円満離婚に向かう「政治と若者」

夏の参院選に向けて、各党の比例公認候補が次々と名乗りをあげています。

地道なドブ板活動や親の代から続く後援会組織が必要な選挙区と違い、比例区は候補者の知名度が勝負。このため各党とも“有名人”をひっぱりだすのが常となっていますが、今回もまた各方面、満遍なく笑える感じですばらしいです。


それらを見ていて思うのは、政党というのはホントによく“市場=有権者を見てる”ってことです。

たとえば、日本維新の会が公認するアントニオ猪木氏に、自民党が公認する渡邉美樹氏(ワタミグループ創業者)やオリンピック金メダリスト(体操)の塚原光男氏・・・

若い人はこれらの候補者を見ると、「なんなんだ!?」と呆れたり失望したり、(ちょっとマジメな人になると)本気で憤ったりするのかもしれません。

しかしこれは各政党が、「誰が選挙に行くのか」、「選挙に行く人の琴線に触れる候補者とは誰なのか」、すんごくよく考えた結果なのです。


たとえば、体操選手だった塚原光男氏が大活躍したのは 1972年と 1976年のオリンピックです。(なんと、この 2回のオリンピックで彼は、金メダル5個を含む9個のメダルを獲得しています) 当時、その活躍に熱狂していた世代も今や50歳から70歳、「一票の価値が都会の数倍も重い地域に集中的に居住し、かつ、投票率も非常に高い年代層」となっているのです。

“ツカハラ跳び”とか“月面宙返り”とか言われても、今の若い人には全くわからないでしょ? でも当時の彼は、今でいえばサッカーの本田圭佑氏や水泳の北島康介氏のような人気アスリートだったわけです。

塚原氏の月面宙返りを(テレビの前にみんなでへばりついて!)大興奮しながら応援し、月面宙返りのポーズを何度も真似して遊んだ当時の子供たち・・彼は、そういう世代の票を獲得するための候補者なのです。


アントニオ猪木氏も同じです。力道山に見いだされ、ジャイアント馬場と組んだプロレスで大活躍した彼の全盛期も、やはり1970年代から1980年代にかけてです。

これらの候補者は、若い人にとっては「誰それ?」かもしれませんが、きちんと選挙に行く年代の人にとっては“青春時代のシンボリック・アイコン”です。

「誰があんなのに投票するんだ?」と思っている今の若者の中にも、30年後に本田圭佑氏や北島康介氏が立候補したら、一票を投じる人はたくさんいるでしょう。


ワタミグループの創業者、渡邉美樹氏も、主にネットメディアから情報を得ている人たちにとっては、「社員に長時間労働を強いるひどい経営者」というイメージかもしれません。

でも、投票率の高い年代の人たちの多くは、「若い頃は死ぬほど働くもんだ。そんなことに文句を言うなんて、最近の若い者はなっとらん」と思ってます。

彼らにしてみれば渡邉氏は、「若者や時代におもねらず、言うべきことをはっきり言える心意気のある経営者」です。

彼が若い従業員に「365日、24時間働け!」と言ったとしたら、若い人は反発するかもしれませんが、高齢者は彼にエールを送るんです。そして選挙で政党が狙っているのは、そういう世代の票なのです。


★★★


選挙はとても市場的です。政党は、実際に投票にいく人や一票の価値が高い地方の人が、大量に釣れる候補者を探してきて公認しようとします。

特に自民党はセンスがよいです。民主党が政権をとれたのだって、この市場センスが抜群だった小沢一郎氏のおかげでしょう。

未だに「反原発」とか「護憲」とか言ってる政党は、(言ってることが正しいとか正しくないというコト以前に)、全く選挙市場というものがわかっていません。あんなことを続けてたら、ホントに遠からず消滅しちゃうことでしょう。


比例区ではありませんが、自民党が堀江貴文さんを候補者として強力支援したのは 2005年でした。当時の自民党は彼を支持することで、若い人の票や、市場メカニズムを尊重し、構造改革を支持する人の票を狙おうと考えていたわけです。

けれど今回の候補者を見る限り、政党はもはや若い人の票を狙うことさえ止めてしまったように感じられます。(安倍氏はニコニコ動画などネットへの露出に積極的ですが、彼が期待しているのは若者というよりは、ネット上でアクティブな“右側の人たち”だと思います)

高齢化が進む一方で若者の政治意識は相変わらず低く、今後も若年層の有権者は急速に減少します。そんな層の票をわざわざ狙いにいく必要は、もはや無いという判断なのかもしれません。


一方の若者のほうも、政治への期待は大きくありません。

今回は初めての「ネット選挙」などと騒がれていますが、スマホやPCから投票できるわけでもなく、相変わらず貴重な日曜日に近くの公民館まででかけて行って、鉛筆で投票用紙に候補者の名前を書く必要があるのです。

・・・明日の都議選の20代の投票率なんて、いったい何パーセントだったりするのでしょう?


若者と政治は、粛々と円満離婚の手続きを進めているかのように見えます。「いろいろあったけど、今後はお互いに割り切って別々の道を進みましょう」という感じです。

新刊『未来の働き方を考えよう』にも書きましたが、国家という仕組みのもつ意味は、これから急速に小さくなります。日本人だから日本で働くという話でもなくなるし、「日本人だから日本の大学を目指すべき」でもなくなる。


「国とかどうでもいい」と考え始めた若者と、「若者とかどうでもいい」と思い始めた国・・・お互いに納得の上、円満に離婚し、それぞれの道を歩もうとする二者。彼らがヨリを戻す可能性は、どこかにちょっとでも存在しているのでしょうか?


そんじゃーね




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