“自由”になる会社達の行方

過去数十年、企業にとっての「株式公開」(IPO)の意味は様々に変わってきました。*1その昔、敷居の高かった株式公開は、2000年のITバブル前後に次々と新興市場が創設され、ピーク時には年間200社以上がIPOしました。しかし2006年のライブドア事件、その後のリーマンショックと株価低迷を経て、現在はその10分の1の水準まで減少しています。


株式公開のメリットには「名前」と「お金」があります。


上場すると「名前」が有名になり、それは
・取引の際の信用力向上
・販売時の知名度の向上(マーケティング、広告)
・採用時の人気の向上(上場会社に就職!)
・経営者の名声の向上(上場会社の社長さん!)

につながります。


お金の方は、
・資金調達手段が増える。(公募)
・M&Aの財務選択肢が増える。(株式交換)
・採用インセンティブに株式が使える。(ストックオプション)
・公開時に多額の資金が手に入る。(投資資金調達+創業者利得)

などがあります。


一方で、株式公開のデメリットもあります。
・経営の自由度を失う。
・買収される可能性がある。
・管理にコストと手間が生じる。


「経営の自由度を失う」「買収されるリスクにさらされる」ことを嫌う企業の中には、サントリーなどあえて株式を公開しないところや、アパレル大手のワールドのように途中から非公開化するところも存在します。

昔は、株式公開と言えば“企業の達成目標のひとつ”であり“憧れ”だったのだと思うのですが、最近はそのメリットとデメリットを比較し、資金調達や採用に困らないのであれば敢えて株式公開を目指さない経営者や株主も増えていると思います。

というのも、最近の新しい企業にとっては株式公開のメリットが必ずしも大きくないからです。たとえば採用においても、採用したいと思う層が「就職先企業が上場企業かどうかを気にする層」ではなければ、この点での株式公開メリットはありません。

知名度に関しても、「ネット上で十分な知名度さえ築ければそれでいい」ところもあるし、取引上の信用力についても、株式を公開するより「グーグルやヤフー、IBM、マイクロソフトなどのビッグネームと取引がある」という方が意味のある時代になりつつあります。

早くから投資ファンドなどが資金提供をオファーしてきた場合は、資金超達手段としての意義も薄れます。また最近はそんなに多額の資金が必要ではない事業も増えてきました。


そういった会社にとって唯一意義が大きい株式公開のメリットは、積極的なM&Aが可能になるということでしょう。ソフトバンク、ファーストリテイリング、ヤフー、エイチアイエス、楽天、ディエヌエイなど、2000年の前後10年間にIPOした企業の多くが、積極的なM&Aを成長の源泉としています。

反対にいえば、M&Aを多用して急成長を目論むのでなければ、IPOはいよいよ意義をもたなくなります。そして「そんなに急成長する必要はない。」と思う企業の中には、最初から株式公開を目指さない起業人がでてくるのです。

そうなると、次に興味深いことは、それらの企業が自ら設定する「企業としてのゴール」がどのようなものになるのか、という点です。

株式を公開すると企業は投資家から、「利益を出し続けろ」「成長を続けろ」というプレッシャーを受けます。一方、株式公開をしなければ、各企業は「自分でゴールを定める自由度」と「自分でゴールを設定する必要性」を手にします。

これは個人も同じで、世間が要求する「いい大学、いい会社、いい家庭」のようなおきまりの目標を受け入れると、束縛はされるけどやるべきことが示されていて、ある意味ではラクなのです。

一方で「別に大学にいかなくてもいいし、別にいい会社に入る必要もない。家庭ももっても、もたなくてもいいよ」といわれると、どう生きていけばいいのかわからなくなり、悩み始める人もでてきます。中には「自分探しの蟻地獄」に足を取られて動けなくなる人も出ます。

企業に関しても「必ずしも成長を続けなくてもいい」という状況におかれると、同じようなことが起こるのではないかと思うのです。自由というのは、面倒でつらいものです。多くの人はそれを“もてあまし気味”になります。個人にとっても企業にとっても自由度が高まることは諸刃の剣です。


企業が常に外部から利益と成長を求められるという公開株式会社の制度は、これまで世界の経済成長と社会資本形成に大きな貢献をしてきました。では、その束縛から自由になった企業は何を社会に残していくのでしょう?

「生きたいように生きる個人」と「利益にこだわらずやりたいことをやる会社」--- 言葉はかっこいいけれど、実際には自由に生きられる人が極めて少ないように、自由にやっていける会社も限られています。

自由になり、押しつけられた使命から逃れれば、そのかわりに「自ら使命を掲げ、それにコミットし、自らを動機つけていく」ことが求められます。それは実は、決まった使命を押しつけられるより圧倒的に大変なことです。

ちきりんとしては、「株式公開を目指さない」とあえて言う起業家達がそのチャレンジを乗り切り、企業という社会的な器の存在意義に新たな地平を開いてくれることを期待しています。


そんじゃーね。