話す

話のテンポや関心が合う人と飲んだり食べたりしながら話をするのはとっても楽しい。

あたしはいっぱい話をする。

いっぱい話したいことがあるし、いっぱい聞きたいことがある。

たいていの場合、相手も同じだ。

私にたいしていっぱい話したいことがあるし、いっぱい聞きたいことがある。


食事とお酒をあわせて、ふたりで 5時間、6時間話していても話題が尽きない。

しかも相当なスピードで話してるのにね。

それは早口というだけじゃない。

言葉は「言いたいことが伝わったところで終わり」だから、相手も(話がわかったところで)割り込んでくるし、こっちも「わかった」ら割り込む。

言葉は伝えるためのツールに過ぎないのだから、相手の言いたいことがわかったらそれ以上、聞いている必要はない、というルールを双方が共有している。

それは「失礼なこと」でもなんでもない。


さらに、意見が違っていても合意する必要はないし、戦う必要も、話題を避ける必要もない。

なんで違うのかがわかればいいだけ、とお互い理解できてるから。

結論を出すということの認識も共有できているから、お互い、相手の言葉を聞きながら考えるのは、「つまり結論はなに?」ということだけ。

だから話がめっちゃ早い。


一見ぐちゃぐちゃに話していても、論点が混乱することはほとんどないし、レベルがズレればすぐにどちらかが整理する。

時には、「さっきの話はズレたよね?」とお互いに遠慮無く指摘する。
「確かに。さすがだね」と指摘された方が笑う。

言葉より比喩に多くを語らせられるのは、比喩から読み取るものが同じだからだ。

比喩が使える相手だと、圧倒的に効率よく言いたいことが伝えられる。


話すルールが同じだとこんなに楽なんだと気がつくのはそうでない機会に遭遇した時だ。

いつもと違うルールや前提やスピードや密度で話すには、ちょっとばかしの忍耐とスキルが必要になる。


一番困惑するのは話したいこともなく、質問されることにも戸惑う人。

どうすればいいのかわからない。

話が前に進まないことが気にならない人もなかなかに悩ましい。

てか、そういう人が、あたしに会いたいと思う理由さえよくわからない。



そんじゃーね



神楽坂の“お箸で食べるフレンチ”なお店

写真と本文は無関係です。