贅沢

ずいぶん前の話。『五体不満足』という自伝がベストセラーとなった頃、著者である乙武洋匡さんのインタビューをテレビで見ました。

「街の中の移動で一番大変なことは?」という司会者の質問に、乙武さんは「彼女とラブホテルに行くと段差があって大変なんですよ。場所柄、誰にも助けてもらえないし」とにこやかに答えられました。

ちきりんは、この答えを聞いて“プチ驚愕”しました。


お笑い芸人か深夜のお色気番組ならともかく、一般の人がテレビで“自分が彼女とラブホテルに行った時の話”をすることはほとんどないでしょう。

テレビでこんな発言をすれば、彼女の父親の耳に入ることも考えられます。

たとえ彼が未来の婿であったとしても、自分の娘とラブホテルに行ったと彼氏がテレビで語っているのを聞くのは、親としてどんなものでしょう?

嫁入り前の娘を持つ父親としては「ぶんなぐってやろうか」くらいに感じてもおかしくはないはずです。


もちろん乙武さんも、そんなことは十分に理解されていたと思います。それでも彼が、影響力の高いテレビ番組でわざわざそういう発言をした背景には、それなりの理由があったのでしょう。


“車いすが段差の多い街で大変”という話をしたいだけなら、駅前の放置自転車の話でも、近くのスーパーマーケットの入り口の段差の話でもいいんです。なぜわざわざラブホテルの段差なのか。

乙武さんは「ラブホテルに行くことも含めて、障害者が健常者と同じような生活をすることは当然であって、贅沢なことでもおかしなコトでもないのだ」というメッセージをこの発言に込められたのではないでしょうか。

彼が言いたかったのは決して“町中にある不便な段差”の話だけではなかった。そんなことよりも、もっと重要なことがあった。だから敢えてそういう例を選ばれたのかなと思いました。


おそらく彼はずうっと言われてきたのでしょう。

「(そんな障害があるのに、)大学に行くなんてすごいね」
「(そんな体なのに、)彼女がいるなんてすごいね」と。


周りの人はもちろん彼の努力や成果に驚き、賞賛してそう言うのでしょう。

でもそのたびに「みんなにとって普通のことは、私にとっても普通のことであり、すごいことでも特殊なことでもないはずなのに」と感じていらっしゃったのでは?


あの時の彼の、とても自然な「なんの気負いもなく僕はこの発言をしています」というその態度もまた、「僕はこれを言わねばならない」という気持ちをストレートに伝えていました。

青筋をたてて主張するのではなく、さらりと自然に伝えることの効果も含め、よく理解されているように見えたのです。


五体不満足

五体不満足


育児中の母親や、親を介護中の人にとって、冠婚葬祭などどうしてもはずせない用事がある場合には、誰かに「明日、手伝ってもらえませんか?」と頼めても、自分が美容院や同窓会に行くとか、ましてや友達と遊びにいくという理由で、他の人の支援は頼みづらいと聞きます。

これも同じ心理でしょう。「そういう立場の人がそこまで望むのは贅沢だ」という気持ちが、頼まれる側のみならず頼む側にも存在していて、だから頼みにくいと感じるわけです。


そして、自分が頼む時にそう感じる人は、誰か他の人がそういう依頼をするのをみれば、「自分の楽しみのために子供の世話を他人に頼むなんて身勝手だ」と思うのでしょう。

一般的な子育てでも 10年は子供から目が離せない時期が続きます。介護なら 20年続くこともあるし、自分の子供に障害があれば、自分の寿命の限りそういった生活が続きます。

そんな中で、たまに自分が遊びにいくために人に支援を要請するのは、そんなに“贅沢”なことでしょうか。


世間には、「この世には、生きるのに必要不可欠な最低限の活動と、楽しみのための“贅沢な”活動のふたつがある」と考えている人が多いのです。

そして後者については「すべての人に許されているわけではない」らしい。


“楽しみのための贅沢な活動”は、自分ひとりで生きていける、自分で稼いでいる、そういう人だけに許される。そうでない人は“生きるのに不可欠な最低限の活動”だけで満足するべきだ、そんな考え方があるように感じます。

本人に障害があったり介護されている場合はもちろん、そういう人の世話をしている家族にたいしても、往々にしてこの考えが適用されます。

「自分の子(親)なのだから貴方が面倒を見るのは当然であり、そんな最中に他人に世話を頼んで自分が遊びにいくなんて我が儘だ」という話になるのです。


でも、たまに息抜きしたり楽しみのために出かけたりすることは、本来は、苦労の多い生活をしている人にほど必要です。

育児中なのだから、介護中なのだから、障害を持つ子供がいるのだから、遊びに行くなんて我が儘だ、贅沢だと言われたら、つらすぎるでしょう。


楽しく笑いながら、時にはバカ騒ぎしながら生活を楽しむことはすべての人に許されています。どんな立場の人であれ、ただただ息をして生存できていれば満足するべきだ、などと言えるはずがありません。

誰かにとってごくごく普通の生活が、他の人達にとっては手の届かない“贅沢”なものである、なんてことはあってはならないのです。


障害があっても大学生活を楽しみ、時にはラブホテルにだって行くのかもしれない。介護や育児をしている人が、お酒を飲みにいったり、時にはカラオケで深夜まで騒ぐこともあるかもしれません。

そういう行動が(自分には当然に許されるけれど)“彼らには許されるはずのない贅沢”として非難されたり驚愕されるのではなく、ごく自然に、ごく当然のこととして受け止められる社会になればいいなと思います。


そんじゃーね。


関連エントリ 「豊かになる意味」


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/