これから日本全体が変わっていかなければならない方向性を一言で言えば、「効率の世界から効果の世界へ」の転換だと、ちきりんは考えています。
効率とは“単位時間当たり、できるだけ多くのモノを作ること”であり、サービスの場合は“単位時間当たり、できるだけ多くの量をさばくこと”です。
“効率的な人”とは 1時間に 1つではなく 10個の案件を処理できる人で、“効率的な工場”とは、1時間に 100個ではなく 1000個の商品を作る工場です。ビジネスにおいて効率の高さはコスト競争力に直結します。
一方の効果は全く違う概念です。iPodや youtubeのような商品、サービスを生み出すのは、効率ではなく効果側の話です。
“早く大量に”ではなく、“新たに独自の価値があるものを生み出す”のが効果です。
戦後日本の産業界は、その効率の高さで世界の頂点をめざしました。圧倒的に歩留まりが高く、生産性の高い工場が生み出す商品が世界中を席巻し、日本の通貨は世界で通用する価値をもつに至ったのです。
それらからもわかるように、効率の世界のキーワードは“画一性”です。
足並み一つずれることなく同じように動けるロボットのような人間、同じモノを見れば全く同じコトを考える人間、が効率性追求のためには必要です。
多くの人が感覚的、経験的に「いろんな人がいるとややこしい」ことを知っています。
多様な人がいると、“あうん”の呼吸が通じず、お互いを理解するにも時間がかかります。何をやるにも「なぜそう思うの?」と問う必要があります。多様性は効率化の邪魔になるのです。
日本が効率で世界トップになれた背景には、もともと民族や言語の画一性が高いという特徴と、中央集権的な体制の下、全国に同質的な教育を広めることに成功したことがあります。
それに加え、さらに高効率を目指すために「他人と違うのはよくないことだ」「皆と同じように考え、皆と同じように行動するべきだ」というプレッシャーが、あちこちの環境でかけられていきました。
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しかし高効率だけを追求する世界は、生身の人間にとって必ずしも楽しい世界ではありません。人は食べるに困らなくなれば“効率は悪くても楽しい世界”を求めるようになります。
実際、高度経済成長が一定の水準に達したバブル期には、日本の独自文化を求める機運が高まりました。
けれどその萌芽はバブル崩壊後「そんなふわふわしたことを言っていてはだめ」という形で否定され姿を消しました。
そのため日本での独自性の発露は、サブカルチャーとなり、“マイナー層の趣味”として扱われることになります。
アニメもキャラクターもジャパンポップも世界で話題になり、“ポケモン”や“キティちゃん”などその一部はビジネスとしても大成功しているにも関わらず、相変わらず日本の経済を牽引する“経団連企業”のお歴々は、単純労働を担う移民政策の実施を求めるなど、未だに“効率で勝つ”ための方法ばかりを考えています。
大企業の多くは“世界で差別化できる付加価値の高い商品を開発したい”と口ではいいながら、“他人と異なる考え”“一般的でないキャリアを積んできた人”を組織から排除するという矛盾に満ちた行動をとっているのです。
その一方で、画一的な組織に馴染めない人達が、世界に通用するかもしれないアイデアを“仲間内の楽しみ”として自分達だけで消費しているのは本当にもったいない限りです。
企業が、本当に“付加価値の高い商品やサービス”を開発したいなら、追求すべきは効率ではなく効果です。そして、効果のキーワードは“多様性”です。
男性だけでなく女性、中高年だけでなくシニアや若手、サラリーマンだけではなく、回り道をした人や経済活動をしてこなかった人(主婦など)、健常な人だけでなく、様々なハンディを背負った人、人生には仕事しかないという人だけでなく、仕事以外に優先順位をもつ人、ずっと日本で育った人だけでなく、いろんな国で育った人。
そういう多様な人の考えががぶつかり合うところにこそ「新しい考え方」が醸成され、「新しいコンセプト」が生まれます。これは効率のために画一性を求める世界とは 180度異なります。
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さらに言えば、画一的なものを求めているのは企業だけではありません。世界一品質に厳しいと言われる日本の消費者もまた、非常に強く“画一性”を求めています。
1円安い食品を求めていくつものスーパーをはしごする主婦は、その行動によって自分の夫の給与が上がること、自分の息子が派遣社員から正社員になれることを邪魔しています。
誰も彼もがサービスの質や品揃えの在り方や商品のディスプレイには目もくれず、“価格”だけでモノを選ぶようになるならば、企業側がその裏返しである“コスト”だけを追求するようになるのは当然の帰結です。
需要者が虫食いのあるキャベツも曲がったキュウリも買わないというなら、業者側は、農薬がたっぷり付着し、遺伝子が操作された“効率よく作られた野菜”を店頭に並べようとするでしょう。
自分の子供が他の家の子と少しでも同じでないと不安だというなら、学校側は地域や子供の特性や個性に関わらず、画一的な教育を提供しようとするのです。
世界のルールを変えるのは“供給側”ではなく“需要側”です。
多様性に価値をおく“独自の視点で商品やサービスを選ぶ需要者”の存在があってこそ、企業も国も様々なもの、他者とは違うものを提供しようと考えるのです。
「他人と同じでないことを怖がらないこと。寧ろ楽しむこと。それを需要者として消費行動に反映させること」、これが、新たな価値を創造する、“効果の世界”への第一歩です。
それでもこの国では、「他と区別もつかないほどに綺麗に揃ったもの」が大好きな人がたくさんいます。
彼らの力はまだまだ相当に強固です。しかも企業は長らく効率でしか勝負をしてきておらず、多様性を組織に取り組むことに非常に慎重です。
これをいったいどう変えていくのか、が、この国の次の 10年の課題であると思います。