組織度(大)から個人度(大)へ

それぞれの時代には固有の“組織度レベル”がある。組織度(大)から組織度(小)まで。組織度(小)のことを個人度(大)と呼んでもいい。時代の移り変わりとともに、この数値は“大から小”、“小から大”へと連続的に変化する。

最初は大きな組織なんて存在しない。江戸時代なら豆腐屋とか鍛冶屋とか。戦後なら八百屋とか肉屋とか。商業が高度化すると次第に大組織が出現する。越後屋から百貨店に、パパママショップからスーパーに、繊維問屋が大規模商社になったりね。そしてそのうち企業グループが形成される。

行政組織だって、最初は小さな村なのにだんだん統合され階層化されて、巨大な官僚組織に仕上がっていく。どこの分野においても、最終的にはものすごい複雑で完成度の高い“組織社会”が作られる。


ところが組織度レベルが高くなりすぎると、それを息苦しく感じる人がでてくる。そういう人は最初は「ドロップアウト」とか「落伍者」と呼ばれる。でもだんだん組織の中で生きることを善しとしない人の方が増えてくる。むしろそっちの人の方がリーダーじゃね?みたいになってくる。すると社会の組織度レベルは下がり、“個人の社会”がやってくる。個人が組織に対峙するような社会ムーブメントが起る。


図にするとこんな感じ↓ 縦軸が組織度レベル




左上から見ていくと、まず江戸幕藩体制という強固な組織。作り上げたのは家康から続く徳川の将軍達。でも300年もたつうちに形式的な組織のルールなんぞが増えてきて、“あほらし”とか思う人が出てくる。“こんなんじゃアカンやろ”と思う人も現れる。そしてそこに“脱藩”を志す人が登場。まさに「個人の組織からの独立」ですよね。

でも、江戸幕府の終焉という混乱を経た社会はすぐに次の組織を必要とする。精鋭達が必死で西洋に近代国家の統治機構という組織の在り方を学び、明治官僚体制が構築される。今も生き残る官僚国家日本の基礎はここでできあがった。そして、開国からまもないのに必死で先進国に追いつこうとする。組織一丸となる。富国強兵ってやつですね。


でも、「そんなん、つまんなくね?」みたいな人がでてきて、大正デカダン文化が花開く。「富国強兵のために生きるって変じゃね?」みたいな。「もっと好きに生きようよ」と。お上にたいしても好きなこと言おうよ、新しい思想を考えてみようよ、と。それが大正デモクラシー。

でも、そんな個人の時代も軍歌が聞こえてきたら終わり。社会は一気に「大政翼賛」に向けて組織度を高めていく。軍隊、地域のコミュニティ、家族親族、すべてが戦争体制のためにがっちりと組織化される。

それが敗戦で一気にぶち壊れると、その反動としてまたもや人は“個”を主張しはじめる。べ平連とか、新宿の地下街でのフォークゲリラとか、ヒッピー文化とか。若者達は“オレは組織に従属しないぜ”という主張を表現するために髪を伸ばし、ジーンズをまとう。

でも・・やっぱり高度成長の波には勝てない。「僕も髪を切って就職することにした」みたいになり、個人は再度、組織化されていく。全員が大企業社員と公務員を目指す社会。組織はどんどんでかく強固になる。


んが、最近になってまたみんな気がつき始めた。「会社のために病気になるまで働くなんて変じゃね?」と。「確かに安定はしてるけど・・人生は短いのに、ほんとにこれが、オレが自分の人生の時間を使いたいと思えることだっけ?」と。


組織度(大)→個人度(大)への移行期に私たちは生きています。


組織度(大)の時代に成功してきたお父さんは、子供の育て方を間違えない方がよいかもです。


そんじゃーね。