“ちきりん”として人に会う時、相手の年齢や性別によって、どんな形で会うかがけっこう異なります。
たとえば、20代の人と会う場合、相手は圧倒的に男性が多く、大半が起業をしているか、NPO を率いている人、もしくは、それらを検討している学生です。
ごく普通に就職しようとしてる子は、私になんて会いに来ないし、来ても私も会いません。
おそらく 20代で起業するのって、男性が圧倒的に多いんですよね。だから 20代の場合は、男性ばかりと会うことになるんです。
ところが 30代の人に限ると、会うのは女性のほうが多くなります。このあたりから「レールを降りよう!」と決断する女性が増えるからです。
どんなに制度が整った大企業で働いていても、自分に与えられたチャンスが必ずしも男性と同じでないことや、専業主婦にフルサポートされた男性と同じペースで働くことの限界が見えてきます。
自身の出産や子育てと仕事との関わりについても考える必要がでてくるし、そもそも男性のような働き方を自分はずっと続けたいのか? という疑問もでてきます。
このため女性の場合は 30代あたりで「思い切ってレールを外れてみよう」と決める人が増え・・・そうすると“ちきりん”との関わりがでてくるわけです。
反対に男性の場合は、20代の時はレールを外れるのも怖がらなかったのに、このあたりから「家族のため」という理由で一気に保守化します。
だから私が会う人の性別比率が、20代と30代で逆転するのです。
ただここまでは、会う目的の大半が「相談事に答える」「アドバイスする」「煽る」などです。つまり私と相手は対等ではなく、私=アドバイスする人、先方=アドバイスを求めてる人、という関係なんです。
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これが、30代後半から50代前半くらいまでの人と会う場合、その関係性は“対談”や“トークショー”、もしくは一緒になにかプロジェクトをやる、みたいな話になります。
つまり、若い人と会う時とは異なり、対等な関係で会うようになります。どちらかがどちらかを煽ったりアドバイスしたり、といった会い方にはなりません。
当たり前と言えば当たり前です。そんな年になって「ちきりんさん、アドバイスください」みたいな人と会っても仕方ないでしょ。そしてそう思うのは相手も同じ。
お互いに相手のやってるコト=仕事なり生き方の姿勢なりを「おもしろいな」「すばらしいな」「この人の話を聞いてみたいな」と思うからこそ、対談も、そして出会いも成立するわけです。
で、さらに年齢が上がって、60才とか 70才の方と会う場合、さらに関係性が変わります。
まず、こういう年齢で“ちきりん”に会おうなんて人は、ものすごく気持ち的に若いですよね。
肩書きや学歴、職歴ではなく、「本人に価値があるかどうか」を自分で判断する人じゃないと、私に会おうなんて思いません。
だから 60才を超えて会う人というのは、
・好奇心旺盛で、
・新しいモノに肯定的で、なにかというと“できない理由”を探すような高齢者とは全く違う。そして、
・気持ちだけでなく体力的にもやたらと若いです。
みんな、あたしの 5倍くらい活動的なんじゃないかな。
ここでは、先方は新しいスタイルで世の中にでてきた“ちきりん”に興味をもち、
私の方は、年を取っても常に前向きでいるための秘訣と、長い経験からそれぞれの方が学ばれたことを、ちゃくっと教えてもらおうとする。いわば、世代間の知恵と知見の交換ですね。
このように、いろんな年代の方と会いますが、それぞれの方との関係性は、性別や年齢によって少しずつ違っているわけです。
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でね。
振り返れば 20代の頃、私も今の私くらいの年齢の人から、よく話を聞いていました。今とは反対の立場で、煽られたり、教えてもらったり、怒られたり、励まされたりしてたんです。
あの頃、経験豊富な先輩方に世の中と人生と仕事について惜しげも無く教えてもらえたことは、本当に大きな意味がありました。それらがあったからこそここまでこれた、といっても過言ではありません。
とはいえ、若者に有意義なアドバイスができる人はそれなりに忙しいので、若者なら誰とでも会ってくれるわけではありません。
つまり、20代の時にずっと年上の経験豊富な先輩に時間を使ってもらえる若者と、そうでない若者が(現実に、そして今も昔も)いるんです。
そしてさらに重要なことは、そこから数十年たった後、20代の時にいろんな先輩からアドバイスをもらえた若者のうち、ごく一部の人だけが、今度は次世代の若者から「会ってください!」と言われる人になるってことです。
若者だって「人生の先輩だから」などという理由で、自分の親より年をとったおじさん、おばさんのすべてに会いたいわけではありません。
「この人なら自分の未来に役立つ話をしてくれるだろう」「頭が固く、保守的でダメだしばかりするのではなく、おもしろい、目鱗な話が聞けるだろう」、そう思う人を選んで会いに行くわけです。
つまり、若者の中に「人生の先輩から、アドバイスをもらえる若者とそうでない若者」が存在するのと同様、人生の先輩側にも「若者から会って欲しいと言われる人とそうでない人」が存在するんです。
そして、この話のポイントは、
人生の先輩が会ってくれる若者 30% 対 そうでない若者 70%
くらいの割合なのにたいして、
若者がアドバイスを求めてやってくる中高年 10% 対 そうでない中高年 90%
くらいだということです。
若い時に人生の先輩からいろいろ教えてもらえていた若者のうち、自分が年をとった時に、若者からアドバイスを請われる立場になれる人は、3人に 1人くらいしか出現しません。
先日も 20代の大学院生にいろんなアドバイスをした時、私は最後にこの話をしました。
「今あなたは 10人の若者のうちの 3人に入ってる。だから私は時間とお金を使ってあなたに会ってる。でも、将来のあなたが、将来の若者に選ばれるかどうかは、今からのあなたの行動によって決まってくる」って。
そっちのほうがよほど難しく競争率が高いのだってことを、若い人はよーく覚えておきましょう。
20代の時に、ずっと年上の人から「アドバイスをもらいながら食事もご馳走してもらう」みたいなことが続いても、それを悪いとか、申し訳ないと思う必要はまったくありません。
なぜなら、あなたに食事代とアドバイスの両方を提供してくれている目の前の人は、ほぼ確実に、若い頃、同じように「人生の先輩に奢ってもらいながら、貴重なアドバイスを受け取る」という経験をしているからです。
彼らは、時を超えて「昔、自分がおごってもらった分を、おごりかえしてるだけ」です。だから気にする必要はありません。
大事なコトは、自分が年をとった時、若者におごりかえせないヒトにならないよう、気をつけることです。
その気もお金もあるのに、若い人に奢ることができない人って、たくさんいるですよ。
だって、もし若い人が誰もあなたにアドバイスを求めに来なければ、ご馳走することもできないでしょ?
若い時は遠慮無く先輩にご馳走してもらいましょう。そしてその分を、しっかり次の世代の若者におごり返しましょう。
決して「若い頃はたくさんおごってもらったのに・・・今やおごり返す機会も得られない残念な人」に、なってしまわないように。