ラストリゾート

少し前に大阪で、病院が患者を公園に遺棄するという事件がありました。この患者(63歳の男性)は糖尿病で全盲。治療の必要は既になく、病院側は福祉施設に移るよう勧めたけれど本人が退院を拒否していました。

しかも、なぜか本人の障害年金を前妻(63歳)が管理しており、数年前から入院費も不払いになって残高が200万円近くに達していたほか、病院では他の患者や職員ともトラブルを起こしていたそうです。*1

病院職員はこの男性を前妻のところにつれていって本人を引き取るよう(もしくは、入院費用を支払うよう?)依頼しますが、拒否されます。職員は、その帰りに西成区にある公園のベンチに本人を座らせ、救急車を呼んだ上で遺棄(置き去りに)したのです。

結局この医療関係者は、医療法違反で逮捕され、病院長は「あってはならないこと」と謝罪されていました。


さて、この事件は様々な問題を示唆してくれます。

まず、何百万円踏み倒されても、病院は“治療の必要もないのに居座る人”に出て行ってもらえないのでしょうか。

“お金はないが、治療の必要がある患者”を追い出すというのなら、倫理的な問題が発生します。生活保護を申請してもらって治療を続ける、ということが選択肢になるでしょう。しかし“治療の必要がなく、かつ、お金もない人”を世話すべき機関が医療機関だとは思えませんよね。

それはあきらかに福祉機関の役目であるはずですが、本人もお金のない人が暮らすことになる福祉施設よりも病院の方が居心地がよいことはわかっていたのでしょう。

では、本人が移転を拒否すれば、病院には何の手立てもないのでしょうか。他の病院で、もしくは、今後もこういう事例が発生した場合、いったいどのように対処すべきなのでしょう?


また、前妻が本人の障害年金を管理し続けているのは不可解ですが、こういった“受け取るべき人以外が年金を受け取っている”という事態にたいして手を打つべきは、誰の責任なのでしょう。

今回は病院の職員がわざわざこの前妻を訪問していますが、少なくとも離婚した妻に、本人を保護、世話する義務があるとは思えません。“離婚した妻”なんて他人です。

病院としては「本人の障害年金を受け取っているのだから、世話もしてほしい」ということなのかもしれませんが、これは理屈が反対です。「赤の他人が年金を管理しているおかしな状態」をまずは正すべきであり、それは病院ではなく社会保険庁の仕事でしょう。

いったん年金支払いが始まると、本人が死亡していても、離婚していても、変わらず同じ口座に振り込み続けるという年金の仕組みは、あまりに安直に過ぎると思います。


また、こういう事件を見ていて思うのは、“生活保護は福祉の最後の砦”と言われるけれど、実際には“お金”だけもらっても暮らしていけない人はたくさんいる、ということです。

上記例のように障害がある場合もそうだし、認知症を患っていて単独での日常生活が難しい場合、高齢で寝たきりになり体の自由がきかなかい場合なども、たとえ保護費などお金が毎月、銀行口座に振り込まれても、ひとりで生活していくのは無理です。

そういった人が最後にどこに行き着いているのか、一般にはなかなか見えません。中には、無認可で劣悪な環境の高齢者施設、いわゆる“貧困ビジネス”に吸い込まれていく人もいるでしょう。また、年間3万人を超える自殺者の中にもそういった最後の行き場所(生き場所)が見つけられなかった人が含まれていると思います。


ちきりんは小学生の頃に裁判所見学に行き、そこで「冬を越せる長さの禁固刑にしてほしい」と裁判官に頼み込む被告を見て驚愕しました。不況の時代には「自由な外よりも監獄の中の方が生きやすい」という人は例外的ではないとも聞きます。“社会的入院”という言葉が示すように、行き場がないために病院に居続ける人も、この事件以前から問題になっていました。

普通は「一刻も早く出て行きたい」と願うであろう病院や監獄が、最後のセーフティネットとして機能している社会。貧困問題をこのまま放置していたら、20年後には多くの人が「病院に入れてくれ」「監獄に入りたい」と殺到しかねないとさえ思います。

将来の日本の“最後の砦”は、いったいどんな場所になるのでしょう。問題は決してお金(生活保護)だけではないように思えます。

そんじゃーね。

*1:事件に関する記事はこちら:http://news.livedoor.com/article/detail/3388922/