1986年の7月、僕は体制を変えたいと思った。

最近、本の紹介が続いているので、また本について書くのはどうかとも思ったけど、今日はこれを読み終えてから他には何も考えられなくなってしまったので、毒をはき出す意味で書くことにします。


読んだのはこちら

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)
小林 和彦
新潮社 (2011-10-28)
売り上げランキング: 51,080


著者の小林和彦氏は1962年生まれ。早稲田大学でアニメーション同好会に所属し、卒業後はアニメ制作会社の亜細亜堂に勤務。

その 2年後、幻覚妄想状態となって精神科に入院(後に統合失調症と診断)。

その後は入退院を繰り返しつつ、現在(正確には出版タイミングである 2011年 11月に)はグループホームでデイケアを受けながら暮らしています。

この本は、著者が発狂した時に何を考えていたか、世の中がどう見えていたかについての、克明な記録の書です。


「発狂」という言葉は、著者が使っている言葉そのままです。“序”に次のようにあります。

僕はかろうじて人を傷つけなかった。
自分の命もなんとか守った。
そういう意味で「正しい発狂」をしたと思っている。


幼少時から大学時代までについて語る第一章に続き、働き始めてから仕事で関わったアニメについても詳しく説明しつつ、著者(の精神状態)に何が起こったかが時系列に説明されます。

特に、初めて幻覚妄想に襲われ、精神科に入院することになった 1987年 7月 25日から 27日の 3日間と、

その前段階である 7月 20日からの 5日間の高揚感溢れる思索と行動の記録は壮絶なもので、

読み手も尋常ではない思考の世界に否応なく巻き込まれます。

今日のエントリのタイトル、「 1986年の 7月、僕は体制を変えたいと思った」は、この 7月に彼の頭の中に降ってきた指令であり、確信です。(本書中の一文です)


下記は「発狂」というサブタイトルが付けられた、特定の日の記述ですが、「その日のことを、ここまで詳細に記述できるってどういうこと?」と、驚愕します。

僕は心底疲れ、往来の真ん中で大声で叫んだ。
「おかあさーん」
と叫べばよかったのかもしれない。


しかし僕は、僕に課せられたこの試練は、CIAか内閣調査部の仕業だと思い、
「田中(角栄)さーん、竹下(登)さーん、勘弁してくださいよ−」
と叫んでしまったのだ。そう叫んだら、世界はますます地獄の様相を呈してしまった。

すれ違う人が皆、僕に殺意を持っているような気がして、「殺さないで下さい。殺さないでください」と会う人会う人に頼みながら歩いて行った。


相手は僕に会釈するような態度をとったが、今にしても思えば、僕を「アブナイ人」と判断し、目をそむけていたのだろう。


何を思ったか、近くにとまったそば屋のバイクのおかもちを開け、中から数本の割り箸を取り出し、その意味するものを必死で考えた。これも何かの暗号のはずだった。


このように、この日に著者がとった行動・・・街中で叫んだり、喫茶店の厨房に入り込んで居座り、警察を呼ばれたり・・・が、ひとつひとつ丁寧に淡々と説明されます。

現実と妄想の入り交じった世界に引きずり込まれる恐怖と戦いながら、それでも文字から目を離すことができなくなり今日一日で一気に読みました。(気持ちの弱い人は読まないほうがいいです)


解説で精神科医の方が、

本書は、統合失調症と診断された著者が自らの精神疾患の体験について綴った出色のドキュメンタリーであり、精神医学的にも貴重な記録である。

統合失調症においては、思考障害という症状が知られている。思考のまとまりが悪くなり、筋道を立てて考えを進めていくことが困難となることが多いのである。

さらに重症の場合には、話の意味が全然通じず、極端なものでは話は無関係な言葉の羅列になり、「言葉のサラダ」と呼ばれる。この状態を「滅裂思考」と呼ぶ。

これに対して、小林氏の文章は明晰であり、論理的な破綻も見られない。


と書かれているように、これはスゴイ記録です。

私自身、いわゆる「言葉のサラダ」状態の文章も読んだことがあるし、そういう人と直接に話したこともありますが、正直言って何を言われているのか全然わからないです。

だからここまで「本人から、世界がどう見えているのか」をわかりやすく伝えている文章が存在することに驚愕しました。

タイトルそのままにこの本には、「ボクには世界がこう見えていた」という様子が、詳しく書かれているのです。(もちろん同じ病気の人でも個人差はあるでしょう)


以下は著者本人の後書きからの引用です。

ただ言いたいのは長年精神障害をかかえている者として、精神障害者の使命には次の3つがある、ということ。
1.自殺をしないこと
2.他者を傷つけないこと
3.どうしてもダメだと行き詰まったらすみやかに精神科に入院すること


僕の病名が「統合失調症」であることは、この柏崎厚生病院で初めて知らされた。

1992年頃のことだ。最初は受け入れがたかったが、その後の入院体験で典型的な統合失調症であることを認めざるを得なかった。


しかし、それでも僕には使命があり、それを果たさなければならないという観念があった。大げさにいえば、世界の救済だ。


最後の一文がなければ、この人が統合失調症だとは思えませんよね。


今回、この本が商業出版されたことを、著者はとても喜んでいるのですが、

中学生の頃から、北杜夫や筒井康隆や井上ひさしを読み耽っていた大好きな新潮文庫から僕の本が出る! ・・・リアルな現実世界でこれ以上の喜びはありません。

・・・リアルな現実社会以外では、これ以上の喜びも経験してるってことを窺わせる一文です。


実はこの本、最初に本人が『東郷室長賞 好きぞ触れニヤ』というタイトルで共同出版したものを、(このタイトル自体、よくわかりませんが)、

アニメーション同好会と亜細亜堂での先輩であった望月智充氏(アニメーション監督)が読み、もっと多くの人に読んで欲しいと思って商業出版への道を探られたことから、新潮文庫になったという経緯があります。


その望月氏の文章です。

今回、本書を読み直してみて思うことがある。

小林君は現在の病気を完治させたいのだろうか。もし完治する病気だとしたら、一人前の社会人に戻る気は。それはすなわち障害者年金を打ち切られて自立することを意味する。


普通は病気というものは嫌なもののはずだが、彼はもしかして今のままが気楽でいいと思っているのではないかと、そんな気もするのだ。


もちろん病気は辛いものだろうが、自立した社会人として生きていくのも、いわずもがなだが様々に辛い。この点に関して考えると、いろいろ複雑な気分になる。


すごい本でした。

ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)
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注意)統合失調症を患ったご家族がある方などに、この本をいきなりプレゼントするなどの行為については、極めて慎重にご判断ください。

また、言うまでもないことですが、本人の趣味・職業と病気にはなんの関係もありません。



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