創造主の悦び

ダイヤモンド社が、「著名人が勧める本」というテーマでブックフェアをやってます ↓


ちきりんの本も森内俊之竜王から推薦文を頂いており、加えてあたし自身も著名人として(?)「リバース・イノベーション」を推薦しています。


今回、推薦人の“著名人”は合計 12名で、

(書店での写真はすべて、ダイヤモンド社が書店の許可を得た上で撮影したものです。それ以外の写真は、ちきりん撮影)


森内俊之竜王の他、


堀江貴文さん、


糸井重里さん、


「今でしょ!」の林修先生


脳のおじさんに、


クルム伊達公子さん (超かっこいーよねー!)


伊坂先生に、


「ジャパネットたかた」の高田明社長!
(正しい高の字は機種依存のため、代字を使ってます)


お馴染み、田原さんに、


一橋の先生、


よかった。名前が漢字じゃない人が他にもいて!


以上 12名


ダイヤモンド社にワガママを言って、全員分の帯を貰っちゃいました↓ こんなの欲しがったのは、12名中、あたしだけだと思います。



さて本題です。

私は今回、本名での自分がこの 12名に選ばれるより、「ちきりん」が選ばれた方が、よほど嬉しく感じるってことに気がつきました。そして、それがナゼなのか、考えてみました。

判明したその理由は、「私」は私の作品ではないけれど、「ちきりん」は私の作品だからだ、ということです。


本名の「私」は、私の両親の作品であり、生まれ育った環境や、一緒に働いてきた人達や、そこで与えられた様々な機会によって育てられた作品です。つまり、この世界での私は「結果」であって、「創造主」じゃないんです。

でも「ちきりん」は、私が創り出し、育て、運営してきた「私の作品」です。自分の作り上げた作品が、こんなそうそうたるメンバーのひとりとして扱われてる。そのことを、すごく嬉しく感じました。

つまり人は、自分が認められることより、自分の作品が認められることのほうが、嬉しいんです。


たとえば、

自分がテニス大会で優勝するより、息子がテニス大会で優勝した方がよほど嬉しい親って、いっぱいいるでしょ?

自分が県知事に表彰されるより、自分が生み出したゆるキャラが、ゆるキャラコンテストで表彰される方がよほど嬉しいと感じる、県のゆるキャラ担当者もたくさんいる。てか、全員そーじゃない?


自分が褒められるより、自分の開発した商品やプログラムが認められ、褒められることのほうが嬉しいとか、
自分が褒められるより、自分の創った会社や事業が認められ、褒められることの方が嬉しいとか、
自分が褒められるより、自分の作品(アートやデザインや建築など)が認められ、褒められることの方が嬉しいとか、
自分が褒められるより、自分のゲーム(試合)や戦い方が褒められることの方が嬉しいとか、


例はいくらでも挙げられます。

より一般化して言えば、「モノづくり」に無上の喜びを感じ、こだわり続ける人は、みんな同じ。自分より、自分の作品のほうが圧倒的に大事だし、愛おしく感じる。

これが「創造主の悦び」ってモノなんです。


よく「人はみんな、社会から認知されたいという欲求をもっている」と言われます。他者から認知されたら嬉しい、生きるのが楽しくなるってのは、確かにそのとおり。

じゃあ、そのために何をするべきか?


答えは明確です。ものすごい勉強するとか、自分磨きに精進するとか、頑張って出世するとか、お金貯めるとか、ではなくて、何かを創り出せばいいんです。子供でも、事業でも、作品でも、ムーブメントでもいいから、何かを生みだせばいい。(ただし子供の場合は、ある時点で手放す必要があります)

そうすることで、「創造主の悦び」が手に入る!


自分探しはもちろん、自己研鑽とか、「自分を高める」とか、いくらやってても、どこかで空しくなる。 「あれ? つまり何をやりたかったんだっけ?」ってことに、なってしまう。

手間暇かけるべきは「自分」じゃなくて、「自分の作品」のほうです。「自分の成長」にこだわるのではなく、「何かを生みだすこと」に注力しましょう。そのほうがよほど大きな悦びが得られます。

「これを創ったのはオレだ、私だ」と言える作品。そういうモノが持てるというのは、ほんとーに幸せなことだから。


そんじゃーね



私がこれまで「ちきりん」を、どのように(丹精込めて)育ててきたか、関心のある方は、こちらをどうぞ ↓

「Chikirinの日記」の育て方
ちきりんブックス (2013-11-26)
売り上げランキング: 3,304

渋谷の大型店でのフェアの様子

(写真提供 ダイヤモンド社)


おなじみの本が並んでますねー。

(写真提供 ダイヤモンド社)


他にも、「東大と京大で売れてる本」っていうテーマでの選書もあるみたいでーす。