成長が無理なら、流動性を!

先日来、掲載が始まっている赤木智弘さんとの対談。(第六回目はこちら) その準備のためにいくつか本を読み、そこからいろいろ考えて新)4つの労働者階級というエントリを書きましたが、その中で一番最初に読んだのが赤木さんの「若者を見殺しにする国」です。

対談でも話しましたが“書き手の怒り”が伝わってくる文章で、ちきりんもこんな感じの文章を書きたいと思いました。


若者を見殺しにする国 (朝日文庫)

若者を見殺しにする国 (朝日文庫)


この本の副題は、「私を戦争に向かわせるものは何か」となっています。元になる論文「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」(論座 2007年1月号)を受けたもので、センセーショナルなタイトルが話題を呼びました。

「希望は戦争」・・・その意味するところは、ちきりん的に解釈すれば下記のような感じです。





左上のボックス。戦後の焼け野原から始まった日本の経済復興は、当初「ぐちゃぐちゃな経済成長」を始めます。既存の秩序は崩壊して存在せず、一流大学をでた人ではなく、闇市で巧く立ち回った人が財をなす世界であり、東京の名家に生まれた二世ではなく、田舎から一人で東京にでてきた一匹狼の少年が「財界のドン」と呼ばれるまでにのし上がれる世界でした。

急速に経済が復興するなかで、流動性の高い、きわめてダイナミックな、一言で言えば“固まっていない社会”だったのです。

田中角栄氏のように地方の貧しい家庭から高等教育さえ受けないままに歴史に残る宰相が生まれ、丁稚だった松下幸之助氏が国民的企業である“ナショナル”を育て上げ、低学歴で職を点々としていた根暗な青年が、日本を代表する社会派作家、松本清張となった、そういう時代です。


第二段階は、高度成長が続き、最後の仕上げの80年代に突入する頃までの日本です。経済は順調に成長を続けますが、その中で「社会の流動性」は急速に低下し、左上から左下のボックスに移ります。

良くも悪くも豊かな社会は“秩序”を求めます。高卒の初任給はいくらで大卒ならいくら、何年勤めて評価がトップ10%に入っていれば係長になるとか、うちの会社はこれらの大学からのみ採用します、といったルールができてきます。そうなってくると「一発逆転」や「最初はいまいちだったけど、だんだん成功して・・」みたいなことが起こりにくくなります。

さらに、制度的な秩序によって上位の席を得た人が、自分の席を守る目的で、その秩序をより強固なものにしようと画策し始めます。いわゆる既得権益を固守するための動きが起こり、それが社会の流動性をさらに押し下げます。

“逆転”が難しくなると、誰も彼もが“最初から失敗しないように、準備をして人生を進めよう。冒険なんてしてたらだめだ。回り道なんてしてたら取り返しの付かないことになる”と考え始めます。

小さい頃から塾に行き、いい学校に進んでいい会社に入って、何があってもそこにしがみつけ、となるわけです。流動性の低い社会では、途中でのやり直しが不可能なため、誰も冒険をしなくなるのです。


それでも経済が成長している間は問題は顕在化しませんでした。それが1990年を境に、日本は左側から右側の世界へ移ります。経済成長の時代から経済停滞の時代に移行したわけです。(左下から右下のピンクのボックスへ)

全体としてパイが縮小していく中での「社会の流動性の低さ」は、“下層”にいる人に大きな犠牲を強います。特に、自分で選ぶこともできないままにそういう位置(家庭や場所や時期)に生まれてしまった子供や若者にとっては、社会全体が「希望のない社会」と映ります。

もちろん全体のパイが縮小する中では、下層の少し上でかろうじて水面の上に顔を出している人たちも必死で自分を守ろうとします。そんな彼らの動きが、より固定的な社会を作っていくのです。


もう一度、この4ボックスの表を見てください。右下のピンク色の箱から脱出するにはふたつの選択肢しかありません。ひとつは左に戻ること。すなわち、再度の経済成長をめざすこと、もうひとつは上に移動すること、すなわち社会の流動性を高めることです。

左に行くことを目指すべき、という人たちは「どうやったら経済成長できるか」を論じます。方法論としては、規制緩和や市場主義を徹底すべき、という人もあれば、とにかくまずは紙幣を印刷しろ、という人もいます。いまだに“産業政策”なんてものを支持する人さえいます。

けれど、すでに何十年もそれらの試みは成功していません。右側から左側に戻るという試みは全く成功していないのです。その責任は、政治家、官僚、経営者など、社会の各分野で指導者の地位にあった人たちにあります。

彼らももちろんそのことを理解し、忸怩たる思いでいるでしょう。しかし彼らの“失敗”の犠牲になったのは彼ら自身ではなく、被指導者層にいる人たちです。


「経済停滞」×「流動性の低い社会」の組み合わせで、20年もの長きにわたり社会の下層に固定された人たちは、指導者達の無能さに業を煮やし、「何をやっても左に戻れないなら、上にいくほうがましだろ!」と言い出します。

それが「希望は戦争」であり、
「まずは破壊せよ」と望む“ぶち壊し屋”の政治家の本意であり
「混乱loverをうそぶくおちゃらけ社会派」だったりするわけです。


そんじゃーね