キレる中年、危険な老人

移動の途中で読んだ本が読み応えありおもしろかったので、いくつかの主張をご紹介します。引用ではなく、前後の関係がわかりやすい文章に変えています。

20歳未満の強姦検挙者数は、1950年後半〜1970年後半までは、現在の7〜8倍も多かった。当時は泣き寝入りをする被害者が今より多かったと推定される。にもかかわらず、検挙数が現在の7倍以上なのだから、実数では強姦はもっと多かったと推定される。


当時は、AV,裏ビデオを含め強姦や暴力的な性シーンを扱ったメディアはほとんど手に入らなかった。若者は平凡パンチやプレイボーイのグラビアを持ち寄っては親に隠れて見ていた時代である。


その時期の方が、強姦は何倍も多かった。それなのに何故、近年の強姦を初めとする性犯罪が起こるたびに人は、暴力的なメディアやビデオの氾濫をその原因として結びつけるのであろうか?過激なメディアが増え、強姦は激減しているというのが事実なのだというのに。


これ、説得力があるでしょう。こういうのを、事実に基づいた主張というのだね。過激なメディアが氾濫しはじめたからといって、強姦が増えたりはしないのだ。

「性犯罪は、経済的に豊かになって、教育が行き届き、お金で欲求が解消できるようになれば、減少する。」という方が、よほど正しいってことなのです。


★★★


もうひとつ。

1968年に小学校5年生の女児が赤ちゃんをマンホールに投げ入れて殺したという事件があった。朝日新聞は、この女児が7人兄弟であったことをとりあげ「女児の家族では、子供が多いため、日頃から放任されがちだった。女児はしかられて腹いせに赤ちゃんをマンホールに投げ入れた。」と報道している。


貧しく子供の多かった当時は、子供の犯罪はこのように「子供が多すぎて親の愛情が足りないこと」をその原因とする報道が主要なトレンドだった。


今は、裕福になり兄弟の数も少なくなった。同じマスコミが、子供の犯罪にたいして「少子化で兄弟間や人間間のぶつかり合いがなくなり、子供の社会性が育たないことが、身勝手な子供の犯罪を引き起こしている」と報道する。


これも、おもしろいでしょ。子供が多い中で、下の赤ちゃんの世話を任されたお姉ちゃんである女児にも、人間性や社会性やは備わってない。つまり、子供なんてそーゆーもんだということなのだ。社会性がないのだ、人間間の問題をうまく昇華できるようなスキルはないのだ。それが子供の子供たるゆえんだ、ってことでしょう。

ところが世の中には「少子化を、社会性のない子供が増えた原因にしたい!」と考えている人がいる。「生めや育てや」という世代の人にね。

しかし「一人っ子=社会性がない」などということを示すデータはどこにも存在していない。犯罪率と兄弟の有無の関連なんて研究もされていない。(個人的には、殺人犯がひとりっこである可能性はむしろ低い気がしますが。)

普通の人ならともかく「社会」「学者」が「一人っ子は社会性が・・・」云々言うのは変だよね。学者ってそういうこと言うの「気持ち悪っ」って感じるセンスが必要なんじゃないかと思う。


★★★


2005年に秋田の新聞の投書欄に載った明治大学の3年生の投書。

先頃、東京都調布市で53歳の男性が「バイクの音がうるさい」という理由で18歳の少年の首を切った事件が起こった。また北海道でも80歳の夫が「食事のおかずのことで口論となり」妻を殺害した。


しかしこれらのニュースが「キレる中年」や「短絡的で危険な老人達」というように報道されることはなかった。もしも、18歳の若者が「尺八の音がうるさい」という理由で53歳の男性の首を切っていたら、「キレる若者」と報道されたのではないだろうか。食事のおかずのことで妻(母)を殺したのが18歳の子供であったなら、どう報道されたであろうか。


大学3年生で、この視点。すばらしいですよね。


★★★

1948年の毎日新聞にふたつの記事が、同じ面に掲載されています。ひとつは、6段抜きの右上配置の記事。もうひとつが2段で、左の下の方に掲載。


6段抜きの大きい記事は・・・高校野球で、あるチームが、他のチームの投手に「仮病で休んでくれ」と頼み、休んでもらって勝利した、というスキャンダルの記事です。


2段のベタ記事は・・・部活で帰りが遅くなって母親にしかられた15歳の少女が、家族を逆恨みし皆殺しにしようと企て、ヒ素化合物を夕食に混ぜ、結果として体の小さい妹二人が死亡、両親は治療をうけて命はとりとめた、という記事。

この記事の扱いの大きさ。今だったらどうなるだろう?

これも、端的に、今起こっていることを表している。当時は、「子供は社会の攻撃対象ではなかった」ということなのだ。だから最初の記事の方が圧倒的に大きな扱い(6段抜き)を受けていて、二番目の記事は2段だけで下の方にちょこっと掲載されたベタ記事です。今だったらこの事件は社会面のトップ記事になるんじゃないかな。



社会が若者を敵視するようになった理由について、著者は言います。当時は、保守の人は、共産党や朝鮮人やらに対して「アカが!」等々の攻撃の矛先を向けていた。また攻撃されている人達の方も、資本家や政治家を、もしくは日本社会全体を、その敵として厳しく攻撃していた。つまり「大人の中に排斥すべき敵がいた」のです。

しかし今は、大人の中には敵を見いだせないので、代わりに「若者」を敵に見立てているのだと。なぜ「若者」が敵にされてしまったのか。それは、中年や老年の人にとって、「それが一番理解しにくいものだから」であると。

昔は「アカ」こそが「理解できないやつら」だった、と。でも今は「最も理解できないのは若者だ」から、彼らを執拗に攻撃し、問題視し、教育によって矯正すべしなどという話になっているのだ、と。


では、なぜ中年や老年層は若者を理解できないのか?

(1)自分たちの価値観を受け入れないからだ。自分たちは身を粉にして働いてきた。個人の生活を犠牲にして社会のために貢献してきた。それなのに、若者達はその価値観を受け入れず、個人のために生きるという。これを許してなるものかあ〜!!!ってのがひとつ。

もうひとつは、
(2)自分たちには理解できない「喜びや楽しみ」を持っているからだ。「携帯を持ったサル」とか「ゲーム脳の恐ろしさ」というような本が流行るのは、ここから来ている。中年やシニアには、携帯やゲームのおもしろさがわからない。

なのに、携帯やゲームに人生を捧げたような若者がたくさんいる。これは許せない。あいつらは変な奴らだ。あいつらはきっと退化しているのだ。あいつらは、そのうちダメになるぞ!!と、これが2番目の理由。


なるほどね。



だからって感情の赴くまま、いくら若者が気に入らないから、理解できないからって・・・無茶な理屈で若者を攻撃しまくる「キレる中年」「危険な老人」になってはいかんでしょ、みなさん。


というわけで、この本なかなか勉強になりました。

ちきりんも自分と違う生き方をする人に寛容になりたいと思います。働かなくてもパラサイトでも、なんでもいーんではないかと。はい。


ん、ではね。


★★★

↓以上すべて下記の、第二章、内藤朝雄氏の著作部分より。