連載02)並河哲次 新宮市議 26才

先日の、新シリーズ開始!)新宮市に行ってきた! に続き、「日本の地方と若者の政治参加を考える特別連作エントリ」の2回目は、新宮市の市議会議員である並河哲次氏の紹介です。


並河氏は、1985年、大阪箕面市で両親とも公務員という家庭に生まれ、現在26歳。子供の頃は、夏休みの宿題を、初日にスケジュールを立てた上で、7月中に終わらせるまじめな子供だったとのこと。


写真:並河哲次さん(取材日にちきりん撮影)


小学校の頃から昆虫が好きで、中学生の時、「近所の水路にいるカニが、工事のため水路に流れ込んだセメントのせいで死んでしまう!」と騒いで市役所に駆けつけたり、自宅の建替えで裏庭のクヌギ林がなくなるからと植木鉢に木を育てたり、小さな頃から「環境」に関心があったようです。

中学校卒業時には、園芸や環境について学ぶ専門学校への進学も考えますが、親や先生に反対され、北野高校という大阪の公立進学校に進みます。それでも高校生の頃には、庭でコンポスト(生ゴミを堆積発酵させて作る自然肥料)作りをするような変なエコな若者でした

その後は京都大学の農学部に進むのですが、ここではまじめな生徒から一転、全く勉強しなくなります。これは「京大定番コース」(←田舎のまじめな高校生が京都で下宿して大学生活を始め、一気にダラダラした生活に突入して学校に行かなくなる)という、ごく一般的なコースです。


大学時代はアウトドア活動のサークルに入って、毎週のようにキャンプに行っており、この頃、「テントと寝袋さえあればどこでも寝られる」と気がつきます。小さい頃から物欲のない子供だったのに、この頃からさらに「自然派」になったようです。

そして三回生になっても、就活も本格的には始めず、大学院の試験も受けず、親のお金を借りて一年間休学しつつ、“自分探し”的なモラトリアム期間を過ごします。


写真:アウトドア活動時代の並河さん 本人提供

就職する気にならなかった理由を聞いてみたところ、


・自分がやりたかった「環境問題」について、企業に就職してもそれを真正面から取り組める機会がないように思えた。


・大学生の間はそれぞれに個性的だった人たちが、就活になると一斉にモードチェンジをして、全員で同じレールの上を歩き始めることに違和感があった。


・毎日長時間働き、休暇もめったにとらずに何十年も働くというスタイルにも疑問があった。


からとのこと。


5年かけて大学を卒業した並河氏は、2009年の4月、新宮市山中(熊野川町)で、有機農業とパン作り、小中学生のキャンプ教育などを行っているNPOの拠点(廃校後の小学校校舎)に住み始めます。

ここに移り住んだきっかけは、モラトリアム時代に参加したとあるツアー。それは、大学生や社会人が、バスで1ヶ月かけていくつかの地方都市を周り、地元のNPO等と交流するバスツアーで、それに参加した際、このNPO拠点にも1週間ほど滞在し、それが縁になったとのこと。


大学卒業後この地に住み着いた並河さんは、「進学校レベルの高校数学を教えられる塾が近くにない」環境と、京都大学卒の肩書きを生かし、時には家庭教師で月に十数万円を稼いで、当面は就職しなくても食べていくのは問題ない」と確信。NPOの運営や有機農業を手伝う傍ら、パンや米菓子を製造販売し2年間を過ごします。

その後、次第に彼は、新宮市の市政に関心をもつようになります。また、20代の議員がいないことにも疑問を持ち、とりあえず出馬して意見を述べようと考え、2011年4月に行われた統一地方選で市議選に出馬したのです。


供託金の30万円には家庭教師で稼いだお金を当て、その他に寄付を20万円集めて活動資金としました。全体で50名ほどの友人知人のボランティアの支援を受け、超初心者な政治活動、選挙運動を展開。2011年4月の市議選で、20名の立候補、17名当選のうち、みごと8位で当選します。(当選には700票が必要で、彼の得票数は1061票)

2年前から新宮市に住んでいたとは言え、地縁も全くない土地で26才の“なんの実績もない”若者が市議会議員になれるんだから、「ほらね」って感じです → 過去エントリ:「若者はどんどん地方議会の議員に立候補しよう!


しかし、並河氏が市議会議員になった半年後の9月、この地域は超大型の台風に直撃(&停滞)され、死者13名(新宮市のみの被害者数)を出す100年ぶりの大災害に遭遇します。

その中で超新人議員の並河氏は、地域の大混乱を目の当たりにすることになったのです・・。


いったい何があったのか? そして彼は何を感じ、何を考えたのか? この続きは金曜日に。(このシリーズの掲載は月水金です)


そんじゃーね!