ちきりんの立ち位置について

最近、セーフティネットだの非経済的な豊かさだのについて書くことが多く、こんなことばっかり書いてると、つい最近このブログを読み始めたばかり、という方には、ちきりんの“立ち位置”について誤解する人もでるんじゃないかと思ったので、確認と整理のために一度書いておきます。



まず、ちきりんは「市場原理」=「マーケットメカニズム」を信奉している自由主義経済思想のサポーターです。小泉さんと竹中さんの政策を今でも正しかったと考えていますし、世の中がおかしくなっているのはポスト小泉の人達が皆して改革をストップし先祖返りしてしまっているからだ、と考えています。(竹中氏の考えと同じです。)

市場原理の結果として様々な格差ができるのは当然だと思っています。悪いこととも思いません。また、いずれにせよ今の日本の格差なんて問題になる範囲ではないと思っています。もっと言えば、本来もっと格差があるべきものが不自然な力によって糊塗されていることが大問題だと思ってます。

ただし貧困問題は日本にも存在すると考えており、解消する必要があると思っています。貧困により“機会平等”が崩れることは大きな問題と感じています。



ちきりんが市場原理を支持する最大の理由は「社会に新しい価値を生む源泉は、市場原理に基づく公正な競争である」と考えているからです。市場原理を妨害するものは各種ありますが、ひとつが公的な規制、もうひとつが私的な束縛、たとえば日本的道徳、世間の目、村社会的な規範など、です。

日本社会が新たな価値を生み続けたり、新たな成長軌道を実現したりすることができないでいるのは、これらの市場原理を妨害する公的、私的な縛りが多すぎるからだと考えています。

これらの規制や世間的常識の上に、非常に安逸な利益を貪る“既得権益層”は未だ増殖を続けており、これを打ち砕く“それ以外の層”の力は全く不十分な程度にしか発達していません。少しずつ力をつけつつあるとはいえ、おそらく内的な力だけではこのパラダイムの変革は不可能であり、なんらかの外的ショックを待たない限りこの国の状況は変わらないだろうと感じています。

なおちきりん自身は、ど真ん中ではないけれど、上記の“既得権益層内”にて生活しています。



世界に関して言えば、現在の経済の混乱は市場原理の運営におけるひとつの失敗であり、こういうことは100年に一度避けがたく起ることだと思っています。が、だからといって市場原理、自由主義的な経済体制を否定する必要はまったくない、と考えています。むしろ自由経済が継続的に存続していくために必要な定期的な力の発散(地震のようなもの)と考えています。

また、ちきりんは「社会を変えうるネットの力」も信じていますが、これは市場を信じることと同根の考え方からきています。市場原理を信じると言うことは「一人の優秀な独裁者よりも、衆愚を含む市場全体の力を信じる」ということです。これは管理者や固いルールのないネットの世界の可能性を、中央集権的な権力によって秩序立てられた既存の社会制度よりも高い可能性をもつものと信じることにつながっています。


ちきりんは、人間の生物学的な特徴、動物としての本能を、とても魅力的だと思っています。“人間の汚ならしさ”を愛しています。他者への妬みや、自分勝手な欲望や、怠惰や安逸に流れがちな傾向を持ち、狡猾で無知で孤独で気分屋な、自然な生身の人間をすばらしいと思っています。効率的な市場を形作ることができるのは、そういった“人間らしい人間”の集団だと思っています。

市場原理、民主主義(多数決)を唱えると、「日本は民度が低いから無理」とか「ポピュリズム批判」で返されることがあるのですが、ちきりんとしては、“民度”などという目盛り(概念)自体がナンセンスであると考えていますし、ポピュリズムを克服する方法こそが市場原理であると考えています。

★★★

上記のような考えと、ちきりんのもうひとつの基本的な信念(信仰?)である「多様性の並び立つ社会の実現を強く求める」という考え方は矛盾するものではありません。

誰も彼もが必死で働いたり、誰も彼もが必死で成長したり頑張ったりする必要は全くないと思っています。意思として頑張らない人、能力として頑張れない人、結果として成果のあがらない人が排除されず共生できる世の中を希求しています。

他の人と異なる考え、異なる経験、異なる感覚を排除することのない社会を豊かであると感じます。「世間と同じように生きられない人」が息苦しくない世界の実現を重要と考えています。


日本が日本人だけの国である必要も感じません。海外から労働者、学生、さまざまな人が日本にやってきて、永住したり、結婚や出産を通して混じり合い、また反対のこと(日本人が外にでてゆく)もどんどん起ればよいと思っています。

先日来の国籍法改正議論で猛威をふるった、排外主義的な国粋主義者を忌み嫌っています。多様な価値観が様々なコミュニティの中でぶつかり合い、併存すること(理解し合える必要はない)を期待しています。


自分の意見は比較的はっきりと持つ方ですが、他の人が異なる考え方を持つことに意義を唱える気はありませんし、意見が異なる時に「どちらかが正しく、どちらかが間違っている」とは考えません。

同じものは見る角度により色も形も違ってみえるし、見る人によっても異なるものに見えるかもしれません。それはそれでいいと思います。

したがって議論をふっかけられてもあまり議論にならないです。「あなたはそういう考えなのですね。ちきりんはこういう考えです。」というだけです。議論して歩み寄って「同じ考え」に行き着く必要性を感じません。*1



以上。


つまり、

ちきりんは“市場”の力を信じています。

そして、

“多様性の受容される社会”を望んでいます。




これがちきりんの立ち位置です。


んじゃね。

*1:何かを共同運営しているとかいうなら合意に到達することが必要なのでしょうがそれは別の話なので。