ガバナンス

キリンとサントリーの統合交渉決裂“後“の顛末がおもしろかった。

キリンは交渉中止発表の直後に社長交代を発表。必ずしも関連つけられてはいないけど、統合が成功していてもここで社長交代だったと思う人は多くないだろう。

これがキリンのガバナンスのあり方だ。心機一転、組織は次のリーダーと共に、未来を賭けるべき次の成長機会を探す。極めて合理的で妥当な決断と思える。株主も組織も“新しいリーダー”を求めただろう。


一方のサントリー。社長交代はもちろんない。創業家4代目の佐治信忠社長は、「5年以内に次の相手を探す」と力強く語った。そのリーダーシップをとるのが誰かという点は問うまでもない。

サントリーという企業は自分が率いるのだ。ひとつの提携が巧くいかなければ、次を考えるまでだ。いろんなことがあるけれど、この会社のグローバル化に道筋をつけるのは自分の役割だ、という決意と自負が感じられた。

なるほど。と思った。

これも“当然”の帰結のように思えた。一族の株主も組織も、彼の続投を支持するだろう。


これが、公開企業と同族企業のガバナンスのあり方の違いだ。
どっちがいいとか悪いとかではない。リーダーとは何をする人なのか。リーダーの責務とは何なのか。がよくわかる明確なコントラストだと思った。どちらも非常にきもちのいい記者会見だった。形は違うけれどガバナンスはしっかり効いている。責任の取り方はひとつじゃないのだ。



もうひとつ。リコール問題に揺れるトヨタ自動車。

2008年秋のリーマンショックを経て、大幅な稼働率の低下に見舞われたトヨタ自動車は、その直後、2009年春に創業家の流れを引く豊田章男氏を社長に選んだ。

日本的経営でならした同社が厳しいリストラを行うために、“創業家のトップ”という求心力に頼りたいと思ったことはよくわかる。

2009年11月にはF1からの撤退を発表したが、こういう決断も“創業家トップ”の方がやりやすい。これをサラリーマン社長がやると「豊田家と現経営陣との確執」みたいな話をくすぶらせる輩が必ずでてくるからだ。

「トヨタの豊田社長」で危機を乗り切ろうと一丸になって進んでいたその時、リコール問題が勃発した。あちこちで指摘されたように、当初、謝罪にでてきたのは副社長や米国社長ばかり。なんで本社のトップが頭をさげない?この件でトヨタは、リコールそのものよりも事後処理の部分でよりトラブルを大きくしている。

なんでこんな対応しかできないのか?


「章男さんに頭を下げさせるわけにはいかない」ってことなんじゃないか、とちきりんは想像してる。もちろん本人の考えではない。そう考えた人が中枢にいるのだ。もしも今のトップが“成り上がり社長”であれば、その人は真っ先にカメラの前で頭を下げたのではないか。


リストラには創業家の求心力を利用したいが、
外国での遠慮のない非難の前に、プリンスを立たせるわけにはいかない。


トヨタという会社のガバナンスがどういうものか、ビビッドに浮かび上がる。公開会社のくせに同族会社の振りをするからこういうことになる。



偶然だけど、とてもいい例が揃ったと思った。大学の経営学部や日本のMBAプログラムで“ガバナンス”について教えるなら、こういう事例を題材にしてじっくりディスカッションすればいい。そうしたら大学の授業もちっとはおもしろいものになるだろう。


いろいろ勉強になる。


そんじゃーね。