2024年 F本氏の独白

東京近郊、都市圏への通勤圏内にあるS市。3期12年目務めた任期も来月で満了する。市長の“F本”は感慨に満ちた視線で、古びた市庁舎の4階にある市長室の窓から街の様子を眺めていた。左手に握りしめた10枚ほどの紙片を持つ手が少し汗ばんでいた。


F本は思った。満足な12年だったと。立候補して公約を掲げた時、市民の多くが戸惑いと不安を口にした。近隣の市長や県知事はもっと直截に反対を表明した。「本気なのか?」と多くの人が驚いた。

自分も若かった。もうこれしかない。そういう気持ちだった。2008年に起った世界同時金融危機で日本全体が不況に陥っていた。S市の工場でも期間工は一斉に職をとかれ、街に失業者があふれた。翌年の選挙で自民党は政権を失い、跡を継いだ民主党は迷走を続けた。日本はダッチロールしながら暗黒の闇に落ちていった。

F本が市長に初当選したのは2012年だ。ふるさとのS市は疲弊し不況のどん底にあった。F本は当選以来、思い切った手腕でこの街を立て直してきたのだ。


彼が過去12年でやったこと。それをひとことでいうならば

S市を“格安生活圏”として再構築
することだった。


F本はまず“レント・コントロール”という条例を作った。米国の例にならい、家賃の値上げを条例で管理するものだ。これによりS市のアパートは家賃の値上げができなくなった。F本はそれに加え、礼金や敷金の禁止、週ごとの賃貸契約や又貸し、共同賃貸を認める“S市特別賃貸契約書”を使うよう市内の家主に要請した。

もちろん強制ではなく、動機付けとして税制優遇なども行い、大家が自主的にこの契約書を使うよう促した。老朽化したアパートの空室率の高さに悩んでいた家主の間に、新しい賃貸契約は少しずつ浸透した。


また、S市は電力会社と話し合い、市内の電線や施設のメンテナンス期間を国の基準の倍に緩和した。たとえば他地域では3年ごとに取り替える電線もS市内では6年使われる。水道に関しても同様の工夫をした。これによりS市の水道代、電気代は隣接する各市の3割安になっている。

日本のメンテ基準は非常に厳しい水準に設定されているので、S市で水道管破裂や停電が増えたわけではない。いや、実際には一年に一度くらいトラブルは起っているのだが、市民は納得している様子だった。

またS市内の街灯は今やすべて個別の太陽光発電方式になっていた。そのため、日照時間の短い冬場は午前3時には街灯が消えてしまう。しかし、年間数億円もかかっていた“街灯電気代”は他の費用に振り向けることが可能になった。

S市には、中古家具店や中古衣料店がたくさんあるし、家電店には日本製品がほとんどなく、韓国や中国の商品ばかりが並んでいた。単機能でシンプルかつ格安な家電の品揃えが豊富で、休日には他都市からも買い物客がやってきて賑わっていた。また、S市には本屋は一軒もなく、あるのはブックオフなどの中古品販売店だけだった。

食べ物にしても、S市のスーパーで売られている野菜は、キュウリは曲がっているし、トマトは大きさが揃ってないなど不揃いのものばかりだった。しかし価格は他エリアの4割近くも安い。

S市で生まれ育った子供は、他のエリアではなぜイチゴがパックの中ですべて同じ方向を向いているのか理解できず、たまに他県のスーパーにいくと驚いてまじまじとイチゴのパックを見つめてしまう有様だった。

また、日本が輸入するミニマムアクセス米の大半はS市が購入し、公的な施設で使うほか、一般の定食屋にも卸していた。市役所の食堂や市が運営する施設の食事はすべてミニマムアクセス米だ。米のコストが4分の1以下というのは本当にありがたいことだった。


「あれはもう少し規制を強くする必要があるな。」F本が唯一気になっているのは、F本がS市に誘致した大規模な治験施設だった。薬は欧米など海外で長年の使用実績があっても、日本で認可される前には日本で実際に人に使ってみての検査も必要だ。一定の条件の患者、もしくは健康な人が集められ、半分は砂糖水などの偽薬、半分は薬を投与され、結果を比較して実際の効果を計るのが治験である。

これら治験では薬や事前の診察はすべて無料であり、薬を投与した後はデータを集めるため、患者は一般の場合より細かく身体の事後経過を観察される。高い薬を購入する財力のない人たちには悪い話ではない。しかも薬の多くは、既に欧米で何年も使われているものなのだ。

また、治験の協力者には報酬が支払われるので、アルバイトとして参加する人もいる。適切なルールが守られればいいのだが、それをすり抜けて“体を売りに来る”若者もでてきた。

彼らの将来を考えると、短期間に何度も治験に参加できないよう規制するなど、しっかりしたルールが必要だ。それらを管理するためのデータベースを構築しようとしているのだが、これは自分の任期中には終わりそうにない。「もう1年早くとりかかるべきだったな」と頭の中でつぶやいた。

★★★

F本の市長室には雑然と書類が積まれているが、その中には中国語や韓国語の書類もあった。それ以外にも外国語の書類が多い。「時代も変ったものだ」とF本はつぶやいた。

東京まで40分程度であり、格安生活圏として認知され始めたS市は、海外からやってきた留学生や働き手の“最初の居住地”として選ばれることが多かった。市内には中国や韓国からの留学生、インドネシアやフィリピンからの介護支援要員らがたくさん住んでいた。短期的に東京観光にやってくるバックパッカーも多くがS市を拠点に東京観光をするようになった。

最初は住民達との細かいぶつかり合いがたくさんあった。しかし数年もするとこれらの人たちを相手に商売をしようという人たちが現れた。ボランティアも多くなった。街には格安で中華料理、韓国料理、インドネシア料理が食べられる食堂がたくさんある。街角で話される言葉も本当に様々だ。

さらにF本は、増え続ける外国の子供の教育問題を解決するため、公立小学校や中学校に「外国語での授業」を導入し、教師はそれらの国から呼んできた。

S市の小中学校の授業は、中国語、韓国語、英語、日本語など様々な言語で行われ、日本に来たばかりの子供は現地語のクラスへ、日本語を覚えれば、日本語クラスに移行する、という予定だった。

ところが、思いがけないことが起った。友達と一緒に授業を受けたいと、日本人の子供達が一部の授業を中国語や英語などで受け始めたのだ。彼らはお互いの言葉をお互いに教えあい始めた。

F本はこれを利用した。事実上、「どの言語で授業をとってもいい」という方針に変更したのだ。文部科学省からは相当の嫌がらせを受けたが、“日本の国際化の最先端事例”としてニューズウイーク誌がS市を取材してくれたことが後ろ盾となって流れが変り、霞ヶ関からの反発を抑えることができた。

いまやS市で育った子供らの就職状況は極めて良好だ。中国語、韓国語、インドネシア語、フィリピン語などを、英語とともに操るS市出身者に多くの企業が関心を示し始めているからだ。


そんななかで、所得が高くなると都内に引っ越す人も増えてきた。それを「もったいない」と嘆く人もいるのだが、F本は「これでいいのだ」と確信していた。

いまや東京周辺には格安度合いの異なる複数の格安生活圏が存在している。皆S市の成功を目にして考えが変ったのだ。

昔の日本は、5%の高級エリア、90%の中流エリア、5%の貧困エリアに分かれていた。90%の中流エリアの生活コストはバカ高く、そのためにホームレスになる人が増えていた。ところが今は、

高級エリア5%
中流エリア(年収800万円〜の4人家族,400万円〜の単身向け)30%、
格安生活圏(年収600万円〜の4人家族,300万円〜の単身向け)30%、
超格安生活圏(年収400万円〜の4人家族,200万円〜の単身向け)30%、
貧困エリア5%というレイヤーに分離していた。


S市はその中で超格安エリアとして位置つけられていた。F本は思った。そこで育った子供達が、出世するなり、事業で成功するなり、宝くじが当たるなり、玉の輿にのるなりして引っ越すのもまたいいじゃないか、と。

NYのラガーディア空港のそばにフラッシングメドーというエリアがある。元々は日本人が多く住んでいたエリアだが、日本人が金持ちになって出て行くと次はコリアンが住み着き、今はチャイナタウンになっている。「代替わり」とか「ヤドカリ型」、そんな感じのイメージだろうか。


とはいえ、S市にはかなり年収の高い人も住んでいた。「この自由な雰囲気が好きなんだ」という人もいたし、「ここに住めば、3年働けば一年は海外放浪する資金が貯まるから」という人もいた。

いずれにせよS市は順調だった。どのアパートは古いけれど、近隣行政区のように“路上にはホームレスが溢れているのにアパートには空室がたくさんある”という状況ではない。旅行者も多く、子供も多くて活気にあふれている。

フィリピンやインドネシアから介護士としてやってきた人たちは、最初はS市に住んで東京で働く人が多かったのだが、家族をもち彼ら自身が子供をもつようになると、地元で働こうという人も増えてきた。このため、S市は日本で唯一介護福祉士の募集に困らない市になっていた。

一番心配した治安だったが、有人交番をあちこちに復活させかなり治安に気を遣ったせいか、今のところ大きな問題にはなっていない。ただこれは、これからも一番大きな成功の鍵になるだろう。

治安に関して一番大事なことは、とにかく犯罪に走らなくても食べていける街を作ることだとF本氏は考えていた。だから彼はS市を高級エリアにする気はなかった。ここには、安くておいしい定食と、同じように貧しい仲間達がいる。そういうことが大事なんだ。



「そろそろ俺の役目は終わった。老兵はただ過ぎ去るのみだな」


F本はくるりと振り返り、12年使ってきた市長の机に手をついた。机の上には先月オープンしたS市の“長距離バスターミナル”のオープン式典の写真が散らばっていた。新幹線や飛行機は庶民には高すぎる。そう考えたF本は、深夜の夜行長距離バスを集中して発着させるターミナルをS市に建設したのだ。

今までは東京駅前や新宿の狭い発着場を使っていたバス会社がこぞってS市発のバスを増便し、今やS市のバスターミナル付近は昔の上野駅前のような賑わいを呈していた。

F本はそれらの写真の上にゆっくりと視線を滑らせた後、左手に持っている紙をもう一度見るために老眼鏡を胸ポケットから出して鼻にひっかけた。

その紙は何度も何度も読み返したせいで皺だらけになりクタクタになっていた。F本は丁寧に皺を伸ばしながら一枚目の上部をみた。



Chikirinの日記 もうひとつの解



2008年にこれを読まなければ自分の人生は大きく違ったものだっただろう。こんなことができるなんて、あのエントリを読むまでは考えたこともなかったのだから。

F本は、市長になろうと決意した時のことを思いだしながら、ゆっくりとその紙を閉じ、大事そうにジャケットの内ポケットにしまった。

さあ、4選目には出馬しないと表明する記者会見の時間だ。
そろそろ行こう。



<参考書籍>

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

貧困大国ニッポン―2割の日本人が年収200万円以下 (宝島社新書 273)

貧困大国ニッポン―2割の日本人が年収200万円以下 (宝島社新書 273)