「気持ちは30代!」という 40代がすごい勢いで増殖中。

「ちょい悪オヤジ」とかいうのも、その代表的なコンセプトでないかな。
家庭をもち、ローンを組み、落ち着いていく人生ではなく、いつまでも繁華街でブイブイ言わせていたい、みたいな。


これって、何を意味しているのか?


私には・・・中年やシニア層が、若者のものであったピーク・ポイントに進出、いや、しがみつきはじめてる、と見えるんだよね。

彼らが「自然に任せて老いていく」という道を拒否して、「俺のピークは今だ!」って感じでピーク・ポイントにしがみついてる。

それが故に若い子が、そのピークポイントに憧れが持てなくなってるんじゃないかな。

若者って、中年やらシニア層やらが集まって大騒ぎしているポイントに、わざわざ行きたいとは思わないでしょ。


これからは人口的にも若い人は少なくなる。

だからあんまり、ピーク・ポイントを過ぎた人は若い人の立ち位置に進出しない方が(しがみつかない方が)いいと思うんだよね。

自然に、動物として与えられた普通のラインを、それなりに受け入れて進んでいく、それがたとえ成長ではなく老いと呼ばれるプロセスであっても、そのほうが自然で良いのでは?


たとえば 30代、40代の人は、

(1) 20代向けのファッションに乗り出さない方がいいと思う。ローライズとかレギンスとか・・
(2) あんまし情報に過敏になって、あちこちの「流行りのお店」をはしごしなくていいと思う。
(3) そんな年齢から新しい資格をとるだの大学行くだの勉強しなくていーと思う。


いや別に「成長するな」「年を考えろ!」と言いたいわけではなく。

年齢を重ねること、それに伴い、体の様々な点が劣り始めるということ(肌やら脂肪量やら含めてね)、感情や感覚が愚鈍になり(10代前半のような鋭敏さを失い)、体力も能力も低下する、

そういう“老い”を、もっと自然に受け止めるのは一つの方法ではないか、と思うのよ。


美智子妃殿下って、一回も髪の毛を染めてないでしょ。ずっと白髪のままだよね。

これって、今の時代としては、極めて例外的と思います。

元々すごい美人なのに、もったいない、って思う人も沢山いるよね。なんで染めないんだろうって。

美智子様のあの髪を見るたび、私が感じるのは「人生への潔さ」です。

「私は若い頃にやるべきことは、その時代、その時代にすべてやり尽くして参りましたので」っておっしゃっているように感じる。

「だから、若い時代に、無理して戻りたいともあまり思いません」的な感じ。


「いつまでも若くいること」は、本当にそんなにいいことなのか?


60歳になっても大半の人の髪の毛が「黒い」のは、嘘でしょ?

バカ高い錠剤飲んでまで性交能力を維持する必要がありますかね?

おばさんやおじさんまでがローライズ履いて、黒髪で天寿を全うするのは、どーも奇妙な感じです。



そんではね。

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