引退とは

二十数年前に欧米を旅行した時、日本と大きく違うと思ったのが、シニア層の姿でした。当時の日本では“年をとる”ことは、間違いなく“ネガティブなこと”でした。みすぼらしくなっていくこと。元気がなくなっていくこと。楽しくない人生になっていくこと。

でも、当時の欧米では、若者は日本と同じように見えましたが、シニア層は“全然違う”ように見えたのです。昨日も書いたけど、まずは服装が派手で明るい。もちろん生物としてみればシワもあるし髪も白かったり無かったりするわけですが、老夫婦がカフェで談笑しながらお茶やディナーをしている様子は、当時ちきりんが持っていた“老いる”というイメージとはほど遠いものでした。

あちこちで“ゆったりとした時間を過ごしている”のは、ほとんどがシニア層です。引退しないと、平日の昼間から公園や美術館で過ごしていたり、ボートに乗っていたりはできないので当たり前なのですが。


そして、旅の途中でこういう人達とも話していると、「引退」ということに関する感覚が全く違うのだと気がつきました。日本では「働くのを辞める」というのは、「若い者に働く場所を譲る」ということです。つまり、「働く場所」は貴重でありがたいもので、その場所から「出ていくこと」が引退であり、年をとることだという感じでした。

ところが、向こうでは「引退できる」というのは特権や希望として捉えられているようでした。若い間は「働かざるを得ない」「引退なんかできない」けれど、年を取ると「ようやく引退できる」という感じ。そこには、「働く場所が貴重であり、働くことは、働かないことよりすばらしい」という感覚はありません。


日本も将来こうなるのかしら???

と思いました。日本でも将来、皆が「早く引退したい!」というようになるのだろうか。半信半疑でした。

ちなみに、ちきりんの早期引退願望は明らかに上記の経験から来ています。当時、老若何女の別なく様々な人と話すなかで、ちきりんも「働くのも楽しいが、早期引退できるならそれにこしたことはない」と思うようになり、さらに一歩進んで最近は「早期引退にはすごいメリットがある」と考え始めました。

でも、ちきりんはそう思うようになったけど、日本全体がそういう傾向になっていく気配は全然見えません。定年を迎えた人の多くが再就職するし、それどころか今後は定年自体が65才に引き上げられるそうです。年金支払いが65歳からになったのが理由だと思いますが、でも欧米に較べても日本の退職金、年金制度は決して悪くないと思います。

でも日本では、定年を迎えた時に「これからは生活レベルを押さえてすごそう」と思うのではなく、「生活レベルは今まで通りですごしたいので、再就職しよう」と考えるんですよね。

「もう引退したのだから、家に住む息子からは市場価格と同じ家賃を取ろう」とは考えない。自分が再就職してでも、自宅に住んでる息子からは3万円しかとらないんですよね。

この背景には「働けることは、若いということであり、ありがたいことである」という感覚があると思うのです。反対に言えば、引退する、隠居するというのは、老いることであり、ネガティブなことである、という考えがあるということです。

★★★

ちなみに、この「できるだけ早く引退したい」というのは、欧州の方が若干強いけど、アメリカも大勢においてそうです。ビルゲイツだって40歳で引退したがっていたけど、会社から離れられなくて10年遅れた。それでも50歳でトップの座は退いています。

「なんのための人生ぞ」ということに占める「働くこと」の割合がこんなに高い国は本当に少ない。日本人は「働くこと」にものすごく重要な意味を与えていると思います。

なんで?


これを、文化的に後進性のため、という理由で片づけてしまうのは簡単なことで、最初はちきりんもそういう仮説を持っていたのだけど、最近はさすがにちがう、と思い始めました。

理由が文化的な後進性であるなら、ゆっくりでもそういう方向に進むはずなんですが、日本は全くそうなってはいない。寧ろシニア層はますます社会的に活動的になりつつあります。それは特に、団塊世代大量引退の時代を迎えてこれが明確になりました。

ちきりんは少し前のエントリで、嘲笑的に書きました。「都知事選なんて被選挙権も選挙権も70才以上に限定してはどうか?」と。余りに候補者の年齢が高いのであほらしくなって書いたエントリです。でもあのあたりから、具体的なイメージが涌いてきた。


この国って、年取った人が早期引退を望む国ではなく、パワーシニアの国になるのかも?というイメージです。やる気と体力とスキルのすべてを持ったシニア層が率いる国、ニッポン。


もちろん一部の人は欧米的シニアになり、早期引退を望むでしょう。でも、大勢はそうならない。大勢は60才から80才の間の20年間にこそ、社会へのインパクトを発揮する。20年って長いですからね、相当のことができる。

政治も経営や経済も社会でも。若者は引きこもり、働きすぎて精神を病み、もしくは稼ぐ力のないままにNPOで環境問題に取り組む。その横で、パワーシニア層が、政治家として立候補し、経営者として采配をふるい、コミュニティリーダーとして地域を支える。

そういう国です。

そしてこれは結構おもしろいモデルになる、とちきりんは思っているです。


んじゃね!