人工的な正義への違和感

先日の給食費不払い問題の報道に感じたのと同じような“妙な違和感”があるのが、「あるある」の納豆ダイエットのデータ偽造問題。

関西テレビのトップを辞任させようという動きまででているのだが、なんでこの話が、こんなに大きな問題なのか?というのが、全然理解できないちきりんです。


納豆を食べたら痩せる!と信じていた人なんか本当にいるのか?

あの番組をみて、それを信じたの?

まじ???



って思うんですけどね。そんなこと、皆信じてなかったでしょ。「またまた〜」とか「よくここまで言うね」とか、「こんなデータでそんなこと言えんだろ?」とか、そういう感じだったんではないの?

なんつーか、あの番組自体、「誰もがわかって楽しんでいる八百長」みたいな番組じゃん、もともと。



というわけで、「まじで、あれを信じたんですか?今、関西テレビに怒っている人は」というのが、ちきりんの質問です。

いや、信じるのがアホだとか言ってるんではなくて、なんつーか、みんな「ネタ」的に楽しんでた番組だったのではないの?と思ったんだけど。

たらふく焼き肉食べた後でさ、キムチ追加!とかして、んで、「大丈夫!唐辛子は痩せるんだぜ!」とか言ってる人いるでしょ。あれと同じ気がするんです。まあみんなわかってるんだけど、とりあえず「そーゆーことでいいじゃん」と。

「あるある」で言ってたから納豆でも買ってみるかと。「20分置いてから食べるといいんだよ!」とかうんちく語ってみたりね。ちょっとした家族団欒のネタによさそうだもん。


なんか、それをまるで「私たちは皆、あるあるを信じていたのに、ひどいっ!」って、瞳ウルウル的な抗議をしてるのって、なんなんだと思う。かなり人工的だ。自分の正義感に酔いたい人たちがいる、と思う。あるべきテレビの使命なんてのを、ことさらに強調し、その理想の姿を声高に叫ぶ自分の姿に酔っている人たちがいる。テレビの中にね。てか、テレビの中だけにね。



気象庁がデータを捏造!温暖化は嘘だった!

とか言うなら、怒ればいいけど。



んじゃね。