許される方向、許されない方向

前回、「関西人からみた、東京の人の言葉遣い」についてエントリを書きました。このエントリには、別の観点からも興味深い点があります。


前エントリで、私は以下のように書いています。

(1)関西女子が、東京の男子の言葉遣いを聞いて、「気色悪っ」と感じた。


もし、私の書いたのが、全く同じ構造だけれど、反対の方向であったらどうでしょう? たとえば、


(2)東京女子が、関西の男子の言葉遣いを聞いて、「気色悪っ」と感じた。

もしくは、

(3)東京女子が、東北の男子の言葉遣いを聞いて、「気色悪っ」と感じた。


(3)の場合、非常に高い確率で、私は強く非難され、ヘタをすると炎上騒ぎになっていたでしょう。

東北の人はもちろん、東北にはナンの関係もない人まで参戦してきて、「他地域の方言を馬鹿にするのはあるまじき行為!」と怒ってきたと思います。

(2)であっても、今回のような「方言て、他の地域の人からは、妙に聞こえることがあるよね」的な反応では済まなかったでしょう。

特に当事者である関西男子は、(今回の東京男子の反応とはかなり異なるレベルで)怒ったんじゃないかな。


だとすると、それはなぜなのでしょう?


★★★


それは、「世の中には(もしくは私たちの深層意識には)、対象物のどちらが上でどちらが下かというヒエラルキー意識があり、下が上を馬鹿にするのは“許される”が、上が下を馬鹿にするのは“許されない”と考えている人が多い」からです。

「東京>東北」という意識のある人にとって、東京が東北を馬鹿にすることは許されないヒドイ行為と映ります。

「弱い者イジメ」に見えるからです。一方、「東京=東北」という意識の人であれば、東京が東北を馬鹿にするのは、東北が東京を馬鹿にするのと同じインパクトしかありません。

(このあたり、私が「東北って人が少なくて退屈よね」と、「東京って人が多すぎてウザイよね」を、別の機会につぶやいてみて、どちらが反発を受けやすいか、実験として試して見ればいいのですが、怖いのでやりません。。。)


昔、台風が関東圏を抜けて東北地方に進んだ時、テレビニュースで「台風が東京を去りました。よかったですねー」的な発言をして大問題になりました。たしかに全国放送の報道番組として“あるまじき”発言でしょう。

でも、もしも反対方向に台風が進んでいて、岩手県のテレビキャスターが「台風が東北を去りました。よかったですねー」と言っても、東京の人は「おいおい」とは思うでしょうけど、同じ大きさの騒ぎにはなったとは思えません。


もちろん、「東京>関西」という意識もあります。そのため、関西が東京を馬鹿にするのは、ギリギリ許されます。しかし反対方向には反発が生まれます。

「関西の人にも、「東京>関西」という意識があるの?」と思われるかもしれませんが、もちろんあります。

だから関西の人は、東京のことは平気でバカにしますが、四国や中国地方のことを同じ調子でバカにしたりはしません。それは「やってはいけないコト」なんです。

ただ、東京と関西の場合、「東京=関西」だと思っている人は、東京には一定数存在します。そういう人にとっては、あのちきりんのエントリは「そんなこと言うなんて、ヒドッ」と感じられたことでしょう。


「強い人→弱い人」はイジメになります。全く同じ行為でも、「弱い人→強い人」であれば、多くの人がそれを“見逃し”ます。許容します。

その同じ行為に関して、方向性が違うだけで「許容できない!」と思う場合、その人の心の中には、「この行為は上→下だ!」というヒエラルキー意識があるのです。

会社や学校の宴会でも、役員や校長をネタにしてみんなで笑うのは問題ありません(その役員には睨まれるでしょうが・・)。お酒の席で怒りっぽい役員の口まねをして、みんなで笑うのは許容範囲です。

しかし、特定の若手社員をネタにしてみんなで笑ったら、それは職場イジメです。「下→上」は笑って済ませられるけど、反対の方向は許されません。

素人が有名芸能人の悪口を言うのは(それがブスだ、デブだ、ハゲだ的な、身体的特徴への悪口であってさえ)許容範囲ですが、有名芸能人が一般人を呼び捨てにしてそんな悪口を言うなんて、世間は絶対に許さないでしょう。

「大人にこんなことされたら許せない!」と思うことでも、子供なら「ムカツクけど、まっ、しゃーないか」と思えるのも同じです。


★★★


ネット上でも同じことが起こります。

ちきりんがブログで何か特定の商品を褒めて、みんなに勧めたとします。

それにたいして、フォロアーが数百人の人が、「ちきりんは金をもらってあの商品を勧めている」とつぶやいても、ほとんどの人が(そのツイートを)ヒドイとは思いません。

多くの人は、つぶやきの是非ではなく、「ほんとにお金もらっているのかな?」というように、発言の内容に注目します。


しかし全く同じことでも、私が誰かのブログを名指しし「あの人はお金をもらって、あの商品を勧めているよね」とつぶやいたらどうなるでしょう?

「根拠を示せ、証拠を示せ」というリプライが殺到し、「根拠もなく名指しして、なぜそんな無責任なことを言うのか!」と超ヒドイ人扱いされるはずです。

本当にお金をもらっているか、などという発言の中身の検証の前に、発言自体が問題視されます。

ここにも影響力の大小というヒエラルキーが存在しています。

誰かを名指ししてバカにしたり、根拠レスな誹謗中傷をするなど、なんでも好き勝手言えるのは、影響力のない人の特権です。


★★★


ところで、これはいわゆる「有名税」とは異なります。

上記の例でいえば、フォロアー数の少ない人とフォロアー数の多い人が、(方向性も含めて)全く同じ問題発言(失言)をした時に、フォロアー数の多い人だけが厳しく責められるのが有名税です。

発言者がふたりとも男性であり、ふたりとも「女は顔がすべて」などと発言したような場合がこれにあたります。

普通の人が不倫をしても、それを取り上げるのは問題だと思う人が多いけど、芸能人が不倫をしたら、それを取り上げるのは“当然だ”と思う人がたくさんいます。

これが有名税です。この場合、普通の人と芸能人の行為自体は(方向性も含め)全く同じです。

「一般人と“全くおなじこと”をやっても大きく取りざたされる」のが有名税と言われるものであって、今回、私が書いているのはそうではなく、「ヒエラルキーの方向性によって、許される方向と、許されない方向がある」という話です。


★★★


敢えて一般化すれば、「弱者」は「強者」に比べ、社会においてやっても許されることの範囲が圧倒的に広い(自由度が高い)と言うことです。

何かがあった時に「そんなことで怒る必要はないだろう?」とある人が思い、他の人が「ありえない。怒るに決まっているだろう!!」と激高しているような時、そこには、個人としての感情の許容度の違いだけでなく、「どういうヒエラルキー意識を持っているか」が影響を与えていることもあります。



特にネット上では、フォロアー数の多寡やアクセス数の多寡を「ヒエラルキー」と捉えるか否か、という点において、まだ意識が統一されていません。

このため、フォロアー数やアクセス数が圧倒的に大きくても、自分を「上」と認識していない人もおり、相手側が「下→上」なのだから、これくらいは許されるだろうと思っていても、(そんな上下関係を意識していない)本人から見ると、許せないほど失礼な行為に思える場合があります。

そして(当事者Aから見れば)ごく当然のように、(反対側の当事者Bから見れば、“驚いたことに!”)すかさずブロックされたりするわけです。


ソーシャルなネットの世界には、「全個人は(影響力を与えられるネットワークの大きさに関わらず)対等である。それがネットと既存社会、既存コミュニティとの違いなのだ」という“権威レス・フラット思想”も存在するため、

その辺が元となって、ちょくちょくトラブルになってるようにも思います。



そんじゃーね。


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