ちきりんの小学生時代

古いファイルの整理をしていたら、小学校から高校までの通知票を見つけました。ちきりんは一体どんな小学生だったのか、通知表で振り返ってみましょう!


★★★


1年生の通知票、何も書いてないですね。なんでもかんでも「よくできました」みたいな感じで、たいした情報はありません。2年生へGO!


★★★


2年生から5段階評価が始まっているのですが、1学期、2学期、3学期と「3学期続けて全部(5段階評価のうち最高位の)5」だったのは、音楽と図画工作だけ。


えっ?


あたしって優等生じゃなかったの?


クラスでの役割は、1学期=班長、2学期=給食係、3学期=給食係。
音楽と図画工作と給食係・・・これが小学校2年生の私です。


★★★


3年生

1〜3学期まで通して“5”なのは、またもや音楽と図画工作


なんだよ、これ?


私って芸術系の人だったんですね。神童とか呼ばれてたんじゃないかと妄想してましたが記憶違いでした。

係は相変わらず給食係と、シール係。ずいぶん給食係ばっかりやってますね。


3年生になると先生のコメントがあって、これがおもしろい。

一学期のコメント:知識・理解力あり、まじめで熱心なお子さんです。発表を好まず、自分から話すことはほとんどありませんので、その点は努力してほしい。


二学期:熱心に学習し努力もしているようだが、活気がない。友達とはよく話しているが発表はあまりない。図画工作においては創意工夫があってよい。


三学期:判断力、理解力をもっているのに、強力にそれを押し出せない性格的なものを感じます。


話さない、授業中に手をあげて発言しない、活気がない、とのことですが、私は「授業で手を挙げて答える」ことの意義がどうしても理解できず、困ってました。

これぐらいの学年だと、先生が問題を出して「分かる人、手を挙げて!」とか言うと、結構な人数が元気よく「ハイハイハイ!!!」って手を挙げるのよね。

私には、これが意味不明で。


「回答したい子がこんなにたくさんいるんだから、私がわざわざ手を挙げる必要性はあるまい」と考えてました。

未だによくわかんないです。なんで全員が手を挙げる意味があるんだろう? 

だって別に自分の意見を言うとかじゃないんですよ。「4×4が分かる人?」とかいう質問ですよ。全員で手を挙げる必要がどこにある?


超シュールな小学3年生、ちきりん嬢


★★★


そんな私も無事に4年生。

これもひとえに、家から小学校までが4秒しかかからなかったおかげでしょう。(小学校の通用門と、ちきりんの家の玄関距離)

これって登校拒否とかいう概念が存在し得ない距離です。「ちきりんの家どこ?」「体育用具置き場の隣」みたいな。



3学期続けて5の科目。


なし


も お い い。
勉強ができなくても明るい良い子なら!


コメントは、

一学期:テストのみに力を注いでいるように感じる。学習時、学習の輪に入り自分の存在をはっきりさせるような学習ぶりになった時、成績もあがってくることでしょう。

勉強ができなくても・・明るい良い子・・・なら・・?


この先生は、初めて担任になった先生で、一学期が終わった時、ちきりんにたいして相当むかついて(いらっしゃい)ました。

私が学期中、全く、一切、絶対、手を挙げないからです。

すごく反抗的に見えたのでしょう。でもテストの成績だけはいい。

なので「この子は、テストさえ良い点をとっておけばそれでいいんでしょ、という態度だ」と書かれた。


先生としては、「いくらテストの点が良くても、そんな子に私は教師として“5”はつけません」ということだったのでしょう。

そのメッセージ(というか、この先生の意思)は、私にも明確に伝わりました。


で、2学期は何回か手を挙げた。その結果がコレ・・・

二学期:グループ学習等を通し、以前より活気のある生き生きしたものを感じられるようになりました。


負けた気分だったよ。

権力に。


三学期はこんな感じ

三学期:教科全般、着実に進められています。復習プラス予習が大事ですが、後者に力を入れてみてはどうかと考えます。


これを読んだ父のセリフが、「まだ小学生なのに予習だの復習だのが必要やなんて、おまえ相当、アタマ悪いな。ママに似たんやな」

母と父のどちらに似たかは別として、小学校4年生で「復讐に力を入れましょう」などと書かれるのだから、あたしは優等生なんかではなかった(少なくとも、神童とか超優秀というレベルではまったくなかった)ってことだと思います。


★★★


5年生。1〜3学期まで全部5の科目は、
国語
算数
社会
理科
音楽
家庭科


ついに、才能開花!!!!


いったい何が起こったのかよくわからないのですが、主要科目すべてで年間通して最高評価をもらってます。このあたりでメガネをかけはじめたので、黒板が見えるようになったのかもしれません。(まじ?)


ちなみにこの学年(5年生)から「読書クラブ」に入ったみたいです。

コメント(4年の時とは違う先生)

一学期:全教科成績優秀。まじめで熱心によく努力しました。2学期も今の研究的・意欲的な態度で大いに頑張ってくださいね。


二学期:算数によく努力しました。読書をよくしました。音楽もよく頑張りました。理科も頑張りました。


三学期:大変よく頑張りました。全教科成績優秀。読書クラブでよく活躍しました。作文、文章表現力が一段とよくなりました。


研究的態度という言葉を見る限り、相変わらずあんまり積極的に“挙手”してなかったようですが、わりと「褒める」傾向の強い先生で助かりました。

二学期のコメントはちょっと手抜きな感じですが、三学期の「文章表現力」は、今のブログに生きてますね。


★★★


6年生。

3学期通して5をもらったのは、国語、算数、社会、理科、家庭科


図画工作に続き、音楽も脱落。芸術家への道を断念?


コメント

一学期:よく本を読みました。感心しています。読書によって広い知識と豊かな心が養えることはとてもいいことです。
言葉や文章による表現に、とてもいいひらめきや、筋道だった考えがみられることがよくあります。

今のブログに活かされている能力の開花が見えますねー!

二学期:先生は「ゆとり」と「よゆう」という言葉が好きです。2学期のちきりんさんにはこの「ゆとり」があったように思います。ゆとりのある人こそ、将来大きく伸びられるものです。

たしかに、ゆとりと余裕の有りすぎる大人になりましたよ。ちょっとマズイくらいに。


それにしても2年前には「予習と復習をやれ!」と言われていたのに比べれば大進歩です。

この頃、私は学んだんだと思う。

自分がすべきと思うことだけ(例えばテストで良い点とるとか)をやっててもだめなんだな。「評価者である先生が望むことをやってあげないと、評価されないんだな」って。


先生の中には、自分が「分かる人、手を挙げて!」と言った時に、「クラス全員が元気にハイハイ!と連呼して手を挙げる図」というのが快感であり、ゴールである人がいるんだな、と学んだわけです。

いくらそれが「無意味に見えても」「それって先生の自己満足に過ぎなくないですか?」と思っても、子供らしく手を挙げないとだめなのだ。

小学校でこういうことを身を以て学んだことは、後々すごい役に立ちました。

3学期:ちょっと気がゆるんだのか努力が足りなかったようです。
すばらしい読書生活の成果が中学校で発揮されるでしょう。勉強も大いに力を発揮してください。楽しみにしています。


私は・・・すべての学校(小学校、中学校、高校、大学)で「最後の学期」に成績が下がります。

だって「最後の学期って関係ない」んだもん。

どうせもう次の学校が決まってたり、入試が終わってたり、就職が決まってるわけです。

大事なのは最終学年の2学期までなのよね。そこにピークを持って行くのがベストなはず。

とか言ってたから(事前の選考会ではなく本番のオリンピックに照準をあわせてピーク調整した)千葉すず選手はオリンピックにでられなかったわけですけど。


というわけで、小学校卒業。



また明日!