先日紹介したチュークへは、日本からはグアム経由で行くことになります。
グアムと言えば日本人に人気のリゾート地で、わざわざ結婚式をするために訪れる人もいる一方、
今でもその面積の 3分の 1 が米軍基地という軍事島であり、沖縄の基地から、数千名の海兵隊がグアムの基地に移ったりもしています。
また太平洋戦争時には、日本が占領して「大宮島」(だいきゅうとう)と改名、その後、米軍が奪還するに際して、大規模な戦闘が行われた場所でもあります。
1944年、グアムを取り戻した米軍は、ここを拠点に日本本土への空爆を始めます。
東京大空襲、大阪大空襲に使われた B29、そして、広島や長崎に原爆を投下した エノラゲイは、グアムやサイパンを中心とするマリアナ諸島の米軍基地から飛び立ちました。
ここを奪還したからこそ、アメリカは日本への本土攻撃が可能になったわけで、この地域から飛び立った無数の戦闘機によって、日本列島は文字通り“焼き尽くされた”のです。
さらに 1972年には、なんと 28年間も山中で“ひとりゲリラ戦”を続けていた日本兵 横井庄一氏が発見され、帰国しています。
彼が米兵に見つからないよう地下に掘って暮らした“横井ケイブ”(横井さんの洞窟)は、今でもグアムの山中に残っているとのこと。
今回は、そんなグアムの戦争関連博物館を訪ねてきました。
ひとつはこちら。元米軍人の方が個人として、当時使われた戦車や武器などを集めて展示されています。
一番、印象深かったのはコレ。日本軍の飛行機の残骸。ペラペラで、かなり“ちゃちい”感じ。
元米軍の人が作ったミュージアムなので、捕虜となった日本人の写真などが豊富に展示されており、当時の様子がよくわかります。
「潔く玉砕」とか「死んで償う」とか、死ぬことを美化するのはホント良くないよね。
最後の方、南方から攻め上がる米軍のライン。天皇陛下が慰霊に訪れられたペリリュー島の他、硫黄島、レイテなど、よく聞く戦場名が並んでいます。赤い領土以外が奪還され、米軍が沖縄に上陸するに至っても、日本はまだ「本土決戦だ!」と言ってたわけですね。
★★★
グアムって車で回ると数時間で周回できるほどの島で、そんなに大きいわけではないんです。山が多いとはいえ、よくこんなところで 28年間も潜伏できてたなと驚きます。
日本政府が本気でやる気になってれば、(見つけられないまま亡くなった方も含め)もっと多くの方を、早く発見できていたのじゃないでしょうか。
治安のよくないインドネシアやフィリピンの戦場と違い(←反政府ゲリラとかもいて残留日本人兵を探すのは大変)、グアムなんてアメリカ領だし、高度成長期には多数の日本人観光客が免税品の買い物に押し寄せていた島なのに・・・
ホンモノの横井ケイブは山中の私有地にあり、特別なアレンジをしないと訪れることはできませんが、近くの山中には、それを模した洞窟が作られています。(ふたつ上の説明書きで“偽物”とされているもの)
当時の日本が、どんだけ野望に満ちた国であったか、語られています。
連合艦隊司令長官の言葉。当時の日本軍は、「神のために喜んで命を差し出す自爆テロ軍団」として怖れられていたのでしょう。天皇陛下が熱心に慰問にでかけられる理由も分かる気がします。
※展示品の写真撮影には博物館の方の了解を頂いています。
★★★
チュークでも戦争の遺構を訪ねました。
こちらは“かまぼこ兵舎”と呼ばれた日本軍の兵舎。今は企業の倉庫などとして再利用されています。当時はこれがずらりと並んでいたとか。それにしても南国でトタン屋根の兵舎は暑くて大変そうです。
軍壕(かつ防空壕かな)の中。広くひんやりしています。現在は、現地の人が住居として使っていたりもします。
軍壕の入り口から海の方に向けて設置された大砲が残っていました。米軍の上陸作戦を迎え撃つためでしょうか。きれいな海や気持ちの良い風と、戦争と大砲という対比が印象的。
島には日本兵の慰霊碑もいくつか建てられています。こちらのように、比較的きれいな慰霊碑もありますが、
現地の人が住む家の庭に、ぽつんと残された慰霊碑もあります。いずれも、遺族や軍人会が設置したものです。