違いは「ばらつき」

大都市、たとえば東京が他の都道府県と比べられる時によく言及されるのは、その平均値の高さです。平均所得が高いとか進学率が高いなど。また男女とも初婚年齢がかなり高い(遅い)です。

たしかに東京の“平均値”は他よりかなり高い(もしくは低い)場合が多いのですが、ちきりんは“大都市の特徴”は、それらの数字の高さ、低さではなく、寧ろその“バラツキの大きさ”にあると思っています。

たとえば大都市は概して平均所得が高いですが、同時に生活保護率も高いしホームレス数も多いです。平均所得が高いといっても必ずしも「豊かなエリアである」とは言えません。また、高級住宅地と言われる田園調布や成城でさえ、六麓荘(芦屋)に比べれば慎ましやかに見えるおうちが多いですし、東京の高級レストランで食事をする方が、京都の老舗料亭で遊ぶよりはよほどお会計も安心でしょう。

東京は豊か、金持ちのエリアというより、「金持ちも多いが、貧しい人も多い」エリアであり、その特徴は、「ばらつきが大きいこと」という方が正確なのです。


東京のばらつきの大きさ、多様性は、統計のとれる経済的な面だけではなく、様々な面で圧倒的に思えます。優秀な人からクレイジーな人まで、おしゃれな人からダサダサな人まで、24時間働く人から一生働かない人まで幅広く揃っているのが大都市です。

身近なところで言えば、東京で“関西風うどん屋”を探す方が、大阪で“関東風のうどん屋”を見つけるよりは簡単でしょう。関西人の大半は東京のうどんつゆの色を「(濃すぎて)許せない」と言いますが、東京ではどちらを楽しむ人もいます。この許容度の広さ、幅の広さが大都市の特徴であり魅力です。

これは他国でも同じで、NYの多様性、上海のばらつきの大きさは、それぞれの国の他都市とは比較できないレベルに達しているように思えます。

★★★

大都市の多様性の“源泉”は、その構成員が「多彩な場所から集まってきている」ことにあります。“東京は田舎モンの集まり”とよく言われますが、まさにその通りで、これが東京の多様性の源泉です。

反対に地方は「どんどん画一的になる運命」にあります。なぜなら「生まれたそのエリアが大好きな人」だけが、大人になってもそのエリアに残るからです。そうでない人は、より大きな都市に出て行って帰ってきません。こうして、大都市はますます多様性が増す一方で、人口の流出エリアでは「その地域が大好きな人だけ」が残り、年々画一性が高まるのです。


また、一定以上多彩な地方から恒常的に人口流入があると、“画一的なものが形成されない=多様性の排除ができない状態”になります。たとえば関西や名古屋に他地域の出身者が転勤すると、その地域への同化を求める非常に強いプレッシャーがかかります。地元の人とヨソ者の比率に大きな差があるからです。

でも東京では、新しく入ってきた人を“東京諷に染めよう”というプレッシャーをかける人は多くありません。なぜならそもそも周りの人の多くも“つい最近、東京にやってきたばかり”なので、他人にそんなプレッシャーをかけるほどのものを持っていないのです。

というわけで地方はより強固にその地域性を維持し、一方で他者に同化プレッサーをかけない大都市では多様性がそのまま維持され、それがより一層多くの“変わった人”を引きつけることになるのです。

NYなどは米国中だけではなく世界から人が流入するため、極めて多様性が高く、そこで暮らすために英語を話すことさえ必須ではありません。そのためますます世界中から多様な人を呼び込むことになっています。


このバラツキの大きさと、多様なものをそのまま許容する環境が大都市の特徴です。そしておそらく現代の大都市だけではなく、歴史上の大都市、たとえばローマやイスタンブールや西安などでも、同様だったのではないでしょうか。


さて、この「大都市の多様性の高さ」が何を意味するのか?について、もう少し考えてみたいのですが、今日はちょっと時間がないので次回に続く、にさせてください。


そんではね。