ノーベル物理学賞なんですけどね。ちきりんはもちろん内容については全然わからないのですが、あちこちのブログで今回の物理学賞をもらわれた3名の方がどれくらいすごい方なのか、とてもわかりやすく書いてあって、ほ〜そーなんだ〜と感動しました。そんなすごい方々だったのですね。なるほど。
で、そうなると、ちきりんとしては次の質問がでてきまして、そっちに関してはピンポイントで説明してあるものが見つけられず、で、ここで問うてみることにしてみたです。
ちきりんの今の疑問というのは、「そんなすごい方々が、今年までノーベル賞を受賞していなかった理由はなに?」ということ。これがよくわかんなくて。
たとえば文学賞ならわかりますよね。必ずしもあの賞をとる人が世界で一番の文学者だとは誰も思ってないでしょ。英語かフランス語以外で書かれたものはそもそも誰かが翻訳しないとスタートラインにつけないし、文学なんて文化的背景が違うと理解が難しいし、翻訳家のいい人と巡り会わないと、とかね。
だけど、物理学なんて基本は「世界でひとつ」の市場なんだと思うし、最先端の論文はごく普通に英語に直されて発表されるのだと思うし、そういう意味では「誰が一番貢献度が高いか」は、厳密に1位から100位まで並べるとなれば順位についてはいろんな異論がでるにしても、「誰がノーベル賞をもらうべきトップ20か」くらいについては、物理の世界の人には共通認識がもてることなんじゃないのかしら??
そしてそれはノーベル賞の審査員も同じでしょ。まさかトーシロが選んでいるわけではないのでしょう?だとすると、数年くらい受賞のタイミングがずれる可能性はあっても、何十年も前の誰もが認める(らしい)業績に関して今までずうっともらえてないって、いったいどういうこと??
それがどうもよくわからない。
★★★
ない頭でいろいろ考えてみた。
(a)政治的理由?
これはないよねえ?ロシアの物理学者とかで冷戦時代で、ってな話ならあるかもしれないとか思いますよ。でも日本人にしろ、日本からアメリカへの移民にしろ政治的に問題になるってことはないよね。
(b)区切りの問題?
今回、イタリアの学者さんがもらえなかったことが(イタリアで)問題になってるらしいけど、たとえばひとつの功績に対して、誰の功績かということの区切りが不明瞭なため、「もらえるべき人がもらえないまま」に長く放置されることがあるんでしょうか?
たとえばイタリア人の立場でいえば、「絶対もらってあたりまえの人が放置」されてる状態なんだろうか?
でも、少なくとも(人様のブログの受け売りですが)南部氏の功績は「んなもんじゃねーんだよ」って感じの記載がたくさんあるように感じます。(他の二人とこのイタリア人の差は、ちきりんには判定不可能です。)
(c)発見の意味づけが変わった?
化学賞の下村さんの話はこれなのかなあ、と思いました。発見したのは光るタンパク質?で、それはすごく昔。でも、それがガンの治療に使える!という感じで応用価値がでてきたのは過去10年くらいの話、のように、あちこち読んでて思えました。
こういうのは受賞の時期が遅れるのはわからなくもない。大発見かもしれないが、世の中へのインパクトがゼロなのか超大きいのかでは、誰に賞を与えるか決めるにあたって影響があるだろう。生物学ってこういうことがよく起こるよね。誰も関心ない動物調べてて、その“動物界”に関して言えば“画期的”でも、それを“人類にとって画期的”にしてくれるかどうかは他の研究者の功績に負う、みたいな話だもんね。
でも、物理の方は、そういう話でもなさそう・・・に思えるんですけどね。
で、いろいろ探していて、ある程度背景がわかったのは下記。伊東乾さんが書かれている常識の源流探訪のなかの“日本にノーベル賞がきた理由” 長いけど、おもしろかった。なるほどです。
コレを読むと、坂田さんとか何人か「この人がもらわないなんてありえないだろ?」って方がもらわないままなくなられた。で、その反省?の上に、なんらかのアピール活動が行われ、かつ、ノーベル財団の方もその失敗をリカバーすべく?、今回、3人とも日本人(もしくは日本絡み)の人なのよ、みたいにも読めます。
が、ちきりんの根本的な疑問はとけない。その坂田さんだってそんなにすごい業績なのに、なんでもらえないままだったの?
そもそも「死ぬ前にあげればいいだろ」みたいな高齢の方の受賞ばっかりなのもよくわからない。よく日本の勲章系ってのは、高齢にならないともらえないと言われます。その理由は、かりにも天皇陛下から勲章もらって、その後の人生が何十年もあると、「勲章をもらった人が社会的な問題を起こす」という可能性があり、それを避けるため、と聞いたことがあります。たとえば勲章もらった人が薬で捕まるとか、詐欺トラブルで逮捕されるとかね。そうなると勲章が傷つくから、あれは相当高齢にならないともらえないのだ、と聞いたような記憶がある。
でも別にノーベル賞は「シニアになってから与える」というのは方針ではないんですよね?
うーん、なんでなんだろ。
というわけで、ちきりん的にはまだよくわかっていません。他に考えたことを書くと、
(1)そもそも賞と対象者のバランスはとれてるの?
賞って一年に3人しかもらえないのだよね?で、実は「絶対もらってあたりまえ」の人が既に“在庫”として300人くらいいるので、そういう人が全員もらうためにあと100年かかります、ってな状態なんでしょうか?
もしこれだとすると、賞の規模を拡大しないと問題は解決しないよね。でも、これ違うっぽいのよ。だって2002年に小柴さんが受賞された時って2人しかもらってないんだよ。あの時にもう一人あげることはできたはず。ってことは「席が足りない」わけではない、んだよね?*1
(2)ということは、「全体の席は足りているのに、“絶対もらうべき人”に席がない」のは・・・・「誰か、もらうべきでない人が席をとってしまっているってこと??」
なんでしょうか?
(3)もしくは、やっぱりいくら物理の分野といってもいろんな分野があるから、分野をまたいでの横断的な公正な評価は難しいとか?たとえば、“素粒子”ならまちがいなく南部氏だが、過去何十年もそもそも素粒子分野以外にしか賞がまわらなかった、とか?(このあたり、全然知識がないため、受賞者リストをみても全然わかんないよ。そもそも何分野くらいにわかれているのかも知らないし)
(4)実験で証明されるのを待っていたが、もうご高齢なのであげることにしたとか?
ヨーロッパの巨大な地下施設も稼働後いきなりトラブって止まってるらしいし、待ってたらあげられなくなる!と思ったとか。
よくわからんが理論系だけでもあれだけすごい功績なら、そんなこともなさそうな気もするし、そもそもそんな何十年も・・・って感じだし。
(5)文学ほどではないけど、やっぱり英語が得意じゃないともらえないだよ。みたいな話もちょっと考えたけど、南部氏なんてもう40年近くアメリカに住んでるし、そもそももうアメリカ人だしね・・これはなさそう。
というわけで、いまだよくわかってないです。なんでこんなことになってんだろ。ご存じの方あれば是非教えてください。もしくはご自身のブログや参考になる記事などあれば教えていただけるととても嬉しいです。
そんじゃーね!
。
*1:2002は3名の受賞でした。2006,2007年は2名の受賞です。下記トマスさんのコメントにより後から修正