「実力」×「プレッシャー耐性」

ちきりんは「古き良き時代の日本企業」で働いた後、極端にアグレッシブな人事制度をもつ米系の投資銀行でも働いたことがあります。

転職前には「そのうち日本企業も年功序列や終身雇用を維持できなくなる。だったら早めに欧米的な組織環境に慣れておいた方がいいよね」と思っていました。

けれど実際に外資系企業で働いてみてわかったのは、「こんなに高いプレッシャーの下で楽しく働けるのは、ごく一部の人達だけだ。大半の人はこんなところでは力が発揮できないだろうな・・」ということでした。


別にそれは、あからさまに目に見える厳しさではありません。そこら中で誰かが罵倒されているとか、毎週誰かが解雇されるとか、そういうことではないのです。

職場には冗談も飛び交っているし、みんなよく笑います。同僚や上司とランチを食べ、帰りに飲みに行くこともあり、一見すれば日本企業と何も変わりません。中には何も教えてくれない先輩もいるけれど、新人にはトレーニングや指導の仕組みがある企業が大半です。

では何が個人にプレッシャーをかけるのでしょう?


それはさらっとした、本当にさらっとした、「成果による評価」です。


想像しやすいよう新卒学生で説明しましょう。23歳で就職し、同期入社は 5人だったとします。内定時から一年間何度も飲みに行って仲良くなり、NY本社で行われる数ヶ月の新人研修では共に助け合った仲間です。

働き始めて 2年たった 25歳の時、同期の一人が昇格します。年収は他のメンバーより 800万円高くなります(年収が 800万円になるのではなく、同期との年収格差が 800万円になるってことです)。「お前やっぱすげえな!」と同期で祝福します。


半年後、同期からもうひとり昇格します。「おめでとう!」と皆で飲みに行き、残った 3人は「俺らもガンバんないとやばいよな〜」と自嘲気味に笑い合います。

その半年後、今度は彼らより一年後に入社した後輩が一人、昇格します。彼がまだ内定学生だった時代には、あなたが 1年目の先輩としていろいろ教えてあげた、そういう後輩のひとりです。


その頃、まだ昇格していない同期 3名のうちのひとりが、妙な動きを始めます。

実力のある上司のまわりをちょこまかと動きまわり、個人的な用事まで手伝いながら成果の出やすい仕事を回してもらおうとする。か、のように周りには見えます。

このあたりから残りの 2人に漂う空気が重くなります。

そしてどちらともなく言い出します。「おれ、転職も考えてるんだ。この仕事はやっぱり向いてなかったかなって思うこともあるし」、「なんだよ、もうちょっと一緒にがんばろうぜ」


解雇される前に自分で退職したいと思うのは、26歳の若者の精一杯の自己保身術です。元気で、能力が高く、多くの学生の中から選ばれた就職勝ち組の優秀な若者が、自分を守るための言動を始めるのです。たかだか 20代半ばという年齢で。


★★★


中途採用で入社する人の場合、個人の受けるプレッシャーはさらに大きくなります。

新卒で入社した人は最初からそういう環境にいますが、中途採用の人は「別の世界」も知っています。

「自分はそれを捨ててきた」という思いがある彼らにとって、「実はあっちの方がよかった」という感じてしまうことは、そのまま「後悔」「人生の選択の失敗」という否定的な感情につながってしまうからです。


彼らの多くは家族を抱えています。転職に反対する奥さんを説得して、転職してきた人もいます。気軽に弱音を吐くこともできません。

早朝から深夜まで仕事がハードなため、多くの人がオフィスに近い都心に住みます。外資系企業には社宅はないため、夫婦と子供の 3人家族なら家賃 30万円は“ごく普通”の水準です。

なので転職するにしても、間隔が数ヶ月あくだけで百万円単位の貯金の切り崩しが必要です。辞める判断もまた簡単ではありません。


★★★


最初に私が勤めた日本企業では、新卒入社した社員に「格差」を実感させるのに 15年もの時間をかけていました。同期の格差は 30代後半にならないと“目には見えない”のです。


外資系に転職した時、私は「おごる」という慣習がないことに驚きました。でもすぐに「おごるというのは、上司は必ず部下より年長で、部下よりずっと給与が高い」という条件下でしかありえない慣習だと気がつきました。

「年収が 800万円違う」と懐具合は相当違います。

でも、だからといって入社 3年目の 26歳で(自分より 800万円年収が少ない)同期の友達におごったりしないでしょ? 失礼すぎますよね。

また、入社時の上司を数年で追い越して昇格したら、"元上司である部下”におごれますか?

「誰がおごるべき人なのか」が“自然で自明”でない限りああいう慣習は成り立たないのです。


とはいえ日本企業も、過去 10年で大きく変わりました。今でも“古きよき”時代を保てている企業の多くは“規制業種”です。

規制により不当な利益が確保されている企業、業界以外で、今やそんな“やさしい”環境を維持できているところは少ないでしょう。

もちろん外資系金融の世界とはまだ相当の距離はあるにせよ、成果主義導入や昇格の年齢逆転、より厳しい査定と報酬決定方式など、それなりに“違う世界”に近づきつつあるはずです。


それに、儲からない事業をいつまでも抱える日本企業では、外資系とはまた違うプレッシャーが個人にかかっています。


名ばかりの管理職として利益責任を追及される契約社員の店長、
完全に歩合給与で、成果が上がらなければローンも払えなくなる営業マン、
法律ぎりぎり(もしくはアウト)の行為を強要されてまで成果を求められるブラック企業の社員
いつ契約が切られるかわからない契約社員からその日暮らしに近い日雇い派遣まで・・・


何がいいたいかって?


「プレッシャーのない世界がなくなりつつありますよ」ってことです。


昔言われていた「いい大学をでていい会社にはいれば、」という言葉の後段は、「プレッシャーなく安心して人生を送れますよ」でした。

でも、既にそんな企業は非常に稀なのです。

今の子供達について考えるなら、そんな場所はもはや存在しなくなると言ってもよいでしょう。それは今の 40歳以上の人が体験してきた時代とは、全く異なる世界となるのです。


★★★


よく「実力次第」というけれど、これから大事になるのは、「一定のプレッシャー下で、どの程度その実力を発揮できるか」ということです。

それは「実力」×「プレッシャー耐性」の掛け算で算定されます。実力のある人でも、プレッシャーに弱い人は、成果が出せなくなるのです。


周りが皆よい人で、わきあいあいと助け合って、締め切りまで余裕があって、首になる可能性はほとんどないような環境であれば、私はすごくいい仕事ができます!などということは、ほとんど無意味になります。

「実力 100×プレッシャー耐性 20の人」より、「実力 50×プレッシャー耐性 60の人」の方が高い成果が出せる時代になるのです。


昔は、期待されていてもオリンピックになるとプレッシャーに負けて結果を残せない日本人選手がたくさんいました。でも最近は日本人選手でも、プレッシャー耐性が非常に高い選手が増えています。

ちきりんは「日本人が自然とプレッシャーに強くなった」とは思いません。そうではなく、コーチや本人達が、「大きな大会で勝つためには、プレッシャーをマネッジすることが重要」と気がつき、そのための訓練を始めたのです。

今やプロアスリートの世界では、メンタルな力がフィジカルや技と同等以上に重要だということは、十分に理解されています。

そして、そういう認識と訓練が、今や一般の人生を送る人にも必要になりつつあるのです。


これまでは、オリンピック選手や、自分で選んで外資系企業に転職する人だけに必要だった「プレッシャー耐性」が、ごく普通の人にも必要になりつつあります。

「プレッシャー」とは何で、そういう時、自分は何を感じ、どんな気持ちになるのか。それを避けるため、乗り越えるため、気持ちをどのように保てばよいのか。そういったことについて何の知識も訓練もないまま、高いプレッシャーの世界に放り込まれる人達は本当に大変です。

アメリカでは、かかりつけのカウンセラーや精神科医がいるビジネスパーソンは珍しくありません。彼らもまたプロの手を借りて、プレッシャーをさばく支援をしてもらっているのです。“職場うつ”が増加しつつある日本でも、こういったサポート体制の必要性は益々高まることでしょう。


大変な世の中です。


それではね。


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