タクシー業界について

前エントリの続きです。タクシー業界が不思議な動きをするひとつの理由は、「タクシー会社」と「タクシードライバー」の利益構造に違いがあるからでしょう。

タクシー会社は「固定費ビジネス」なので、少しでも多くのタクシーを街に出したい。一方でドライバーは「完全な変動費事業者」=「歩合労働者」なので、そんなに沢山のタクシーが街にでたら商売あがったりになる。タクシー会社とタクシードライバーという供給側のふたつの主体の間に利害対立があるんです。


普通は利害対立は「供給側と需要側」にあります。「より高く売りたい供給側」と「より安く買いたい需要側」ですね。ところが、タクシー業界では「より沢山の車を走らせたい供給側&どこでもタクシーがひらえると便利で嬉しい需要側」と「あんまり多くのタクシーを走らせたくない労働者=ドライバー」という2:1の対立構造になっています。

供給側(タクシー会社)と需要側(客)は「タクシー台数は多い方がいい。」という点で“需給の利害”が一致しちゃってるんで、台数を自由化すると「タクシー台数」が増えます。当然ですよね。企業側と客側の利害が一致してるわけで、当然のことが起こったわけです。

ところが労働者側(ドライバー)は、タクシー台数が多いと一台あたり売上が少なくなって食べていけなくなる。それが今問題になっているわけです。


例でいうと、タクシー会社は「一日4万円売り上げるタクシーが1台」より、「一日1万円売り上げるタクシーが8台」ある方が合計売上が多くなります。

しかもコストが固定費的(=タクシー台数が増えても費用がその割合ほどには上昇しない。通常、一台のタクシーを複数のドライバーが使用するので、車の稼働率が上がるのはタクシー会社にとって嬉しいこと)であれば、利益もこのほうが大きくなる。

だけど、タクシードライバーの給与は売上の3〜4割程度だから、一日1万円の売上では食べていけない、ってことですね。


昨日書いた話ですが、「なぜタクシー業界では、自由化で、サービスがよくなり価格がさがるということが起こらないか」といえば、ビジネス客や都心の“移動の足”としてのタクシーを考えるだけであれば、客の求めるサービスは、
・価格が安いこと
・どこでもすぐつかまること(台数が多いこと)
のふたつであり、この二点においては、上記に書いたように需要&供給側の利害が一致しちゃっているからです。そしてそれは、労働者を犠牲にして達成されています。


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でも本当は、「価格や台数だけが重要」という以外の市場も存在しているんです。例えば都心以外の街や、住宅地、田舎ではタクシーは流しではなく呼び出しなので、必ずしも台数が多い必要はありません。

そしてそういう場所では、たとえば「親がついて行けないけど、子供の塾の送り迎えをしてほしい」とか「お年寄りが病院に行く補助もしてほしい」、「お父さんが忘れた荷物を会社に届けてほしい」など、実はいろんなニーズがあるはずなんです。

ところがこれが実現できません。「タクシーは移動手段だから」「介護」とか「育児補助」とか「郵便的サービス」を勝手に組み合わせてはならん、的な規制がかかるわけです。

介護サービスをやりたいなら、介護事業者認定などそっちの資格もあわせて取得しろ、と言われる。しかもその管轄は厚生労働省だから、国交省としては基本的にそんなことをやりたくない。


いや単に、足下の弱いお年寄りの乗り降りを助けるだけだし、病院の受付まで一緒に歩くだけなんで介護事業者の免許なんて要らないでしょ?と思うし、タクシードライバーだって別に特別料金なんか求めないよ!、、、と言ってみてもだめなんですね。

だってタクシーは国交省、昔の“運輸”省の管轄。そして、介護も育児も郵便配達も、「縦割りされた」別の省庁の管轄ですから。


その他にも、路線バス的なタクシーとか、どこの国でも見かける空港と自宅をつなぐ乗り合いタクシーなど、ニーズの高そうなサービスも「だめ」です。なぜなら、“運輸省”の別の利権団体であるリムジンバス業界とか、空港関連会社と競合しちゃうからです。当然、そういう団体には国交省のOB様が天下りされております。だから彼らの業界の利益はとても大事。

つまり、縦割りで他の他省庁の領域に行くのもだめ、自省内の他グループの利権に影響を与えるのもだめ、というお話。これでは自由化されてもなんの企業努力もできません。


まとめると今起こっているのは・・サービス競争によって付加価値をあげられる市場は「自由化されず規制がかかったまま」に放置され、一方で「価格と台数だけ」が自由化されて大量のタクシーが都心にあふれかえってドライバーが食べていけなくなった、ってことです。

その結果、東京で「値上げ必要論」がでてきた。あまりに馬鹿げてます。


このタクシー業界の事例をもって「自由化はうまく行かない。規制緩和は必ずしも成功しない」などという“資本主義が嫌いな人”がたくさんいますが、それは間違ってます。

自由化や規制緩和が悪いのではなく、あまりに中途半端な自由化により、こんな混乱が引き起こされた、ということなんです。“運輸以外”のニーズのあるサービスを自由化できていたら、台数競争にも価格競争にならなかったのですよ。

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この話にはもうひとつおもしろい面があります。普通は役所ってのは、業者のことだけを考えるんです。つまりここでは「タクシー会社のこと」を考えるもんなんです。労働者なんてどーでもいいはず。なのに
なぜ今回は、「労働者のための値上げ」などという案を出してきたか?

そこには「建設省」と「運輸省」が一緒になった「国土交通省」の性格が関係しています。


ご存じのように、日本の失業率はどんな不況の時でも10%になんてなりません。相当の不況でも、3%が5%になりました、という程度にしか上昇しないですよね。なぜなら、不況になると公共事業という形で補正予算が組まれ、その資金を元に、元建設省が管轄していた「土建業」が失業者を引き受けていたからです。

しかし、公共事業費は小泉政権下で相当の減額となった。さらに建設省は名前を消した。

でも、誰かが失業者の受け皿にならなくちゃなりません。失業率を10%にすることはできません。なぜなら、そんなことにしたら自民党が政権を失うから。官僚もそれだけは避けたい。

そこで、元建設省と一緒になった運輸省側の「タクシー業界」がそれを引き受けたわけです。


リストラされた多くの人が(昔は土建業に向かっていたけど今は)タクシードライバーになります。「タクシーの台数自由化」の目的のひとつは、失業者を引き受けてくれる市場を作ることでもあったのです。だってその頃、公共事業でダムを造る仕事はもうない=有権者が許さなくなった、からなのです。


というわけで、どれもこれも予想されたことなんです。彼らは最初から「自由化してサービスがよくなる」なんて期待していませんでした。だからサービス向上の道を閉ざしたまま台数だけ自由化した。台数を自由化して、失業者にタクシードライバーという仕事を与えたかっただけだから、それで十分なのです。

でも、予想してないことも起こりました。あまりにも失業者が多すぎて、あまりにもタクシーの台数が増えすぎて、給与が下がりすぎた。だから今度は「給与をあげましょう」という話になってます。


・・・やめてよね。

★★★

ところで、これら一連の話の中に、消費者、客、の視線は全く出てきません。客が何を求めているか、という議論はゼロです。だって、国交省が規制をゆるめたり厳しくしたりする理由は、

「サービス業としてまともな言葉使いをするタクシーを増やす」ことでもなく、「消費者によりよいサービスを提供する業界をつくる」ことでもないから、これも当然と言えば当然なのでしょうか?


じゃね。