コンテンツとパッケージング

今日は、「コンテンツの価値」と「パッケージングの価値」について考えてみます。

たとえば個別の漫画は“コンテンツ”です。これに対して、漫画雑誌は様々なコンテンツを集めて組み合わせ、一冊にして提供する“パッケージング商品”です。どういう漫画を組み合わせるか、新しい漫画家をどう発掘するか、と考え、魅力的な作品を取り揃えていくのが雑誌制作というパッケージング作業です。

一般雑誌、新聞、そしてテレビ局などの場合は、コンテンツを作ると同時にパッケージングも手がけています。コンテンツ作りとは個々の記事や個々の番組を作ること。それに加え「何と何を選んで、どういうスケジュールで提供するか」という、紙面編成、番組編成を決めていくのがパッケージングです。

ブログでも同じような概念がありますよね。ちきりんが書いているブログはコンテンツ。複数のブログを集めて紹介しているサイトは、ブログの“パッケージング・サイト”です。


さらにメディア以外でも同じ概念があり、たとえば旅行では、
・「飛行機チケット」「ホテル」「食事」「観光地」=個々のコンテンツ
・「ツアー企画(組成)」=パッケージング


「タンカー手配」「保険契約」「手形回収」=コンテンツ
「全部お任せください!」という商社パッケージング


スーパーマーケットやデパート、コンビニなども
食品や家庭用品など個々の商品=コンテンツ
店作り、品揃え、棚作り、全体のプロモーション企画=パッケージング


会社の業務では「研究」「開発」「製造」「販売」「経理」などがコンテンツで、
「経営」とか「事業開発」はパッケージング、とも言えます。


家庭でも、親の仕事とは一種のパッケージングです。
「学校」「塾」「習い事」「友達との遊び」「家族の時間」=コンテンツ
どれを選び、選んだものにそれぞれどう時間配分をするか(=どういう生活をさせるか、どういう子供時代をすごさせるか)を決める子育て方針=パッケージング、と考えられます。


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最近メディアの世界では「パッケージング」で価値を出す(儲ける)ことがとても難しくなっています。個々人の趣味思考が多様化してきたため、一般的なパッケージングに満足する人が少なくなってきたからです。

貧しい時代は皆の希望が同じです。まずは「おなかいっぱい食べたい」と思い、次に「家にテレビや冷蔵庫が欲しい」と思います。貧しいと「欲しいもの」が同じになるのです。

でも豊かになると人によって欲しいモノが変わってきます。車が欲しい人もいますが、要らないという人もいるし、海外旅行に行きたい人もいるけれど、興味がない人もいます。肉が好きな人もいるけどベジタリアンも現れる、といった具合です。一言で言えば、「豊かになる」とは「多様になる」ということなのです。


情報への要求に関しても同じことが起こっています。情報が乏しい時代は、皆が必要と思う情報は画一的でした。だから新聞やテレビは「マス」に対して、一般的な情報を取りそろえて提供していればよかったのです。

ところが豊かになって社会の同質性が低くなると、「自分はこの分野の話だけを詳しく知りたい。他の分野には関心がない」と、個人の情報ニーズが分化してきます。誰も彼もが「昨日の野球の結果が知りたい」わけではなくなるのです。このため「政治経済からスポーツ分野まで、一般的な情報を一通り揃えています」というマスメディアで満足できる人が減少しています。

また、ネットにはRSSなど「個人のためのパッケージングツール」もありますし、Twitterもフォローする人を選ぶことで自分が見たい情報をパッケージングすることができます。テレビでもCSの専門チャンネルを自分で組み合わせて視聴する人が増えています。

このように、自分でコンテンツを好きなように組み合わせることができる時代になり、“万人向け”のパッケージング・メディアが衰退しつつあるというのが、マスメディアから専門メディア、ネットメディアへの流れのひとつの特徴です。

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そしてこれと同時に起こっているのが、情報コンテンツ価格の急激な低下です。ここのところ、映像にしろ文章にしろ音楽にしろ、すべての情報コンテンツの値段が下がっています。

これも、従来のパッケージング・メディアの「見せ方」「売り方」が時代遅れになり、コンテンツを高く売ることができなくなったからでしょう。

コンテンツの価格はそれ自体の価値だけではなく、やはり「それをどう見せるか、どう売るか」という仕組みに依存します。今までは新聞や地上波テレビという圧倒的な力をもった「パッケージング・メディア」が存在していました。だからコンテンツにそれなりの値段が付いていたのです。

しかしパッケージング産業が(上に書いたように)市場の多様化についていけずにその価値を落としてしまったため、多くのコンテンツクリエーターや制作会社スタッフはワーキングプア状態に追い込まれつつあります。

海外の販路が新たに拡がりつつある漫画でも、そのパッケージングで一番儲けているのは漫画家でも日本人でもなく、外人のアニメファンの周囲にいる人達だったりします。


コンテンツの価格が下がっているのは、コンテンツの価値が下がったからではなく、パッケージングメディアの価値が下がったから、というのは皮肉なことです。

これから誰かが「情報」という分野に関して、「お金のとれる」=「消費者がお金を払っても手に入れたいと思うような」新しいパッケージングの方法を生み出さない限り、コンテンツクリエーターにとっては受難の時代が続くことでしょう。

そんじゃーね。