「何を言われたか」ではなく「何を言うか」

最近、政治家はもちろん大臣の要職にある人まで自分のブログで、しかも今まさに話題になっていることについて書いてたりする。画期的だよね。大臣の直接的な言葉が日本中一斉に同じ条件で読めるってすごい。

岡田外務大臣のブログ(リンク先は12月7日のエントリ)は更新頻度も高いし内容も充実してる。福島大臣のブログは、話し方と書き言葉が同じでおもしろい(口調=書調)。もちろん、ふたりとも非常に慎重に(あたりまえだが)書いてらっしゃいます。


菅副総理もちょっと前にブログで、日本の(おそらく)成長戦略について「現在、第三の道を深く考慮中」と書いてらした。それにたいして「今頃、考慮中なんて遅すぎないか」とあちこちで批判され、揶揄された。

ちきりんが興味を感じたのは、菅副総理がこれを書くことについてどの程度逡巡・躊躇されたのかな、という点。政権交代したばかりの新政権で、国家戦略部門のトップが、今の時点で「どの道を行くか、まだ分かっていないので検討中である」と書くってそれなりにインパクトがあると思ったので。


菅さんって、とても良い方っぽいけど、ちきりんには若干“脇が甘い”印象があります。年金不払い(未加入)問題の時も、調べてみれば自分が悪いわけではなかったのに、マスコミ報道だけでさっさと辞任したし、厚生労働省と渡り合って人気絶頂になった後には、女性問題でミソをつけた。と考えると、今回ももしかして特に何も考えず、素直に今の気持ちをブログに書いたのかもね、と思えます。


最初に書いたように、一国のNo.2にある人の考えがストレートにブログで読める時代はすばらしい。だけど同時に、こういうのって怖いよね、とも思う。

下手をすると大きな問題(議論、炎上の可能性)になるし、大臣の発言ともなれば時には市場に影響を与える。海外メディアが「日本の外務大臣が自身のブログで○○という意見を・・」と報じる可能性だってある。

自民党もTwitterの勉強会を始めたらしいけど、ネットでの政治家の直接的な発言が増えると、政治が身近になり、政治家にも民意が伝わりやすくなるなどメリットもある反面、それをどう戦略的に使うか、そして、いかに自分で墓穴を掘らないか、とても大事になるよね。


それはつまり「何を言われたか」を気にする時代から、「何を言ったか」が圧倒的に大事な時代への移行ってことなのですよ。政治家でさえ、「報道される対象」から「表明する人」になるわけ。

一般的に政治家は常にマスコミやジャーナリストに批判されている。でも「何を言われているか」は今までほど気にしなくてよくなると思われる。明らかな誤解や中傷については、自分のブログで反論すればいい。大臣のブログなら確実に一定のアクセスを集められるんだからね。


その一方で「何を言うか」には、これまで以上に気をつける必要がでてくる。今までなら「あんなことを言った覚えはないのに曲げて報道された」とか「一部の発言だけを取り出して放映された」と言っていればいいけど、これからはそうはいかない。

これからの政治家のスキャンダルは「書かれる」ことではなく「書くこと」によって起るのかもしれない。政治家は、自分に関して批判的なジャーナリストの記事に目を配るより、自分の言葉に注意を払うほうが、よほど大事になる。


大臣のブログとは比較にならないけど、ちきりんの日記にもブックマーク、ツイッター、さらにはトラックバックでいろんな意見が寄せられる。賛成や賞賛のコメントもあるし、批判や罵倒のコメントもある。

でもその内容を気にする必要はあまり感じない。なぜなら多くの場合、そのコメントで評価されるのは“コメントの書き手”であって、ちきりんではないから。


誰かがちきりんブログに大絶賛をするコメントをつけたとしても、それを読んで「そうか、このエントリはすばらしいのか」なんて思う人はほとんどいない。

批判の場合も同じ。私が誰かのエントリに「意味不明な内容だ」とコメントしたとしましょう。いくらちきりんファンの人でも、それだけでそのエントリが意味不明だと決め込む人はいないよね。一方で、そんなコメントをするちきりん自身の「読解力」や「ちきりんの人格」は、厳しく問われることになるでしょう。


リアルな世界でも同じです。周りの人が自分の悪口を言っても、あまり気にする必要はありません。その悪口を聞いた人がそれを鵜呑みにし、あなたのことを悪く思う可能性は必ずしも高くないからです。

だけれども、「自分の言動」には気をつけるべきです。それによって、まさにあなたは評価されるのです。誰かの悪口を言っている時、それによって評価されているのは「悪口の対象」ではなく、「悪口を言っている自分」だってことを忘れてはいけません。


★★★

国家戦略局のトップという立場で、「自分はまだどの道を進むべきかわかっていません。今考えつつあるところです」と公言する菅さんは、あまりに素直で無防備に見えます。これを見て、政治家でさえ、週刊誌に「どう報じられるか」より、自分が「何を書くか」の方がよほど重要な時代になるんだなと思いました。

文章は、ブログであれつぶやきであれコメントであれ、書き手の性格や思想、姿勢、論理性、政治性から感情の表し方まで、多くのものをビビッドに伝えてしまいます。直感的には、短い文章であるほど端的にそういうものを伝えるように感じます。

つまるところ、「何を言うか」は「何を言われるか」とは比べものにならないくらい重要だということです。

文章をパブリックな空間に残すことの意味を再認識させる、そんな菅さんのエントリでした。もちろん、こんな大量な文章を公開して残している自分への意味合いとして、という話。


そんじゃあね。