最近、強者がもつ最大の特権とは、「いつでもやめられる」ことなんだなと再認識しました。
たとえば仕事。
「この会社をやめたら、今以上の条件で再就職できることはまずない」と思う人は
どんなに大変な状況でも
どんなにくだらない仕事でも
簡単には辞められません。
セクハラやパワハラを受けていても、「それでもここより条件のいい職場はありえない」と思えば我慢するしかない。
反対に、いくらでも活躍できる場所のある人なら「こんなアホみたいな環境で働くのはまっぴらごめん」とソッコーで言えちゃう。
「何やっても食べていける」「今ここを辞めても、あたしの市場価値は下がったりしない」と思えれば、さっさと辞められる。
「いつでも辞められること」こそ、強者の特権であり、(反対にいえば)強者であることの証しなのです。
「別れたいけど、離婚しても食べていけないし」と考える人は、自分からは結婚生活を止められないし、
「この人と別れたらもう一生、結婚なんてできない」と考える人は、少々イラつき始めてもその関係にピリオドを打てない。
でも、
「ひとりでも楽しく生きていける。自分でも稼げるし」とか、
「女なんか(男なんか)いくらでもいる。そのうちまたいい人に会えるでしょ」と思える人は、くだらないと思えばさっさと関係を終わらせられる。
「高かった」という理由でモノが捨てられないのも同じ。
経済的な余裕がないと、買ったモノが気に入らなくても使い続けるしかない。
一方、お金に余裕がある人は、
引っ越したばかりでも、家の周囲がうるさくてウザイと思えば、そこに住み続けるのを止め、さっさと引っ越してしまえるし、
1年も待って買った「鍋」の使い勝手がもしイマイチだったら、すぐにでも別の鍋に買い換えられる。
「このソファ、いいと思ったけど固すぎた・・・」と思えば、数十万だして買ったソファでさえ、すぐ買い換えることに躊躇しないかも。
彼らには「気に入らないモノを我慢して使い続ける」必要なんてどこにもない。
いじめられて我慢してる子供だって、「学校なんて行くの止めてもなんの問題もない」と思えれば逃げ場が見つけられるし、
反対にイジメに荷担してるほうだって、「このグループから放り出されたらもう友達はみつからない」と思ったがために、気の進まない「いじめ」に荷担することを断れなかったという子もいるんじゃないかな。
「友達なんていくらでも作れる」「○○ちゃんに嫌われても人生終わったりしない」と思えれば、不毛な友達関係にはピリオドを打ち、嫌なことはイヤだと言えるのに。
長年やってきたこと、多大な時間とお金を注ぎ込んできたことを「やめられなくなってしまう」人はもっと多い。
そこまでして求めたものが手に入らない人生なんて、考えられなくなってしまうから。
「たしかに手に入れたいものだった。でも、それがない人生だってありえるよね」と思えれば、思い切って止めることもできるのだけど、
他に選択肢がないと「こんなところでは絶対にやめられない!!! いま止めたら、あたしの人生はなんだったの!?」
と意固地になってしまい、人生全体が超不毛な「執着モード」に入ってしまう。
そしてもしも将来この国が大混乱に陥り、シリアみたいな状態になったとしたら、
「どこでも生きていける」と思える人は日本に住み続けるのを止め、外に出ていくこともできるけど、
「外国なんて行ったこともないし・・・」
「英語も話せないし」
って人は、どんな状態になっても日本に住むのをやめられない。
最近、いろんな人を見ていて思うのは「強い人はなんであれ止めることを躊躇しない」ってことです。
自分の人生を何に使うべきかと考え、「明らかにこれではない」という結論がでた時、
それをすぐに止められるのが強者で、
「そんな簡単にやめられるわけない」と思うのが弱者。
そう考えると、弱者ってほんとに大変だなと思う。
「やめたいことがやめられない」って、何よりストレスフルなことだし、止められないがために、更に弱い立場に追い込まれてしまう。
反対に「やめられる強者」は止めることにより更に強くなっていく。
あたしはこれからも「止めたいことはいつでも止められる人生」を歩んでいきたい。
それってもしかすると「やりたいことはなんでもできる人生」より大事なんじゃないかという気さえしてる。
そして今、「やめたいけどやめられない」がために多大なるストレスを抱えている人たちにも、
すこしでも早く「やめる力」を手に入れてほしい。
「自分は止めるべきことをちゃんと止められているか? ちゃんと止めてきたか?」
そう問い続けてみてほしい。