変わらない。替わるだけ

人にとっても組織にとっても、「変わる」ことは簡単なことではありません。

特に日本ではあまりに「変わる」のが難しいため、「替わる」方が「変わる」より早く起こることもあります。というか、「替わる」を待たなければ何も変わらないことさえある。


たとえば日本の大企業や公務員組織には、明らかに給料が高すぎる正社員がたくさんいます。でも彼らの給与を(下げる方向に)変えるのは非常に難しい。

だから経営者は彼らの給与は変えずに、新規に雇う人を非正規雇用に替えることにより、少なくとも今後雇う人に関しては給与を適切なレベルまで下げようと試みます。

弱者を支援する人は「非正規社員の給与・待遇が低すぎる」と言いますが、経営者からみれば「いや、そっちは妥当な額です。正社員の給与・待遇が高すぎるだけ」というのが本音。

労組の反対により正社員の給与を変えるのが難しいなら、労組が守らない雇用形態の労働者に少しずつ入れ替えていこう、と考えます。

今は被雇用者全体の3割である非正規雇用の比率も、そのうち7割くらいまで高まるのではないでしょうか。

正社員を非正規社員に替えていくことによって、日本企業は人件費をグローバル水準に変えようとしています。しかも「解雇規制を変える」のは不可能でも、これにより「大半の従業員は解雇可能な人に替えられる」のです。


先日、電子書籍の話を書きましたが、現時点で「紙の本の方が圧倒的に読みやすい」という人の意見は、いくら高性能な電子リーダーが出現してもなかなか変わらないでしょう。

そうではなく、最初から電子リーダーで本を読むことに慣れ親しんだ世代がでてきて、書籍市場における主流の顧客が、“紙派”から“電子派”に替わることによって、電子書籍の売上げが紙を上回るのです。

そういう意味では「紙の本はパラパラ読みができる」とか「デジタルなら検索ができる」などという機能比較の議論はあまり意味がありません。

電子化のメリットは(頭では)理解できても、特定の嗜好や習慣を身につけてしまった人が変わるのはやっぱり難しい。市場全体として主流派が替わるのを待つ方が早いでしょう。

この観点から教科書の電子書籍化は、「替わる」を促進するための有効な方法です。また変われない人向けには、「読むのは紙でもいいので、保管と活用は電子書籍にしましょうね」的に(紛争地帯を避けて)電子化を進めていけばいいわけです。(それについて書いたのが、こちらのエントリです。)


売れないと言われる自動車市場でも、コンパクトカーや軽自動車は人気です。そもそも日本みたいな小さな国で日常の足として使うだけなら、今の日本の普通自動車はハイスペックすぎるし、初期投資も維持費も高すぎる。だから本当は、普通自動車がもっと「ロースペック・格安」に変わればいいだけ。

でも普通自動車を作ってるメーカーはそんなことしたくない。高品質こそが日本車の売りだし、自らタタ(インド車)や軽自動車と差別化できない世界に突っ込むなんてありえない。だから普通自動車は相変わらず高くてハイスペックなままです。

でも、新たに車を買う顧客は大きな車を買わないので、市場にある車が少しずつ普通自動車から小さな車に入れ“替わる”。


ソーシャルネットワークや特定コンテンツの栄枯盛衰も同じ形で起こります。一旦、特定のサービスやコンテンツのファンになった人の多くは、長きにわたってそれを変えません。

コアなファンとして精神的な愛着を感じているし、技術的・手間的にも使用サービスを変えるのは面倒だからです。

しかしながら新たにネットの世界に入ってくる人が、異なるコンテンツや新しいネットワーキングツールを選び始め、そちらが多勢になりはじめれば、人気SNSも人気コンテンツも代替りが起こります。

どの世界でも“主役”が交代するのは、既存の主役のファンが心変わりをするからではなく、新たに入ってきたファンが別のものをまつり上げていくからなのです。



アメリカみたいに変化の早い国では、「替わる」をまたずに「変わる」ことが多い。だから生き残れる。

でも日本はもっぱら「替わる」方式なので、変化のスピードが超ゆっくり。そしてそれに安心してると、市場の変化に応じて自身を変えられない人や組織は、新しいモノにとって替られ、消えてしまうことになる。

企業も個人も同じです。変われば生き残れるのに、変わらないから替えられる。どっちがいいか、よーく考えよう。


そんじゃーね