対談後の雑談時、梅原さんが、「最近のゲームは、ちょっと強いキャラとか技があると、すぐに調整が入る。もっとチャレンジさせてほしいのに」と言われていて、「にゃるほど」って思いました。
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新しいゲームがリリースされて大勢の人が一斉に遊び始めると、すぐに「ものすごい強いキャラ」とか、「ちょっと効果が大きすぎるでしょ、この技」みたいなのが見つかるわけです。
それを放置しておくと、みんなそのキャラばっかり使い始めたり、その技ばっかり使って勝とうとするので、ゲーム自体がおもしろくなくなってしまいます。
だからゲーム開発会社はすぐにバージョンアップを行い、特定の技の効果を減じるなど、戦闘力をバランスさせるための調整を行います。
★★★
ゲームの開発側から見れば、「異常に効果の大きな技」が見つかってしまうのは、ある意味“バグ”なわけです。そんなのがあると、ゲームの面白さが半減してしまう。だから調整する。
でも、そこには“ウメハラ”みたいなプレーヤーもいます。彼は、たとえバグと呼べるほど強いキャラや技があれば、なんとかしてそれを攻略しようと考えます。
普通の人はその技を使ってラクに勝とうとするけど、彼は反対に「一年かけてでも攻略してやるっ!」ってことの方に熱中するわけですね。というか、そっちのほうがラクに勝つよりおもしろい、と思ってる。
なのに、それを攻略しようと必死で取り組んでいる間に、いきなり“バグ修正”が行われて、「次のバージョンから、その技の効果は半分になります」と言われてしまう。
ラクに勝てる技を失った一般プレーヤーも「ちぇっ!」っと思うのでしょうが、それをなんとか攻略しようと燃えていたウメハラ系プレーヤーも「ぶー」なわけ。
★★★
この話を聞いて、「裾野の大きさと、てっぺんの高さって、両方必要なんだな」と思いました。
スポーツとか勝負事というのは、才能の取り合いをやってます。たとえば30年前なら、運動神経のいい男子の大半はプロ野球選手に憧れました。でも、10年前くらいから、その半分はサッカー選手に憧れるようになりました。
野球のほうが圧倒的に裾野の広いスポーツだったのに、その半分が(半分以上?)が、サッカーに持っていかれつつあります。
この「裾野の大きさ」は非常に重要で、これが大きくないと新しい担い手が出てこないし、全体のレベルも上がらない。産業としても儲かりません。
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同じことはゲームでも起こっていて、昔は誰でも楽しめたファミコンゲームが、だんだんマニア向けに細かくチューニングされ始め、どこかの段階から、初心者には楽しめないような高度で複雑なゲームになってしまう、ということがあります。
こうなると、裾野のプレーヤーが少なくなり、新規に入ってくる人がいなくなって、どこかの段階でブームは終焉を迎えます。マニア的プレーヤーは次第に高齢化するし、開発会社側もプレーヤー人数が少ないと儲からない。
この「裾野が広くないとダメ!」っていう話は、よく知られており、ちきりんも理解してました。
それに加えて私が今回、理解したのは、「同時に、てっぺんの高さもすごい大事なんだな」ってことです。
世の中には「てっぺんが十分に高くないとやる気になれない」という人たちがいるんです。たとえば、登山家。
もし地球上に2000メートル級の山しかなく、雪も降らず、誰でも簡単に登れる山ばっかりだったら、今の一流登山家らの大半は、登山家になっていなかったのではないでしょうか。
彼らは別の、もっと難しい冒険にチャレンジした可能性が高いのです。海をヨットで渡るとか、気球で地球を一周するとかね。
こういう人たちは、「山が好き」ということに加え、「あり得ないほど困難な目標を成し遂げるのが大好き」なんです。
「やればできるとわかっていることをやるなんて、超つまらん!」、「そんなことに時間を使うのは人生の無駄」とさえ考えてるかも。
スポーツでも同じです。サッカーは誰でもできて裾野がすごい広いのに、その一方でワールドカップ優勝という、ものすごい高いてっぺんがある。だから、世界中の才能ある人たちがこぞってサッカーを選ぶんでしょう。
「金メダル獲得!」というてっぺんがあるから選ばれるオリンピック種目も同じ。そういう「世界の頂点がないスポーツ」は、卓越した身体能力と尋常じゃないレベルのチャレンジマインドを持つアスリート予備軍の子供に選んでもらえない。
つまり、「裾野が広いこと」と「てっぺんが十分に高いこと」は、スポーツにしろゲームにしろ、他の勝負事、芸事に関しても、とても重要なことなのです。
- 作者: 植村直己
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他にも、研究者になる人たちも、宇宙であり、脳であり、人間の死や老化であり、という「解明や克服がめちゃくちゃ難しい」ことがあるからこそ、研究者になるんでしょう。
哲学とか数学も同じで、「いくらでも高みを目指せる」という領域があるからこそ、“スゴイ人”がその分野を専攻する。
反対にちきりん的一般ピーポーは、いつだってもっと実務的な分野、すなわち「頑張ればなんとかなるとわかっている分野」を選択しています。
★★★
さて、冒頭の梅原さんの話。
ゲーム開発会社も、「裾野の大きさの重要性」は痛いほどわかっているはず。マニアしか楽しめないものにしてしまったら、彼らには死活問題です。
でもその一方で、「ものすごい高い山を求めている人」を惹きつけられないと、そういう人たちは別のゲームや別の勝負事に流れてしまうかもしれません。
ゲーセンにいる今10歳の少年の中に、次のウメハラがいるかもしれない。彼らに「十分に挑戦しがいがある。おもしれー」と思わせられないと、異常な頑張りをする子を、そのゲームにとどめることができなくなる。
もちろん大半の人たちは、大きな大会で勝つことを「てっぺん」と考えるので、そういった大会が盛り上がっている限り、飽きずにプレイするのかもしれない。
でも、本当に惹きつけたいのは、「大会に優勝できればそれでハッピー」な人よりも、バグにさえ正面からチャレンジして勝ちにいく“ウメハラ系プレーヤー”だったりするんじゃないかな、と思ったりもします。
たぶん会社でも一緒なんでしょう。普通の人が「この会社で働きたい」と思う、わかりやすい好条件も大事だけど、やっぱりそれだけじゃ足りない。
ものすごい難しいものに挑戦したいと思っている特殊な人にも、心からワクワクできる仕事の領域が用意できないと本当にいい人は入ってこないんです。
安定した大企業に、尖がった人が入社しなくなる現象があります。「東大生が応募に列を作るようになったら終わりの始まり」と言われる所以です。
裾野は広いけど、てっぺんはたいして高くないという企業は、秀才には選ばれるけど、卓越した才能を引き付けることはできない。そうなると、長期的な帰趨は見えてしまうよね、と。
裾野を広げつつも、そびえ立つ“てっぺん”を維持する。
長期的に成功する分野にはこの二つが必要なんだけど、その両立がけっこう難しいっぽい、というお話でした。