民主党を育てたもの

昨日、「新政権の初日」をテレビで見ていて、「民主党もいろいろ学んだよね。」とつくづく思った。


新大臣の誰一人として浮ついた表情を全く見せず、それぞれ鳩山総理から与えられたミッションと、マニフェストの諸項目にそって自分の仕事を理解しているように見えた。決意と緊張感を漂わせる表情は、誠実ささえ感じさせた。

メンバー間の意見の齟齬を突くような記者の質問にもそつなく答えている。「民主党政権 Day zero」としては上々の出来だったのではないか。今までは派閥で配分されていた“副大臣”などのポストも、それぞれの大臣がリクルーティングをやっているようだ。


お子ちゃまサークルのようだった民主党をここまでに育てたのは、数々の、多大な犠牲を余儀なくされた“大失策”であったと思う。

その最大のものは俗に言うメール事件だ。当事者は最後は自殺にまで追いやられた。民主党は解党の危機といわれた。あの事件なしに今の民主党はありえない。

小沢さんが大連立構想の直後にいきなり辞任するといい出した事件もそうだ。何もかもが音を立てて崩れ去るかと思われた。

誰もが認める将来のホープである岡田氏をリーダーとして臨んだ選挙では、郵政小泉軍団に圧倒的な力の差を見せ付けられ、「選挙を知らない政党」に未来はないことも思い知らされた。

議員バッチを見せびらかして合コン三昧の議員、キャスターとの不倫議員、挙句は薬でつかまるメンバーまで“輩出”した民主党は、単なる浮かれた“若者ぶったおじさんの集団”に過ぎないかと思われた。


それらのすべてのスキャンダルや、致命的な過ちや、浮わついた態度にたいして世間から食らった蔑視の眼差しのすべてが、民主党をここまでに育てた。と思う。


人も組織も同じなのだ。

私達は失敗と後悔と嘲笑される悔しさから成長する。



もちろん彼らは今、ようやく就職が内定した学生に過ぎない。就職活動時には、「社会に貢献したい」「インパクトのある仕事をしたい」と、野心に燃える優秀な学生の多くが目を輝かせる。しかし、社会に出たとたんに知ることになる世の中の現実は、想像をはるかに超える複雑さだ。

彼らと同様、民主党もすぐに「泳ぐ方法を学ぶこと」と「泳ぐこと」がどれほど異なるか、知るであろう。

それでも、そんなすぐ先に見えている苦難の道のりにも、過去に民主党が何度も経験したこっぴどい失敗の経験が役に立つんだろうと思う。


未熟なる人たちよ。

失敗しよう。

未来はそこにある。




ちきりんは民主党には“理念”を語って欲しいと思ってる。

世の中には「子育て手当てを金持ちに配るのはおかしい。年収制限をもうけるべきだ」などと、極めてもっともに聞こえる、超下らんことを言う人がいる。

でも、大声で言うべきだ。「子供は国で育てるのだ」と。


年収制限をつけたら、子育て給付金は単なる生活支援になってしまう。社会福祉になってしまう。でも、「子供は国で育てる」という理念を語れば、この政策は「国としての投資」になる。「未来に向けて、日本はどこに投資をしたいと考えているか」を示すことができる。


だから、ひよらないでほしいわけ。

高らかに理念を掲げ、どーんとぶつかって、玉砕すればいい。


それが民主党に期待していることだから。



そんじゃーね。