“当然に与えられているもの”の価値

相変わらず選挙における若い人の投票率は非常に低いのですが、これは、選挙を権利とみるか義務とみるかの違いでしょう。「勝ち取ったもの」は権利だけど、「もともと持っているもの」は義務的に見える。

シニア層の投票率が高いのは、年をとると政治に期待するからでも市民意識がでてくるからでもないと思う。彼らが若い頃には一般人が投票する権利はなかった、という記憶がまだ残っているからじゃないかな。

日本が完全に普通選挙になったのは1945年の戦後以降。それまでは名士や金持ちだけ、男性だけが投票できたり、軍部が政治を左右していたり。だから今のシニア層には子供の頃の記憶だったり、親の体験談だったりで、まだそういう時代の記憶がある。なので「二十歳になれば、貧乏でも平民でもコネがなくても選挙に行ける!」というのがすごく嬉しいのよね。今だって、もし「総理大臣が直接選挙で選べる!」ってなれば、投票率は高くなるでしょ。


一方のちきりんくらいから後は、選挙権がない時代なんて想像できず、したがって、それを「貴重な権利」と感じられない。反対に選挙に行け!と言われると「面倒な義務」に見えてしまう。

なお、ちきりんは「投票したい人がいないから行かない」と言う意見とか、「投票しないのも一つの意思表明」という意見は、完全なる詭弁だと思っており、議論に値しないと思っている。

年代別の投票率が低いと、候補者から「あの世代はどうでもいい世代」だと思われてしまう。「自分の世代の投票率を上げる」ことはすごく重要なことなのよ。20代で選挙に行かない人のために、20代全体が「政治的に意味のない世代」と見られてしまっているんだから。


ついでに言えば、こんなIT化の時代まで、あんな場所に物理的にわざわざ呼びつけ、しかも何の本人確認もせずに投票させるやり方を続けているのは、行政と政治の怠慢以外の何ものでもない。

これは今まで「投票率が低いほど有利であった自民党」がずっと政権をとっていたので、意図的に何の手も打たれなかったわけです。民主党がほんとにアホだと思うのは、政権交代に最も効果があるのは、「一票の格差の解消」と「ネット投票の実現」であることに全然気が付かないことだよね。

★★★

「生まれた時から誰でも投票できるから、選挙権を貴重な権利と思わない」という構造は、他でも見られる。

子供の頃、自然がごくごく当たり前に家の周りにあったシニア世代が、(自然のありがたさを感じられないがために)山を切り崩して住宅地を作り、日本橋の上に高速道路を引いて、日本の自然を壊してしまった。

その後、コンクリの校庭で育った世代が「放っておいたら自然がなくなってしまう!」という危機感をもち、自然保護に力を入れる。

人は苦労なく手に入るものの価値には気がつかない。反対に、苦労して手に入れたものは、客観的な価値以上に貴重に思える。



あなたにとって大事なものはなに?
それがあなたにとって大事である理由は、それが「自然と与えられたものではない」という理由によるものなのかもしれない。


そんなもんです。大事かどうかなんて。
実際に失わないと、何が大事なのか、わからないのかも。

こんなブログで言いたいことを好き勝手に書き連ねているちきりんにも、「こんなことを書いていたも、いきなり警察やら公安が踏み込んできたりしない時代」のありがたみは、なかなかわからない。誰でも選挙に行ける民主主義がありがたいなんて、考えたこともないです。


結局そーゆーこと。


そんじゃーね。