私は医学には詳しくないですが、ここ 10年ほどの間に「感染症ってすごく怖いものなんだ!」ということは理解できました。
今までなら“怖い病気”と言われたら“ガン”を思い浮かべたけど、今“怖い病気はなにか”と問われれば、“感染症”と答えます。
とくに“社会的な怖さ”に限定して考えると、感染症はガンの怖さを遙かに凌駕してると思います。
そういえば、昔は死病といえばガンではなく結核だった。この結核は感染症です。
だから昔の映画やドラマで結核の人がでてくる場合、それは医学的な問題としてだけではなく、社会的な問題として描かれることがよくありました。
嫁いできたお嫁さんが結核になると、屋根裏に隔離して食事もドアの外までしか届けず、もちろん跡継ぎとなる子供にも会わせない、とかね。
遊郭を舞台にした映画でも、肺病(結核)になった女の子が狭い物置に隔離されたりする。
現実の話としても、戦後、街で赤痢患者などが出ていた頃には、患者を出した家の人が自殺したりすることもあったらしい。
隣近所も含め大がかりな消毒作業が行われたり、風評で隣近所の食べ物屋が潰れるなど、”ご近所”に大きな迷惑がかかるから。
つまり感染症とは、病気になった人が幸いに回復したとしても、「社会的な死者の出る病気」なんです。
でも結核の特効薬が現われ、衛生状態がよくなり予防ワクチンができたり、栄養状態も改善して、、、「感染症がすごく怖い!」という認識は、高度成長と共に次第に薄れてきていました。
それが再び注目されたのは、鳥インフルエンザやSARSなど異常に致死率の高い(and / or 感染力も高い)ウイルスが確認され、流行の兆しを見せはじめた頃です。
SARSが大問題になったのは 2003年頃で中国、香港等が舞台、海外旅行が一気に減るなどの影響がありました。
その次に記憶に鮮烈なのは、鳥が大量に死んでいたのに、卵や鳥を出荷し続けて鳥インフルエンザの感染を拡大させた浅田農家の事件。
最終的には社長夫妻が首つり自殺して・・・
本当は鳥インフルエンザを疑い、鳥を処分しなくちゃいけなかったのに、そんなことをしたら会社が潰れてしまう。だからできなかったんでしょう。
でもそれが原因で広い範囲の養鶏所が出荷を止めざるをえなくなり、消費者が卵を買わなくなる事態にまで発展。
社長夫妻は社会に顔向けできなくなり、死を選ぶという最悪の結果となりました。
★★★
さらに、2年前からの豚インフルエンザ騒ぎ。
SFに出てきそうな宇宙服にマスクの人達が飛行場で薬を散布しまくる様子は、後から「あれはパフォーマンスであり、実効的な意味は特にないんです」と聞く以前から意味不明な行為に見えてました。
流行地の神戸は観光面で大打撃を受け、休校になった高校生達はカラオケ屋に押し寄せ・・。
マスクが店頭から消滅し、ネットでは1万円ものマスクまで売られる始末。
このとき私は、感染症というのは命や健康を脅かすと疾病としての怖さだけではなく、社会や人間にその良識や問題解決能力を問う病気なのだと理解できました。
ガンで民族が滅亡する可能性は考えにくいけど、感染症は過去においても文明を滅亡に追い込んできた歴史があります。
地球温暖化で地球が滅びるとかいうけど、ちきりん的には、この現代の文明が消滅することがあるとするなら、その最も有力な理由は感染症ではないかと思います。
★★★
赤松農林水産大臣の、宮崎の口蹄疫問題に関する発言の“口調”はとても気になります。
種牛殺処分の延期を求める宮崎県に対し、「延期などありえない」と答え、「まだあの 49頭が生きていること自体が問題だ」と断じる大臣の口調には、これらの種牛を処分せよと命じられている人達の心持ちへの配慮があまりに欠けているように思えたから。
感染防止の観点からはすぐさま殺すことが必要なのでしょう。
だけれども、もう少し言い方があるんじゃないか、とも思います。
「心中は察して余りあるが、これらを生かしておくことがどれだけ危険なことか、もう一度理解を求めたい」くらいの言い方がなんでできないかな。
そもそも国って簡単に「すぐに殺して 72時間以内に埋めてください」とかいうけど・・・・
畜産農家って牛を数頭もってるとかじゃないでしょ。豚なんてもっと多いよね。
百頭、千頭レベルの牛や豚を即刻殺して埋めろといわれても、「どこに埋めるの???」って感じじゃないでしょうか。
どうやってその穴を掘るの?? 工事用のショベルカーを手配して???
そんなこと、費用の面からも手配の面からも、畜産農家や養豚家が今日明日にできることじゃないのでは?
なんていうか、相変わらず中央の役所から飛んでくる指示っていうのは現場感がないよね。
種牛の処分に抵抗している宮崎県の畜産関係者の気持ちはよくわかるし、やりきれない思いがします。
牛の肉質は遺伝に大きく左右されるから、種牛を全部処分することは,、それまでそのブランド牛を支えてきた“品質の歴史”すべてを捨てることを意味する。
しかも同じレベルの種牛を育てるには最低 10年、長いと 20年もかかるでしょ。
現在 50歳以上の畜産関係者にとっては時間だけでも“廃業勧告”に近い。
若い人でも、得られる補償額は被害額の半分にも達しないんじゃないかしらん。
イギリスは 2001年に発生した口蹄疫で牛、羊など 1000万頭を殺処理したし、台湾は 1997年に豚 380万頭を含む家畜 500万頭を殺処分してる。
日本では今のところ殺処分の対象は数万頭と報道されており、その数はイギリスや台湾の 100分の1以下の規模です
でもひとつ間違えれば(感染が本州の家畜にも飛び火し)、被害が100倍になる可能性をはらんでいるわけで。
今の段階で収束に向かわせられるかどうかが勝負であって、全国の畜産農家、養豚場や養鶏業者の方は生きた心地がしないでしょう。
これって実は都会の人にも他人ごとではない。
都会には「家族の一員です」といって犬や猫をかわいがる人も多いけど、それらの犬や猫がかかる感染症で危険なモノが現われたら、
いきなり法律で「都内のすべての犬・猫に殺処分を命じる」と言われる可能性もあるんだよ。
「うちの○○ちゃんは家族の一員なんですっ!」とか言っても、「何を言ってるんだ。まだ殺してないのか。」みたいに言われちゃう。
おそらく国が殺処分を求めないのは、かろうじて“人間”だけです。
その人間でさえ、流行る感染症の致死率や感染力によっては、完全隔離が求められる日がくるかもしれない。
たとえ 2歳の赤ちゃんでさえ、その病気だとわかったら隔離病棟に移され、いつ死んでしまうかもしれないのに親も会うことは許されず・・・みたいなことは十分に想像できる事態では?
その患者がでた家族は全員一切の外出を禁じられて自宅に幽閉され・・みたいなね。
そういうとき、私たちはどう対応するのか?
結局のところ感染症が問うのは、医学や薬学のレベルではなく、人間社会のレベルなんだよね。
最後に、感染拡大が起こった時期に赤松大臣がGWにキューバに“外遊”していた件。
大臣、政治家、さらに地方行政団体の長や議員達が、GWやお盆に“税金で海外旅行”もしくは“税金で国内温泉旅行”に行くのは、この国では“天下り”と同じくらい広く行われている慣行で、呼び名は“外遊”とか“視察旅行”、“議員研修団”とか。
海外の場合の行き先は、小国が多いです。
小国なら二国間には難しい外交問題もないし、しかもODAなどの(これまた税金で支払う)お土産をもっていけるから、日本ではイチ大臣に過ぎなくても現地では国王みたいな待遇で迎えてもらえる。
しかも官僚はこういう旅行をお膳立てすることにより、大臣に取り入ることができる。時には弱みも握れる。
何でもよろしくやってくれる官僚達に、大臣だって感謝する。
既に口蹄疫の感染拡大が予想されていたタイミングで、農林水産大臣が本当にキューバにいく必要があったのか、ということについては、当然問われなければならないけれど、
でもこの件については、鳩山総理が久しぶりにいいことを言っていました。
いわく「今は責任問題を云々する時ではない。今は対策をとることが大事なのだ」って。
そうね、私も同意します。今は対策が大事。
責任の方は、7月の参議院選でどうせとってもらえるから。