“下取りセール” そして10年

2019年の春。とある朝。学校に行こうと玄関で靴を履きながら、ちき子は深くため息をついた。靴箱からあふれ出したものすごい数の靴をかき分けながら自分のスニーカーを見つけるのに今朝も一苦労したからだ。「また増えたかも」とちき子は思った。昨日また父親がどこかから古い靴を持って帰ってきたのだろう。

「いつまで続くんだろ、これ」 ちき子は後ろ手に玄関のドアを閉めながら思った。どんよりとした曇りの日だった。一瞬、傘をもっていくことも考えたが、その考えは無理矢理に頭の中から追い出した。あの傘立てから自分の傘を探すという行為を想像してめまいがしそうになったからだ。

ちき子は思考をとめて春にしては肌寒い戸外に大股で踏み出した。「学校へ行こう!」と口に出して言ってみた。そうすれば少しだけ明るい気分になれることに、つい最近気がついたから。


★★★

思えば、あれが始まったのは2008年の年末だった。秋に起った世界規模の金融破綻のためにどの国も深刻な不況に陥っていた。日本も例外ではなく、派遣切り、雇用不安が喧伝され、人々の消費は一気に冷え込んだ。そこにイトーヨーカ堂というスーパーが実施したのが“下取りセール”だった。

自宅にある不要な衣料、雑貨などを下取りしてもらえるというこのセールは、家中に溢れる“もうおそらく一生使わないであろうもの”に嘆息しつつも処分のきっかけが持てていなかった消費者の購買意欲に火を付け、不況下に2割の売り上げアップという驚異的な結果を導いた。

この“魔法の売り方”を不振にあえぐ百貨店、アパレルメーカー等が見逃すはずはなかった。斯くして、2009年の春にはこの“下取り”セールは様々な業態、小売店に次々と普及していった。

婦人靴や男性用の革靴、鞄、傘や衣服、水着、鍋やフライパン、照明器具や空気清浄機、布団に枕・・・下取りセールはおよそ街で売られているすべてのものに適用が始まった。人々がどれほど、家の中に「要らないのに捨てられなかったもの」を“隠し持っていた”のかが、明らかにされた一年だった。


翌年にはさらにこの動きは加速し、人々はどんどん“下取り”に慣れていった。それはつまり“下取りをしていない店ではモノを買う気が起らない”という人が増えることを意味していた。ものを買えば包装してもらうのがあたりまえ、という感覚と同じくらい「モノを買うなら、不要品を引き取ってくれるのがあたりまえ」という常識が日本中に広まり始めた。

数年後にはどの店でもレジに並ぶ人はみな、二つの商品を抱えていた。ひとつはこれから買おうとしている商品、そしてもうひとつは「これから引き取ってもらう商品」だ。なかには、どちらの商品が売る商品で、どちらが買う商品なのかわからないくらい綺麗な商品を下取りにだす客も混じっていた。


下取りセールの拡大と定着は、不思議な現象を生み出した。住宅地のゴミの量が急激に減り始めたのだ。人々は不要品を捨てなくなった。いや、「益々捨てなくなった」というのが正確であろうか。今やなんでも引き取ってもらえるのだから、なにひとつ“ゴミ”と呼べるものはない。一部の地域ではゴミ収集は週に一日に減っていた。なにせ生ゴミ以外のゴミが全くでなくなってしまったのだから。

一方で地下鉄やJRは新たな悩みを抱えていた。朝のラッシュが今まで以上に混雑するようになったからだ。その原因は明らかだった。通勤する人々が手に手に「夕方買い物をする際に下取りにだす商品を家から持ってきている」からだ。

晴れているのに傘を何本も持って乗っている客もいれば(古い傘を5本下取りに出せば、新しい傘が1本半額になる!というキャンペーンが始まったばかりだった。)、風呂敷に包んだ鍋を網棚に乗せているOLもいる。サラリーマンはネクタイを鞄からはみ出すほど詰め込んで、電車に揺られていた。さすがに枕や毛布を持って乗り込む客は少なかったものの、毎朝ゴミ袋や手提げ袋に入れた衣料や雑貨が、大量に住宅地から都心の商業エリアに運ばれたのである。

また、新宿や渋谷など商業エリアのある自治体も困り切っていた。デパートや店が出すゴミが大幅に増えたからだ。今や居酒屋までが「文房具を一人十点まで下取りし、店で使える焼き鳥一串券を差し上げます」などというキャンペーンをやっていた。その居酒屋の出すゴミは毎日ゴミ袋数十個にもわたり、その袋の裂け目からは多くのシャープペンシルや使い込んだ定規、さらに危ないものでは折れ曲がったコンパスなどがのぞいていた。


しかし、本当に困った現象が起き始めたのはさらに数年が過ぎた後だった。“下取りに熱中する人々”が現れたのだ。きっかけは“下取り商品ドットコム”というウエブサービスだった。これは、自分が買いたいものを売っている店が下取りしてくれる商品を探すサイトだ。たとえば靴を買いたいと思っている男性。でも今のところ捨てたい靴はない。そんな場合、このサイトで“下取りに使える古い靴”を手に入れられる。

対価は“別の下取り可能商品”だ。たとえば、捨てたい靴はないけど、捨てたい鍋はある、というならこの鍋を出品することで靴を手に入れ、、、そしてそれをもって新しい靴を買いに行くのだ!!


また、あまりモノを持っていない若い人や留学生などは、様々に知恵を絞った。中国人留学生向けの生活マニュアル本には「日本には古品を持ち込め!」と指南してあったし、ネットで「僕は今度、鞄を買いたいのだけど、誰か下取りに出せる古い鞄を譲ってくれませんか?」と呼びかける若者も現れた。

目を付けた業者もいた。下取り品をポイントに換算し始めたのだ。下取りできそうなものをそのサイトに送ると、ネット上で使える“下取りマイル”というのがもらえるのだ。そして自分が買いたいものが出てきた時に、そのマイルで必要な下取り品を手に入れるのである。昔は飛行機会社のマイルを集めていた人のうちの何割かは、今では“下取りマイラー”に転向したといわれている。

また経済産業省も増大する“下取りマイル”の大きさに警戒を示し、下取りマイル仲買業者が潰れた際にも消費者が不利益を被らないよう、なんらかの法的規制を検討していた。



学校へ最後の角を曲がりながら、ちき子は思いを巡らせていた。父が下取り可能な商品を手当たり次第に集め始めたのはいつだっただろう?と。2年前か?それとも3年くらい前だっただろうか?

父は何事にもはまりやすい性格だった。“集める”という行為が純粋に好きだったのだろう。小さい頃は切手を集めていたとも聞いたことがある。それが最近は“下取り商品”を集めるために多大なる時間を割くようになっていた。

どこからもらってくるのか、ちき子の家には、将来の下取りに備えて集められた古い靴、破れた傘、ぼろぼろの文房具、焦げ付いた鍋、意味不明な量の衣服、などがストックされるようになっていた。もちろん家族は皆、父に助言した。「こんなに集めても、もう向こう数年は買い物に困らないわ」と「もうそろそろ下取り品を集めるのはやめましょうよ。」と。

しかし父は譲らなかった。「いいか、よく聞け。ちき子だっていつかは嫁に行く。その時に、新居にはいろんなものを買いそろえないといけない。鍋だって布団だって電気だってカーペットだっている。子供が生まれたら洋服やおもちゃ、文具もいるだろ。その時にこそこれらの下取り品が威力を発揮するんだ。わからないのか?」と。

ちき子はため息をついた。私はまだ14歳だ。お嫁に行くまでにいったい父はどれほどの下取り用商品を集めるつもりなんだろう。


ちき子の家は今やゴミ屋敷と化していた。人の良い父は下取り商品を集めていることを隠していなかったから、近所の人が不要品をよく持ってきてくれていた。「これをどうぞ。お役に立てれば嬉しいですわ」といいつつ不要品を持ってくる近所のおばちゃんが、ちき子はあまり好きになれなかった。「これじゃあ、うちはゴミ集積場扱いじゃない?」

思わず声に出してつぶやいてしまった。


その時、うしろから同級生のT子が明るい声をかけてきた。「ちき子、おはよう! 今の、お父さんのコトでしょう?」そうだ。T子は父のコトをよくしっている。なぜなら彼女の父親も少し前まで下取り商品のフリークだったのだ。それがある日、気がついたらしい。「要らないモノをひきとってくれるというから嬉しくて購買意欲が刺激されていたのに、今の俺は反対に“要らないモノ”を増やしているじゃないか」と。

「おはよう。そうね・・いいよね、T子ちゃんのお父さんは気がついたから・・」とちき子はため息をついた。T子はいった。「お父さんにも勧めた方がいいよ。うちのお父さんも“下取り中毒者”のための自助グループに通って初めて理解したんだから。あれは効果あるよ。」

「うん」とうなずくちき子を安心させるようにT子は言った。「うちのお父さんが“ちきおさんならきっといつか、わかる日がくる”って言ってたよ。」と。



そう言われてちき子は、父ちきおのやさしい笑顔を思い浮かべた。そして、もう一度大きく頷いた。「うん、ありがとう!」

いつの間にかどんよりとした空の雲に切れ目ができ、太陽の光がその隙間から差し込み始めていた。今日はいい天気になるかもしれない。



そんじゃーね。