昨夏に始まった裁判員制度。報道もようやく一段落しましたね。
一般市民が重要犯罪の裁判に参加するこの制度を、次の3つの理由により、ちきりんは高く評価しています。
(1) 司法判断に多様な価値観が反映できる
日本で職業裁判官制度への支持が厚い背景には、「国民の大半が同じ価値観を共有している。だからみんなで話し合って決める意義は小さく、知識と経験のある職業裁判官が代表して裁けばよい」という前提があるからでしょう。
しかし今や日本人の価値感も相当に多様化しており、それらの“多様な考え”を判決や量刑に反映することには大きな意義があります。
たとえば、年老いた病気の妻を何年も介護し、その生活に疲れた夫が妻を殺害したというような事件に関して、有罪か無罪か、どの程度の量刑が適切か、という意見は人によって違います。
裁判官になるような人は、その多くが似通った環境で育っています。
「老老介護の現実」について思い浮かべることも、裁判官と一般市民では大きく異なるかもしれません。そうであれば、多くの人の考え方を反映した判断がくだされることの意義は小さくないはずです。
ちなみにアメリカでは、有罪か無罪かのみを陪審員が決めるのですが、彼らから見れば職業裁判官に総てを委ねるなんて“ありえないくらい不公正な裁判制度”に見えるでしょう。
被告が黒人やヒスパニック、犯罪被害者が白人の場合、白人の裁判官に裁かれると聞いただけで「そんな不公正な裁判では勝てるはずがない」と考える人もいます。
人種差別云々の話だけではなく、価値観や人生において“見知ってきたこと”が大きく違うと考えるからです。
正義とは天から降ってくるものではありません。「誰か自分達より優れた人」が決めてくれるものでもないのです。
その時代に、その社会に生きている人達がみんなで、「今のこの時代において、何が正しいとされるべきなのか」という価値感を形成するのです。
社会における価値感がますます多様化しつつある今、こういった制度を導入したことの意義を、ちきりんは高く評価しています。
(2) 司法プロセスの質の向上が見込める
今まで検察官や弁護士は裁判において「いかに裁判官を説得するか」を競ってきました。検察官と裁判官、さらに弁護士は元々は同じ試験勉強をし、一緒に研修を受けた仲間です。過去の経歴も似通っています。
しかしながら裁判員制度になると、検察官は裁判官に加えて、“多様な一般市民”をも説得する必要がでてきます。
「自分のよく知っている人達」を説得するのと、「よく知らない、毎回違う、いろんな人達」を説得するのと、どっちが大変ですか? どちらが「より周到な準備」が必要でしょう?
当然、後者の方が難しいし、準備も大変ですよね。
“あうん”の通じる部分が小さくなり、誰にもわかりやすい、世間で通用するロジックで資料を用意しなければ主張が通らなくなります。
裁判員制度について「プロの仕事の、市民への丸投げだ」という批判も聞くのですが、今回、司法関係者の仕事が(丸投げで)楽になったりしているわけがありません。寧ろ、その準備は格段に大変になったはずです。
今回の制度の導入で、検察側も弁護側も「仲間内だけで通じる論理と証拠」では公判ができなくなりました。
彼らは「一般の人達は、どういうふうにモノを考え、なにを正しいと思うのか」を考えるようになります。「一般市民を理解する」ことが、職業司法人に求められるようになるのです。それってすばらしいことですよね。
(3) 市民が国の運営に参加することに意義がある
上記は「プロ側が一般市民にたいする理解を深める」というメリットですが、反対に「一般市民が公権力や国の仕組みへの理解を深める」というメリットもあります。
裁判官や検察官が狭い世界で生きているように、一般の人だってごくごく狭い世界で生きています。
裁判に参加することにより、私たちもまた広い世界を知ることになるし、その多様な人達のいる社会がどう運営されるべきか、考えを深めることができるでしょう。
死刑制度の存廃、脳死からの移植制度や少年法の在り方、責任能力の問題など司法に関することだけではなく、社会福祉の在り方やコミュニティの問題など、裁判をひとつでも体験し衝撃的な社会の現実を目にすると、人の考えは大きく変わります。
「自分とは全く異なる意見の人がいる」「自分には理解できない世界の人達がいる」と知ることの意義は、誰にとってもとてつもなく大きいはずです。
また、公権力がどういった力を持っているのか、について知ることも大事です。
ちきりんは、司法だけでなく立法(国会)や行政(官僚組織)についても、国民がそれぞれ1週間ずつでも経験できる制度があればいいのにと思います。
参加する私たち市民には、社会制度への問題意識、社会を作っていく事への連帯感や責任感が醸成されるでしょうし、同時に、常に一般人に見られることになる公権力側にも確実にいい影響があると思います。
素人判断は危険という人もいますが、玄人の裁判官がやってきて、あれだけの冤罪があるのです。
裁判員を経験した人は、「人を裁くことが怖い」「本当にあれで正しかったのか今でも悩む」と取材に答えていました。まさにそういう感覚を持っている人こそが、人を裁くプロセスに参加すべきなのです。
万が一にも自分が被告席に立つことがあるなら、「人を裁くことの重さを、痛いほどに意識している一般の人」にぜひ裁判に参加して欲しいと思います。
もちろん、新しい制度ですから細部には改善が必要な点も多いでしょう。私は“細部まですべて完璧でないかぎり、一切始めないほうがいい”とは全く思っていません。
新しいモノを創るプロセスとは、未完成なモノを継続的に改善していくプロセスなのです。
新しいことは、ある程度考えたら、後は実際にやりつつバグ出しをして直していけばいい。患者の命がかかっている外科手術でさえ、長い期間そういうプロセスを経て、現代の医学技術として確立されてきたのです。
裁判員制度が、今後も少しずつ改善され、日本社会に定着していくことを心から期待しています。
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裁判員制度サイト
http://www.saibanin.courts.go.jp/
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