感染症の社会面について

新型インフルエンザが疑われていた横浜の高校生がいたでしょ。

一日たって季節性のインフルエンザだとわかった時、その高校の校長先生が取材記者の前で体を震わせて涙をぬぐっていた。

「もう、万歳です。」「どうなることかと思った・・」と。

言葉にも詰まりながら、めがねを上げて涙をぬぐい、心から嬉しそうというか感激というか・・ものすごい心配だったんだな、と伝わってきた。


これをみて思ったよ。

感染症ってのは、病気以外もいろいろ怖いんだなあ、と。


日本も衛生状態が悪かった昔は感染症も多かったでしょ。

赤痢とかコレラとか。その頃、だれかの家から赤痢患者がでれば本人はもちろん隔離入院させられるんだけど、その人の家とか職場に保健所がきて消毒をするのよね。

今は消毒もそれなりに洗練された方法になってるけど、昔はその辺一帯に白い薬剤をまき散らす、みたいな方法で、しかもそれを近所の家とか、その人が出かけていた先とか全部やられる。

家中にそんなもんまき散らされたらあれこれ使えなくなるものもあるし、仕事や生活に支障がでる。

その家の子供が遊びに言ってた家とか、近隣の家も有無を言わせず消毒薬だらけにされて、一番悲惨なのは近隣で食べ物屋をやってた店。時には客足が遠のいてつぶれたりさえする。

・・ものすごい迷惑がかかるわけです、近所に。で、その結果、感染症の患者を出した家の人が近所に迷惑をかけたことを苦にして首をつる、ってこともあったらしい。


という話を、あの校長の“心底ほっとした”というかんじの涙を見ていて思い出した。

今はもう少々周りの人の生活に不便がでても、病気になったという理由でそこまで(精神的に)責められることはないと思う。のだけど、よく考えてみたら、今でもそれなりにいろいろ大変かな、と思った。


たとえばアメリカから成田に着いた飛行機の中で感染が疑われて病院に運ばれた女性がいたでしょ。(検査の結果、新型ではなかったようです。)

この女性はもちろん隔離入院させられましたが、この席の周りの10人だか20人だかも女性の結果が出るまでの間、成田近くのホテルに滞在させられた。

これさあ、その人達の予定とかどーなんですかね??

たとえば彼らがツアーに参加して日本に訪れていて、で、このために参加できなくなった。誰かツアー代を保障してくれたりすると思います?

乗り継ぎで香港に行く予定の人とかもいたかもしれない。でも必ずしも飛行機チケットは日を延期できるものではないかも。そういうのだとどーなるんだろ、と思う。


GWに旅行を予定している人も多いでしょ。

たとえば伊丹から成田経由でパリに行こうとしていた、と。伊丹から成田の便で、近くに座っていた人が成田で「高熱」を発見され、簡易検査で感染が疑われて隔離された。

あなたは近くの席にすわっていたという理由で、成田発パリ行きにはのせてもらえず、一日成田に足止めされた。当然ツアーには参加できなくなる。


いやもちろん、当たり前だし、仕方ないし、そーすべきなんでしょう。

なんだけど個人の立場にとってみると、「ひえ〜〜〜」って感じだよね。


てか、昨日まで同じ会社で働いていた人が今、高熱で病院に運ばれたら、明日にはあなたの家に会社の保健医から電話があり、緊急に検査をしろ、その結果がでるまでGWも遊びにいかず家に待機しろ、とか命じられるかもしれない。

「ええっ?、明日からハワイに家族旅行の予定なんですけど!?」って言っても「家にいてください」って言われるかも。どーする?いや、家にいるんでしょうけど・・・ちょっと複雑な気持ちでしょ。


前に大家族でお住まいのある方が「我が家は全員インフルエンザの予防接種をする。家族の中に高齢者や赤ちゃんがいるのでうつしたら大変だからだ。予防接種は弱者へのエチケットだ」というような趣旨のことをご自身のブログに書いていらした。

なるほどと思った。ちきりんは自分なりの理由でここ数年は予防接種を受けることをやめてしまっているが、こういう「予防接種するか否か」なども家庭によって考えや判断が異なるだろう。

でも学校のクラスで感染が広まれば、元気な子供は寝込むだけかもしれないが喘息やその他の持病があったり、体力の弱い子には大きなリスクがある。

そういうお子さんの親御さんは「全員に予防接種を義務づけてほしい」と思われるかもしれない。予防接種すべきだ派と個人の判断に任せるべきだ派にも、それなりの心理的な確執が起こりえるのかもしれない。


そういえば、人間じゃなくて養鶏所の鶏が鳥インフルエンザにかかるケースが時々あるよね。

すると半径何キロかの養鶏所はどこも卵や鶏肉の出荷を止めなくちゃいけなくなる。最近は補償制度もそれなりに整っているようだけど、どう考えてもそれで得られたはずの利益がすべて戻ってくるとは思えない。

自分の養鶏所からでた鶏の病気のせいで、近隣すべての養鶏所に迷惑をかけてしまう。

ことの性質からいって「当然」であり「適切」な処理だろう。なんだけど、一定のコミュニティの中で、最初に病気がでた養鶏所の方にどういう精神的なプレッシャーがかかるか、というのは想像に難くない。


今回も、メキシコの周りの国では「メキシコが対応を誤ったからこんなことになった!」と思う国があるのかも。上記の養鶏所の鳥インフルエンザも実際には韓国から日本へ、日本から韓国への感染もあるようだ。「あの国のせいで・・」と思う人も?

都道府県もそうだよね。もしも横浜で対応がまずくて感染が拡がったら、我らが東京都知事なんかも口さがないことを言いそうなタイプだよ。なんたってここは、まだ感染症例が出る前からすでに厚労省大臣と横浜市長がくだらん言い争いしてる国だし。


今回の報道ではメキシコの感染者数や死亡者数が(報道上)いきなり減ったりしているし、豚インフルエンザという言葉が風評被害を呼ぶということで「新型インフルエンザ」に変更された。

うがって考えたら、最初の国がメキシコくらいだからWHOもある程度踏み込めたかのかもしれないが、これが政治的に非常に大きな力を持つ国からの発生であったら、WHOの判断にももっとプレッシャーがかかった可能性もある。渡航制限なんかを勧告されたら、どの国もすごい影響がありますよね。


というわけで、感染症って疾病という面だけでなく、社会的な意味でもいろいろあるなあ、と。なんていうか、“社会の成熟度を問う病気”だよね。感染症って、と思いました。


そんじゃーね。