労組って必要なんだけどね。

時代が変わることで不要になるものがあります。反対に、時代の変化に伴い新たに必要になるものもあります。

組織や団体や企業が、時代の変化にあわせてきちんとその役割を変化させていれば、時代が変わっても組織の価値は失せません。

けれど「今までやってきたことを一切変えたくない」というのであれば、組織自体の存在意義が問われることになります。


たとえば「今や、官が民を率いる時代ではない」などと言われ、官の縮小、権限削減=規制緩和が叫ばれることが多くなりました。

しかし実際には、規制緩和があれば官の役割はそれまで以上に重要になります。

規制緩和の成功のためには、違法行為の監視とセーフティネットの提供が不可欠ですが、ふたつとも民間では提供しにくい役割です。

規制緩和と同時に官組織を小さくしてしまうと悪徳業者がはびこり、市場からはじかれた人が路頭に迷ってしまいます。

必要なことは「規制を廃止」し、今まで規制を作っていた人の仕事を「市場の監視と、セーフティネットの提供」という仕事に割り振りなおすことなのです。

そしてもしも役所が従来の仕事にしがみつき、積極的に新しい役割を担おうとしないなら「そんな役所はもう要らない」という話になってしまいます。


過去において農水省の役割は「小作農と農業を守る」ことだったのでしょう。

その役割のままなら産業規模の割合や従事人口が少なくなった今では、昔のような人数や予算は不要です。

けれど「食の安全を守る」のが仕事だと再定義すれば、その役割は昔より重要なはず。

昔と違って今は世界中から食べ物が輸入されるし、遺伝子組み換えなど新技術もでてきています。

また同じ食品でも、産地などブランドによって大きく異なる価格がつけられる時代、表示の真偽や安全性など、市場の監視機能の重要性は昔より格段に高まっています。


それなのに新たな役割を果たすどころか従来の役割に固執し、

「守っているのは食の安全ではなく、米の高値と、農業票をとりまとめてくれる農協と、農水省という組織である!」

かのような振る舞いを続けていては、なんのための役所なのか?という話になってしまいます


★★★


労働組合も時代に応じた役割転換ができていないがために、存在意義が疑われている代表的な組織でしょう。

労組の組織率はどこでも大きく下がっています。

しかしながら、昔と比べて労組の必要性が小さくなったわけではありません。むしろ昔より今の方が重要なはずです。

90年までは日本は経済成長していました。ところが今は縮小市場もたくさんあります。

労使間での成果の配分を巡る交渉は、パイ全体が大きくなっていた昔より今の方が熾烈なはずであり、こういう低成長時代こそ労組の存在価値は高いはずです。

にも関わらず一般の労働者の中では、労組の存在を昔ほど強く支持する人はいません。

それは労組(の幹部)が、自分達の役割を時代に応じて変化させることを拒み、相変わらず 50年前と同じ活動を続けているからです。


たとえば、彼らは未だに労使問題とは関係の薄い政治問題に関わり続けています。

契約途中で雇い止めにあったり、法律で加入義務がある社会保険に未加入のまま働かされるなど、ぎりぎりのところまで虐げられている労働者にとって、

労組の掲げる「憲法改正 絶対反対!」というスローガンが自分達の生活改善につながるとは、なかなか理解しがたいでしょう。


また、彼らは未だに正社員以外の労働者を、自分達と対等な仲間とは認識していません。

一部その利益を擁護しようという動きもありますが、あくまで周辺的な活動にすぎません。


加えて労組は、いまや経営者よりも相当に“時代遅れ”です。

たとえば彼らは未だに「男性が外で働き、女性は家で家事と育児を担当する」という概念から抜け出せていません。

このため、「育児休暇はもちろん有給休暇さえ満足にとらず、辞令一本で単身赴任も厭わない」という男性の働き方改善には全くもって消極的で、交渉といえば賃金、賞与のことばかりです。


労組が時代から取り残されているひとつの要因は、彼らが経営者サイドに比べて圧倒的に国内志向で、世界の動きを知らないからでしょう。

女性の活用方法、多様性を尊重することの意義、非正規雇用労働者の増加への対応方法や、大組織のガバナンスの在り方など、経営者側は世界の先進的、戦略的な動きを常に目にしています。


なのに労組は、リーマンショック直後にまで賃上げ要求をし、経営者側からも労働者側からも嘲笑されるなど、あまりにも思考停止です。

人事政策に関しても、経営者側が世界中の従業員の採用や育成、そして報酬のあり方を考えているのに対し、労組は日本で採用された日本人正社員だけの制度や報酬について考えています。

だって労組の幹部には、そういう人しかいないのですから。

でもこれではいつまでも、日本だけで通用する理屈を振り回すことになるでしょう。


反対にいえば、労組がもしも、

(1) 政治団体ではなく、労働者の権利保護団体であることを明確にし、
(2) 最も搾取されている労働者層を支持基盤とし、、
(3) 時代遅れの働き方ではなく、新しい世代が求めるライフスタイルを理解・支持して経営陣に要求し、
(4) 視野を世界に広め、戦略的な動き方を学べば、


労組の存在意義を感じる人は、その昔彼らが隆盛を誇った時よりも多くなるはずです。

時代の要請に応じて使命を定義しなおせば生き残れる組織も、過去から続く行動や考え方を頑なに変えたくないというのなら、

「存在意義自体が不明」という時代の審判を受ける日が遠からずやってきてしまうことでしょう。



そんじゃーね。


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