経済規模指標と“豊かさ実感”の乖離

下記は日本の実質GDPの時系列グラフです。単位は兆円。戦後すぐから2007年まで*1を時代ごとに色分けしています。

一番左の無色のところが戦後経済の混乱期。次のグレーが高度成長時代。その右の無色部分が1974年のオイルショックを機に経済成長の質が変った時代。そして薄緑のところが1986年からのバブル経済。最後の薄ピンク、1993年あたりからが“失われた10年”を含む停滞期です。



このグラフを見ていると、ちょっと違和感を感じます。生活者としては少なくとも直近の15年、こんなに実質GDPが伸びている実感はもてないからです。

ひとつの理由はこのグラフが“実質”GDPだからでしょう。人の感覚は名目GDPに近くなるので、デフレが続いている昨今において“実質的な経済成長”を体感するのは難しいことです。

しかしそれにしても「デフレでモノがどんどん安くなり、実質的には過去15年もこれだけ経済成長したのですよ」といわれても、にわかには信じがたい気もします。なぜこんなにGDPと実感が異なっているのでしょう?

★★★

まずは左から2番目のグレーの部分、高度成長時代をみて見ましょう。この時代の経済成長とは、「炊飯器と冷蔵庫と洗濯機とテレビが我が家に来た」ということでした。人々は食べるに困らなくなり、家には毎年新しい家具や家電が増える。それは“とてもわかりやすい経済成長”だったのです。

その右側の白い部分、1974年のオイルショックを克服して成長を続けた日本。ここでも、クーラーに電子レンジと、“モノの豊かさ”は引き続き向上します。

加えてこの時期は機械系、電子系の日本製品が世界中で売れはじめた時期です。それまでの日本は“安い労働力”を売る国でした。しかしこの時期、日本製品は“高い技術力”によって売れるようになり、日本人は必ずしも働く時間で勝負をする必要がなくなります。

それにしたがって週休二日制が導入され給与や賞与もあがります。増えた余暇と資金は、“初めての家族旅行”に使われました。これもわかりやすいですよね。モノに加え、ソフト面で生活がとても豊かになる、そういう実感がもてる時期だったのです。


次がバ1986年から5年ほど続いたバブルです。この時期に豊かさを実感させてくれたのはプラザ合意によって引き起こされた“円高”です。これにより、ハワイや香港の免税店からパリのルイヴィトン本店までが日本人で埋め尽くされます。二十歳の若者がバックパッカーとして世界旅行を楽しむようになり、企業家は世界のオークションで名画を落札し、NYの著名ビルを次々と買取ります。

日本の通貨が“世界で通用する”ようになった結果、日本人はこの時期に「世界の富を手に入れる財力」を手にしたのです。これもわかりやすい“豊かさの向上”でした。

ただしバブル期には不動産価格が急騰し、一般の国民は巨額の借金なくしては家が買えなくなりました。これは、GDPの伸びと豊かさ実感の乖離が始まった最初の例といえるかもしれません。


最後に直近の15年ほど。この時期も実質GDPは伸びています。実はこの期間、多くの商品が日本製から「Made in China」に置き換わり、物価が下がりました。同じ機能のものが何割も安く買えるようになり、それにより私たちは“豊かになった”と感じるはず、なのですが・・・実際にはそう感じた人は多くありません。

なぜなら、中国からの輸入品に負けて立ちゆかなくなった産業や会社が急増したからです。世界に誇る日本の家電の大半がアジアで作られるようになり、日本では多くの人が職場を失いました。さらに企業は日本における新入社員を正社員として雇わなくなりました。

バブル崩壊で税収も急減したため、消費税の引き上げ、医療費の引き上げ、年金受給開始時期の延期、生活保護の抑制と、次々と国民に負担増と不安増を迫る施策が導入されました。公共事業も大幅に削減され、地方経済は息の根を止められます。これでは“豊かさ”を体感するのは不可能です。


もちろん、この時期に伸びたものもあります。

一つは医療、介護産業です。しかし高齢者が増えて病人が増え、家庭で介護されていた人がヘルパーさんに介護されても、それによって「経済的に豊かになった」と感じるのは困難です。介護職の給与水準は低く、医療現場も尋常ではない過重労働を強いられており、新産業の勃興で豊かになったと感じられる人は多くありません。

そもそも家庭内の貨幣価値化されない労働が外部化されると、経済価値が顕在化します。たとえばお母さんがご飯を作ってくれるとタダですが、お母さんがパートとして働くファミレスでご飯を食べればGDPは上昇します。家で家族に世話をされていたお年寄りが介護施設で暮らせば、経済的な付加価値につながります。しかしこういった“経済成長”は必ずしも感覚的な豊かさに結びつきません。


もうひとつ大きく伸びたのは情報産業や通信業です。企業だけでなく、消費者も“けーたい”や“ネット”により圧倒的な利便性を手に入れました。これについては「豊かになった実感」を持てる人も多いでしょう。

しかし一方で、IT化により旅行代理店や金融業、本屋などは、“中抜き”され始めています。雑誌や新聞などのメディア産業もネットに広告と購読者の双方を奪われつつあります。勃興する産業がある一方、IT化のために衰退する産業もまた大きいのです。これも全体的な“豊かさ”の実感をそいでしまう要因でしょう。

また、IT化の時代に新たな雇用機会として出現したSE、プログラマーという仕事は3Kといわれ、モバイル機器やブラックベリーが24時間働く人を追いかけ、世界の労働者と戦えと言われ始めたビジネス社会では精神を病む人も急増しています。

そんな時代に対応するため、親は子供が小さな頃から英語を習わせ、お受験をさせ、そして、自らは“自分をグーグル化”して荒波を乗り越えようと必死になっています。ここでもやはり高度成長期のような“単純な豊かさの増進”はとても感じにくくなっているのです。


★★★

これはつまり、日本においてGDPが目標指標としての役割を既に終えているということではないでしょうか。元々GDPは経済規模の指標であって“豊かさ”の指標ではありません。経済的に貧しい国にとって、たまたま「経済規模の拡大=豊かさであった」だけなのです。

過去15年も実質GDPのグラフは右肩あがりなのに、私たちの「豊かさ実感」がむしろ下がっているとしたら、「今の私たちの豊かさを表現する本当の指標」のグラフは右下がりになっているはずです。

問題は、私達はそれが何のグラフなのか理解できていない、ということです。それはつまり、豊かな生活のために今、何を変えればいいのか、何をすればいいのか、わかっていないということでもあります。

その“隠れたグラフの意味(式)”を突き詰めなければ、私たちはまたこれからもずっと「豊かさの実感とは乖離してしまった経済成長」を追い求め、心と体をすり減らして“頑張って”いくことになってしまうでしょう。