堀江貴文さんとの対談から考えたことの続きです。
堀江さんと私の両方をフォローしてくれてたり、両方の本やブログを読んでくれてる人ならご存じのとおり、私たちの意見は多くの部分でよく似ています。
たとえば、『ゼロ』には
大学受験の時も起業の時も、僕は「自分の頭で考える」という習慣を大切にしてきた。
と書いてあります。
「そうそう、あたし、それだけで一冊、本を書きました」みたいな感じ。
そして、それら共通の考えの中でも、特に重要なのが「自立すべし」というメッセージです。
堀江さんは 『ゼロ』の中で、社会の中で自立するためには、まずは親から自立することが必要だと説きます。
精神的に親から自立して、物理的、そして経済的にも自立すること。この一歩を踏み出したとき、人はようやく「自分の頭」で考えられるようになる。
これ、よくわかります。心の底で「イザというときには、親が助けてくれるだろう」と思っている人は、結局は「イザというときには、会社が助けてくれるだろう」、「イザというときには、国が助けてくれるだろう」って考えます。
「何かの時には誰かが助けてくれる」という発想から逃れられない。
助けてくれるのが、ママから会社に変わるだけ。
大きな決断をするときに「こんなコトをしたら、親はなんて思うだろう?」と不安になる人は、同じように大きな判断をするとき、「こんなことしたら、みんなにどう思われるだろう?」、「こんなことしたら、世間はどう思うだろう?」と不安に思うのでしょう。
親から自立できていなかったら、会社からも世間からも自立できない。一人の人間として立っていけないんです。
★★★
さらに小見出しにもなっている「孤独に向き合う強さを持とう」というのも、「確かにこれも超大事」って思いました。
孤独だから、寂しいからといって、他者やアルコールに救いを求めていたら、一生誰かに依存し続けることになる。この孤独は、僕が自分の責任で引き受けなければならないものなのだ。
(中略)
いま、なかなか一歩を踏み出せずにいる人は、孤独や寂しさへの耐性が足りないのではないだろうか。少しでも寂しくなったら、すぐに誰かを頼る。孤独を感じたら、誰かに泣きつく。いつまでたっても自立することはできず、自分の頭で決断を下すこともできない。
友達は大事だ。家族も大事だ。でも、ひとりで孤独を受け止める強さをもってこそ、真の自立を果たすことができるのである。
『ゼロ』を読めばわかるように、堀江さんは決して最初から強い人ではありません。
私だって何年もかけて、自分の弱さを克服してきました。
私はプロフィール欄に「人生のテーマは自由であること」と書いているけれど、自由であるためには、何よりも自分が強くならなくちゃいけない。
自立していない人に、自由な人生なんて手に入りはしないんです。
自由に生きたいから、強くなりたい。
自由に生きたいから、自立したい。
ずっと、そう思ってきました。
僕の結論はこうだ。
自由と責任は、必ずセットになっている。
責任を自分で背負うからこそ、自由でいられるのだ。
ほんとそのとおり。
そして、それは堀江さんや私だけじゃない。
世の中で、圧倒的に自由に生きているよねと思える人がいたら、その人たちはみな例外なく、その自由を手に入れ、維持するために、自分の弱さや孤独と戦い続けてきたはずなんです。
だってそれをしないと、自由なんて手に入らないから。
だって誰ひとりとして、生まれた時からそんなに強い人はいないから。
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 34
『ゼロ』には堀江さんからのたくさんのメッセージが詰まってます。
その中でも、「自立しよう、そして自由に生きよう!」というメッセージには、私も心から共感します。
自立して、自由に生きるか、
自立せず、自分を縛ってくれるものに依存し、不自由を是として生きるか、
(自分を守ってくれるものに依存してる人に加え、自分を縛ってくれるものに依存してる人もたくさんいます)
物理的、経済的、そして精神的に自立できるかどうかが、全く違うふたつの人生への、分かれ道となるのです。