解雇するスキル

日本には「解雇規制」という判例法があり、大企業はこれをしっかりと守っています。公務員や準公務員も、原則として解雇されることはありません。

反対から見ると、日本の大企業や公務員組織の管理職は、「能力のない部下をクビにする」という職務を経験したことがない、ということです。


大企業がやったことのある解雇とは、「みんなで渡れば怖くない」方式の解雇ばかりです。たとえば工場を閉めるので全員解雇とか、業績が非常に悪いので一定年令以上に早期退職を募集する、などですね。

この場合、人事部スタッフは早期退職を促すための個別面談を行ったり、(ひどい会社になると)仕事を取り上げて電話もない部屋に対象者を幽閉し、退職を促すこともあると報道されます。しかしいずれの場合も、解雇理由は「会社の業績がどうしようもないから」であって、「会社は儲かっていますが、あなたの能力が足りないから」ではありません。

また、このタイプの解雇では前面にでるのは人事部のスタッフであり、「解雇される人の直属の上司」ではありません。


しかし、解雇規制が事実上、適用されていない中小・零細企業や、外資系企業では、解雇とは「その人の能力が足りないので、辞めてもらう」ことを意味し、この業務を遂行するのは、その人の直属の上司(もしくは小規模企業なら経営者)です。

この場合、解雇目的は人件費削減ではありませんから、能力のない人を解雇した後、他の人を雇う場合もあるし、時には後から雇う人のほうが給与が高かったりもします。

そして、解雇にあたり「業績が悪いから仕方ない」ではなく、「あなたが仕事ができないから辞めてもらいます」と伝えた上で、次の人に仕事を引き継ぐよう指示をする必要があるのです。


さて皆さん、皆さんの部下に「かなり仕事ができない」人がいるとしましょう。「こりゃ、もう救いようがないな。アカンわ」というレベルの部下だとしましょう。

解雇規制のない世界では、その人を解雇するのは、あなたの仕事です。


具体的に想像してみてください。あなたはどうやって、その人を解雇しますか?

個別面談をしますか?

面談では、どう話を切り出しますか?

何か資料を用意しますか?どんな資料ですか?

相手からはどんな質問が想定されますか? いや、質問の前に、「相手はどんな反応を見せるでしょう?」、そして、それにたいしてあなたはどう対応しますか?


ちきりんは思います。解雇規制が撤廃されたら、大企業や公務員組織の管理職はパニックだろうな、と。

解雇に関しては、首になるほうの負担ばかりが強調されますが、当然ですが、解雇するほうにもそれなりのプレシャーがかかります。

最初に解雇には2パターンあると書きました。「業績が悪いから全社一斉でリストラ」する場合と、「業績は問題ないけれど、個人の能力が足りないから解雇」する場合です。解雇する側にとっても、それぞれに異なるつらさがあります。

前者の場合、仲間の解雇は会社から指示された仕事であり、自分としては納得できない仕事かもしれません。さらにたいていの場合は(会社の業績がひどいのですから)自分の給与も下がるし、仕事はより忙しくなります。大量の社員を解雇しても自分にはなんのメリットもないのです。

それなのに、恨まれるのは解雇という仕事に直接関わった人たちです。一定数を一定期間までに解雇に追い込め(早期退職プログラムに応募させろ!)とプレッシャーを掛けられ、そのノルマを果たすために、口汚く社員をそしらなければならないとは、どれだけつらい仕事でしょう。

このタイプのリストラに関わった人事部スタッフの中には、その後メンタルな障害を発症したり、自分自身、仕事へのモチベーションが保てなくなって退職してしまう人が少なくありません。


もうひとつの「個別解雇ケース」にも、また別のつらさがあります。全社リストラであれば、「なぜリストラが必要か」を説明する必要はありません。しかし個別解雇では、「景気が悪いから」「円高で」「業績が悪いから」ではなく、「あなたの能力が足りないからクビです」と伝えなければならないのです。

その伝え方は個々の管理職に任されており、人事部やコンサル会社が口上を用意してくれるわけではありません。相手の反発や反応も、すべて管理職個人が受け止めなければならないのです。

さらに解雇が成功した後、他の部下からの冷やかな視線を受け止めつつ、彼らのモチベーションを高めていくのも管理職の重要な仕事です。

「部下を解雇したことが一度もない管理職」の溢れるこの国で解雇規制が撤廃されたら、大企業の管理職がまず覚える必要のある新しい仕事が、「解雇するスキル」だというわけです。


そんじゃーね。