市場を創るということ PART 2

先日、クックパッドのやさい便の話に絡めて、「市場を創ると言うこと」というエントリを書きましたが、ちきりんはこの「市場」という概念が大好きです。


やさい便に限らず、現代社会では基本的なトレンドとして、すべてのものは「市場化」する方向に向かっています。

金融でいえば、銀行が資金の仲介をする間接金融(専門家による仲介)から、株式市場やベンチャーキャピタルを通じて資金調達をする直接金融(専門家による市場取引)へ、さらには、資金の出し手と受取り手、双方の資格制限が外されたクラウドファンディング(全員参加型の市場取引)へ、といった具合です。

雇用に関しても、昔は「時代と共に幸せに」に書いたように、学校の先生の紹介で就職先が決まることも多かったし、大学生でさえ理系はつい最近までそれが主流だったと思います。それが今や、新卒採用は「全学生」と「全企業」が直接、需要者、供給者として総当たり戦を行っています。

結婚に関しても昔は“相対取引”と“お見合いおばさんによる仲介”が基本でしたが、今は、結婚情報サービスという市場が出現しました。


雇用と結婚の例を見ればわかるように、市場化することは、必ずしも全員の利益にはつながりません。市場化によって「強者が得られるもの」と「弱者が得られるもの」の間に大きな差がつくからです。

ただし「市場では、強者はすべてを得られ、弱者は何も得られない」と解釈するのも誤りです。正しくは「市場では、プライシングを間違えると取引が成立しない」というだけです。強者でも弱者でも、需要を喚起しないような値札を付けていては、市場では見向きもされません。


もちろん市場化によるメリットもたくさんあります。昔は音楽も文学(や文章)も芸術も、「プロの仲介者」である音楽プロデューサーや編集者、画商などの目に止らないと、世に出すことができませんでした。

でも今は、「とりあえず誰でも自分の作品を世に出してみて、需要が大きければ価格が付き、商品として認知される」という状態になっています。「判断はプロの仲介者ではなく、市場が行う」方法に変わってきました。

書籍出版に関して、「出版点数は昔に比べて激増しているのに、全体の売上金額は増えていない」ということが、悪いことのように言われることがありますが、私から見れば、これは悪いことでもなんでもありません。みんなとりあえず市場に並んでみて、自分の出品した商品の価値を、消費者に直接、確認してみればいいのです。


ただし、この出版市場の話からはもうひとつ、市場化のデメリットが見えてきます。それは、「市場化すると、時にはやたらと余計なコストがかかる」ということです。

本を一冊作ろうと思えば、編集者も著者もそれなりの時間を費やすことになります。紙代も印刷代もかかります。取次や書店は、毎日大量の本の山と(物理的に)格闘しなければなりません。「作って、市場に出してみてから、売れるかどうかわかる」方式は、「売れると判断したものだけを市場に出す」より、圧倒的にコストがかかります。

私のように「それでも、市場化のメリットはデメリットを遙かに上回っている」と考える人は、市場化を支持するわけですが、とはいっても、デメリットはできるだけ小さくしたほうがいいに決まっています。


そして、市場のコストやデメリットを最小化するために必要かつ有用なモノが、情報です。

「この商品には需要があるのか?」、「どんな価格が適正なのか」、「どの程度の品質なのか?」について判断するために、また、「どの企業に投資すべきか」、「誰を雇うべきか」、「何を店頭に並べるべきか」を判断するためには、信頼に足る情報が一定量以上、必要です。

そういった情報が利用可能にならないと、市場化はコストばかりかかって、メリットの少ない取引形態になってしまいます。

反対にいえば、情報が重要だとわかっているから、企業は粉飾決算をするわけです。就活市場や婚活市場で、特定の情報を隠している人はたくさんいるだろうし、何かを売るときには「売上に直結するキーワードを(少々強引でも)前面に出す!」のが基本です。市場では、判断材料はすべて「公開された情報」だからです。


先日、「クックパッドがやさいの売買市場を創ろうとしている」と書きました。「市場を創る人、運営したい人」にとって重要なことは、需要者と供給者に関する、信頼に足る情報(=情報の質が重要)を、一定量以上(=情報の量も大事)確保することです。
(市場開設者、運営者として成功するためには、他にも必要なことがありますが、他の条件については、今日は触れません)


市場にとって情報の質と量が成否の鍵となることは、ネット上の市場を見ていればよく分かります。ネットオークションでも、楽天やアマゾンの商品市場でも、飲食店市場でも、出品者や商品、店舗に関する情報は極めて重要です。

だから「食べログ」のレビューに関して、書き手を買収する業者が存在すると発覚した時、食べログ側は渾身の力で業者や、雇われレビュアーの排除に乗り出しました。情報の質が信頼できないと思われた場合、毀損されるのは該当するレストランの評判ではなく、「食べログ」という市場の価値だからです。


最近は、アマゾンが本のレビュアーに関して、「その本をアマゾンで買ったかどうか」を表示するようになりました。これも「市場の質」を維持するためのひとつの方策です。

よく知られているように、アマゾンの商品レビューでは、

・中国や韓国に関する商品に、数多くのネガティブな(差別的な感情や特定の思想信条に基づく)レビューを付ける


・不買運動の一手段として、特定企業の商品にネガティブなレビューを付ける


・ネット上でアクティブに活動している著者の本に、ネガティブなレビューを付ける

という傾向が顕著で、そういう目的をもつ人達からアマゾンは、“規制が緩く使いやすい市場”として選ばれ始めています。


最初は泰然と構えていたアマゾンも、「放置すると、市場としての価値が毀損される可能性がある」と考え、この措置をとったものと思われますが、このあたりはどの市場運営者も悩みが深いところです。

なぜなら、楽天で買った人しかレビューが書けない楽天ブックスでは、悪意のレビューはほとんど見かけませんが、その一方で、情報の量が確保できていません。

また、食べログでもアマゾンでも、極端なレビューを書いている人は、その人が他の商品に付けたレビューをあわせて見ることで、その価値や意図が一目でわかります。しかし消費者個々人に、手間暇をかけてそんなものまでチェックしろというのは無茶であり、この方法の効果も限定的です。


他にも、情報提供者をツイッターやフェースブックアカウントと結びつけることで、情報提供者の質をスクリーニングしようと試みる市場運営者もありますが、フェースブックはともかく、メールアカウントさえあればいくつでもアカウントが開けるツイッターと連動させても、情報提供者の質は確保できないでしょう。

また市場運営者が、寄せられる情報の質をすべて個別に(マニュアルで)判断する、という方法もあります。これは情報のスクリーニングには圧倒的に有効ですが、基本が「力仕事」なので、ものすごいコストがかかります。

それでも、この方法を採用している市場運営企業はそれなりに存在します。そういった企業にとっては、市場の価値や評判を維持することがそれほど重要なことだからです。


ここで問題を大きくしているのは、「悪意の情報提供者」(「自分の情報によって、市場の値動きに影響を与えることを目的としている人」)が、常に規制の緩い市場を探して移動している、ということです。インサイダー取引をしたい人は、監視の目が緩い市場で取引をするし、粉飾決算をする企業は、罰則が厳しい市場には上場しません。

特定の書籍に悪意の情報をヒモ付けようと思った時、楽天ではその本を定価で買わないとレビューが書けませんが、アマゾンならコストゼロで市場に自分の意見が載せられます。

ニュースやオピニオンに意見をつけたい場合も、フェースブックでしかコメントがつけられないサイトより、ツイッターアカウントでコメントが付けられるサイトに「偏った情報提供者」は集合します。

規制の緩い市場はそういった人達の恰好の餌食にされ、次第に「あそこはああいう人が集まるサイトだよね」という認識が形成されます。ひいてはサイトブランドを毀損したり、特定のイメージがついてしまうわけですが、その代り、“情報の量”は容易に確保できます。(広告に依存するサイトとしては、その方がいいとも言えます)


このように「市場の進化」は、「質の高い情報をいかに大量に集めることができるか」という点に大きく依存しており、どの業界でも市場運営者にとって、この点をいかにクリアするかということが、大きなチャレンジになっているのです。


そんじゃーね