長く読んでくださってる方はごぞんじと思いますが、ちきりんはかなりの旅行好き。
過去にも何回か旅行について書いていますが、今日はちきりんの“旅行スタイルの変遷”についてまとめておくです。
北の旅
一番最初に“旅行した”という感覚があるのは、北海道と東北に旅行した時のことです。大学生の一年の夏に東北、二年の夏に北海道に行きました。いずれも一ヶ月くらいじゃないかな。一人旅です。
北を選んだのは関西出身だったから。関西で高校まで過ごしたので西の方には修学旅行などでよくいく機会がありました。
一方で東京より北、東というのは未体験ゾーンだった。なのでその地域に、と思ったわけです。
学生の貧乏旅行ですから飛行機は使わず、でも電車は夜行も乗りました。
青春18切符ではなかったような気がする。泊まるのもユースホステルが多く、まともなところに泊まったのは当時まだ旅館だった斜陽館(太宰治の生家)だけ。
ユースホステルは・・・なんか夜にミーティングしたり歌を歌ったりする時代で・・・ほんのちょっと驚きましたよ。
難しいこと聞いてくる人もいました。「学生であることの甘えをどう思うか」とか。
知らんがな。
東北はけっこう言葉が通じにくくて驚きました。
あと人が少なすぎる村とかびびった記憶があります。北海道ではよくヒッチハイクしました。
大型トラックに乗せてもらった時もあるし、学生などが旅行している車にも同乗させてもらいました。“青春”な感じの旅行だったと思います。
海外へ
3年生の夏休みからは海外にでかけはじめました。最初がイギリス、そしてヨーロッパ各国へ。この時から卒業するまでの2年間、ほぼすべての長期休暇を海外旅行に使っていたと思います。
格安チケットで南回りや季節外れのアンカレジ経由でも一番高いのが飛行機。一度いったら3週間くらいは滞在しました。
日本からの往復飛行機チケット以外はすべて現地で自分で探すスタイルで、いわゆるバックパッカー的な旅行です。
基本は一人ででかけましたが旅先で会った人(必ずしも日本人ではない場合も)と何日か一緒にすごしたり、他の一人旅をしている友人と向こうで落ち合う約束をして「特定の日の特定の時間にエッフェル党の下で会おう!」とかロマンチックな約束をしたりもしました。
ただし、
エッフェル塔が予想以上にでかくて・・
下ってどこやねん?
ってことで、会えなかったりね・・
初めて海外を見て、すごくいろいろ刺激を受けました。移民とかホームレスとか、当時の日本にはなかった社会の一面を初めて見たのも彼の地だったと思います。
第三世界へ
が、しかし、そのうちちきりんは「先進国の外国」に飽き始めます。
たしかに日本とは大きく違う世界。だけど、結局は「国の制度は同じだ」という感じがしてきたからです。
一定時間そういう旅行をすると、「だいたいホテルのシステムはこういう感じ」「交通機関のシステムはこういう感じ」とわかってしまう。「同じじゃん」と思えてしまうわけです。
「つまんないな」
と感じました。
一番最初に外国の地に降り立った時のように、すごく強い刺激が欲しくなった。
「ああ、また来た」ではなく、「空港を降りたとたん、恐ろしくて不安でびっくりで」みたいな旅行をしたいと。
そこで旅行地に選んだのが、共産主義国、そしてアフリカでした。
学生の間にいけたのは当時ゴルバチョフ書記長が人気だったソビエト連邦。そしてポルトガルからフェリーでわたったモロッコ、だけでしたが。
働く人へ
この後ちきりんは日本企業に就職し、長期休暇はとれても9日間(土日2回とその間の平日5日)が最大、という「日本の会社員」になってしまいます。これではアフリカなど遠いところに行くのは難しい。
しかも証券会社なんで年始年末は休めない(大発会、大納会に休むなんて首になります。)ある程度給与はもらえるので高い時期(GWなど)も旅行はできるのですが、それでも回数にも限界がある。
そこでちきりんは、行き先を「アジア」に変更します。そして、一回に一カ国、できるだけ少ない都市数しか行かない、と決めて、毎回異なるアジアの国に旅行することにしました。
相変わらず(ツアーではなく)フリーの旅でしたが、飛行機の他、ホテルと現地の長距離交通機関は事前予約する場合も増えました。9日間で行って帰ってくるためには「完全に現地で調達」方式ではなかなか巧く旅行するのが難しかったので。
この方式で行ったのが、インド、ベトナム、ビルマ、タイ、韓国、中国(エリア別に訪問)などなど。
これは結果としてとてもよかったと思います。先進国へは出張ででかけることもありましたし、いい加減“慣れ”もでてきていました。でも、一人ででかけるアジアの国々はどこもエキサイティングで楽しいことばかり!
当時はとった写真をまとめてアルバムにして周囲の人に見せていたのですが、そのうちの一人、JALに勤めている先輩から連絡がありました。そして、
「この前、見せてくれたベトナムのアルバムを貸してくれる?」と。
何かといえば、当時の日本航空はベトナムへの初めての直行便を飛ばす計画を検討中で、空港施設などの現地調査に先遣隊を送ることになったと。
彼はその準備をしている部署にいるのだけど、「実際に行く人たちにあの写真を見せてあげれば、事前にどんな国かイメージがつかめて出張の準備ができていいかなと思って」とのこと。
ちきりんはホテルの食事やお風呂やトイレの写真など、街の風景以外もすごくたくさん写真をとっていたので、一般的な写真より出張準備に役立ちそう、ということだったのでしょう。もちろんお貸ししました。
こうして数年続いたちきりんの「アジア一都市集中、9日間の旅」ですが、その後ちきりんはこの会社を退職。そして旅のスタイルもまた次のスタイルに変わっていったのでありました。
って、やや大げさだが。
とりあえず前編はここまで。また明日(たぶん)後編を書きます。
ええっと、上記「第三世界へ」のところで書いたソビエト旅行については過去に詳しく書いていますのでご関心のある方は是非お楽しみください。
ソビエト旅行記(↓この日から数日連続ものです)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20060404
ではね!