時代を創ろうとした男

小沢さんの辞任に関して「とほりすがり」さんから頂いたコメント、「自民党分割による二大政党」ってのは「自民党内の派閥」とどう違うのか?というご質問。忘れないうちに、ちきりんの考え方を書いておきます。


ちきりん的には・・・一言で言えば「同じです」。ただ「時代性」のために形を変えているのだと、思うのです。

戦後、軍事独裁が崩壊し、民主ニッポンが建設された後、ご存じのように世界は左と右の対立構造に入ります。日本はアメリカの保護の下、「左にならないように」努力を重ねるわけですが、この時に「保守大合同」が起こります。

自由党と民主党が合体して自由民主党ができ、他の小さな保守政党も全部そこに結集する、そして革新勢力である社会党・共産党と戦うという構図、よく言われる“55年体制”ができるわけですね。

この「保守大合同」自体が、そもそも不自然だったのです。資本主義と天皇制(実権の有無はともかく)を是とする複数の保守政党が存在するのはごく普通だし、実際そうだったのに、「保守が複数に分かれていると、革新勢力との戦いに勝てない!」という判断があり、多種多様な政党が「一応保守なんだったら、とりあえず全部一緒になろうぜ」という極めて現実的な選択が行われたのが1955年というわけです。

つまり「とにかく俺たちは革新勢力ではない。革命も天皇制廃止も求めてない!」という部分だけが共通点で、その他の考えは全然違った人たちが「寄せ集まった」のが自民党なのです。

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これ中国も同じことがありました。中国共産党と、中国国民党(資本主義の中国を支持)と日本軍(中国を占領・支配)の3つが戦っていた時、中国人側はふたつのチョイスに迫られる。

まずは中国共産党と、中国国民党+日本という戦い。共産主義でいくのか資本主義でいくのか。ふたつめのチョイスが中国共産党+中国国民党と、日本という戦い。民族の自立をまずは獲得し、共産主義か資本主義かは、その後で決めようぜ、という考えですね。

後者が「国共合作」という考え方で、まずは中国人は一丸となって日本を打倒しよう!とか考えるわけで、でも中国側の中身は呉越同舟もいいところ、というわけです。

まあ、今の民主党も同じ。自民党をやっつけるために右翼も左翼も民主党、です。

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そういうわけで長らく自民党は「革新勢力と戦うために」「唯一の保守政党」としてやってきたわけですが、日本が高度成長を成し遂げ、世界的にも共産国が力を失っていくにつれて、自民党の中に「派閥抗争」が顕在化してくるわけです。

これは自然な流れです。実質的に「外の敵」がいなくなる。そうすると、そもそも考えの違う人が集まっている団体なんだから、次は当然「中の敵」の間で権力争いが行われるようになるってことです。
それが派閥抗争。派閥が最も力を持っていたのは、田中派、福田派等々自民党の五大派閥と言われた時代ですが、この時代は派閥の長は全員、首相経験者であり、実質的には「自民党の中での政権交代」的な意味合いがあったと思います。つまり派閥は、それ自体が「疑似政党」的であったのです。

そしていよいよ1989年にベルリンの壁崩壊、その後の数年で革新勢力は名実ともに姿を消します。このタイミングで小沢さんは、「外の敵が消滅したのだから、違う考えの奴が同じ団体にいる必要はない。今度は保守の中での複数政党の時代」と決断したわけでしょう。その判断は歴史タイミング的に極めて妥当なものだったと思います。

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さて、派閥ではなくなぜ政党を分離する必要があるか、という点なのですが、最大の違いは「キングメーカーは誰か?」ということです。これは、派閥が「疑似政党」の時代を経て、単なる人材派遣団体化したところから始まります。「派閥が争って総理総裁が決まる=疑似政権交代」という絵柄とは異なる状況になってきたのです。

5大派閥はそれぞれヘッドを総理総裁にしましたが、その後、派閥のドンがそれぞれ次世代に引き継がれた後は、派閥のドンも本来の意味でのドンではなく、単なる“グループ管理者”に堕していきます。そして自民党の総裁は必ずしも「一番エライ人」ではない時代がやってきます。

皆さん、何人も「かなり情けない感じの」総理総裁を知ってますよね?彼らは自力で総理総裁になったわけではなく、派閥力学の中で、いわゆる“キングメーカー“と言われる実力者が、「次の首相はあいつにしよう」みたいな感じで決めていたわけです。海部さんとか宇野さんとか小渕さんとかね。別に彼らに総理総裁の実力があったわけではありません。

つまり、この段階に入って、自民党の中の派閥は必ずしも疑似政党的な、総理総裁を擁する実力団体ではなく、単に「キングメーカーが仕事がやりやすいように、総理総裁を含む閣僚ポストをスムーズに提供するための、人材派遣会社」的なる組織になっていました。

キングメーカーから「次はおまえのところは通産大臣だ」と言われると、「はい、じゃあ○○君ね」みたいな感じ。イチイチ依頼があってから検討しなくても、派閥の中で人材リストを当選回数と資金集客力で整理してあるから、すぐに対応できる。

派閥の性格変化とともに、疑似でさえ、政権交代がなくなってしまったのです。

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こうなると、実質的な権力抗争は派閥抗争ではなく、誰がキングメーカーなのか?ということになります。キングメーカーになれる条件は唯一、金、です。金があれば選挙支援ができ、派閥議員数を増やし、ひいてはポストが手に入ります。誰が金を握るのか?

さて思い出しましょう。現在は、政党には税金から活動費が支給されています。しかし、この法律は当時は存在しませんでした。じゃあ、政党はどこからお金を得ていたのか?

いわゆる献金ですね。これはもちろん公の、企業献金(経団連等がやっている)もありますが、大きいのは「癒着による裏献金」です。そう、土建会社から、防衛機器納入会社から、規制を維持して欲しい金融企業から、危ない薬を売り続けて欲しい製薬会社から・・・・の献金です。

こういう「裏の仕事」が巧い人がキングメーカーとなっていく、のです。たいていは「自民党の幹事長」という立場で。幹事長はこれらの金を一手に握り、派閥に資金を配分し、ひいてはポストも配分していく、まさに「新の実力者」です。

そして、ここがおもしろいところなのですが、小沢さんは「自民党の最若手の幹事長であり、キングメーカー」であった人なのです。

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さて、整理しましょう。「呉越同舟状態の自民党の中で、実質的な権力者である幹事長、キングメーカーという立場にいた小沢さんが、なんでわざわざ“政党内政権交代”ではなく、“複数保守政党制”を目ざしたのか」というところが、この時点で残っている論点です。

ここからは諸説あるかなあと思います。ちきりんも確信があるわけではない。しかし敢えて推測してみればこんな感じ。


(1)より高い自由度を求めた。
派閥ではなく、複数政党の争いになれば、勝った人はより高い自由度、権限が手に入ります。党内抗争では、勝った派閥も(キングメーカーも)、党内にそれなりの配慮が必要です。バランスが常に必要で、閣僚を全部自分の部下、にするわけにはいきません。集めたお金も、自分の子分に厚く配分することは可能ですが、全部ぶんどるわけにはいきません。

よくいわれるように首相をだしたら、党三役は他派閥に譲るとかね、そういうことが必要です。極端に言えば、“さすがの小沢さんも幹事長をやりながら首相をやることはできない”とも言える。

一方で複数政党に分かれてこの戦いをやれば、勝った方は閣僚ポストも資金も丸取りです。勝てる自信があるなら、政党を分離した方が得かもしれない。これが考えられるひとつの動機です。


(2)抗争の外部化を求めた。
ご存じのようにキングメーカーの争い、その手の上での派閥の争いは、国民の審判を全く受けない「インナーサークル」での戦いです。一方で政党と政党の戦いなら選挙という形で、国民の支持を直接取り合う形での争いになります。

その方が、幹事長として、キングメーカーとしての地位を維持するよりも「やりやすい」と考えた可能性があります。たとえば、小泉さんなんかはこれにより政権を取りました。政党の中での勝負より、国民の前での勝負の方が有利な自分、を意識していたからです。

ちきりんは、小沢さんも、そういう自信があったのではないか?と思っています。非常に若くして幹事長に上り詰め、理論的にも政治先見性にも自信があった彼が、“実力も人気も兼ね備えた自分には”審判を国民にゆだねた方が得、と思った可能性は十分あるかな、と思います。


(3)次の時代を創ろうとした。
上記に書いてきたように、「複数保守政党が存在する世界」は、共産勢力が死滅した以降は「歴史の必然」です。考え方も性格も違う人たちが「資本主義支持です」だけで同じ政党の中にいる、というのは、正常な状態ではなかった。

政党の活動資金も同じです。法律で国からある程度支給されるようになった。国民に犠牲をしいてまで企業から裏献金を集めるという方法論が、時代的に終焉に向かう、ということも感じていたかもしれない。

また70才でようやく、ではなく、40代で幹事長という最高権限ポストを手に入れた小沢氏には、より高い目標が必要であり、そのひとつとして、次の時代の体制を自分が創ろうという野心もあったのではないか?とも思えます。

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こうみるとね、(1)も(2)も(3)も同じ。その裏にあるのは、この若くして権力抗争のトップに上り詰めた男の、圧倒的な自信と傲りなんじゃないかな、と、ちきりんは思うです。

彼はこんな負け戦をするつもりは全然なかったと思う。65才になった時に、ボケた大勘違いおじさん(野球界と新聞界を崩壊させようとしている老害おじさん)にたきつけられて、こんなみっともないことをする自分になっていようとは、当時は全く想像していなかったと思う。

彼は、明日の日本の政治体制をリードする、歴史に名を残すリーダーであったはずなのに。


民主党は嫌いだけど、小沢さんにはそれなりの理解をする。そういう人が(ちきりん含め)一定数いるってのは、あのコロの小沢さんの、若さと、先見性を含めた能力と、リスクテークした行動に、一定のリスぺクトを感じるからじゃないかなと。そう思うです。


民主党も嫌いだけど、こうみれば、保守二大政党への歴史の道のりを、私たちは紆余曲折しつつも進んでいる、とも言える。私は傍観者にすぎないが、小沢さんは主役になろうとした。それはやっぱりすばらしい。政治家としてあるべき姿だろう。




と、そういうことで。


ではでは