進化版ライフスタイルとしての「ひきこもり」

先日みたNHKの情報番組(2020年11月25日あさイチ)が、「広義の“ひきこもり”の定義」を紹介していました。

・自室からほとんどでない
・自室からはでるが家からはでない
・近所のコンビニなどには出かける
・趣味の用事のときだけ外出する
 という状態が、半年以上にわたって続いている場合

注目すべきは、
番組内では何度もこの定義に加え

「たとえこういう条件に当てはまっても、自分がつらくなければ問題はない。生活が楽しいなら心配する必要はない」と強調されていたことです。

これ、ものすごく興味深い変化です。

以前なら、「ほとんど家から出ない」だけで「ひきこもり」だったはず。なぜなら、そういう状態の人で「毎日が楽しい」人などいなかったから。

んが!

今や、「近所のコンビニと趣味目的以外では出かけない」にもかかわらず「人生が楽しい!」「生活費はちゃんと稼げてる!」という人も増えています。

理由は ITやウエブサービスの発展で、稼ぐのも使うのも遊ぶのも在宅で可能になったから。

今年はそこに、コロナによる「仕事はテレワーク、飲み会はオンライン飲み会、帰省もオンラインで!」というステイホーム運動が拍車をかけました。

★★★

自身の生活を振り返っても、趣味の用事(旅行や小売店ウォッチ)と近所のスーパー&コンビニ以外の外出はほとんどしません。

だから最初の定義だけだと「広義のひきこもり」に近いのですが、仕事は在宅でもできるし、すごく「つらい」感じもありません。

そもそも「孤独耐性」は個人差が大きく「毎日誰かと話してないと耐えられない」人もいれば、一週間に一度くらい誰かと話せればいい、という人もいます。

また、番組では「夫以外と口をきくことがない。社会から孤立してる気がする」という専業主婦がひきこもり例として取材されていましたが、「夫だけと話せれば十分。仕事なんてしたくない。ママ友なんて面倒なだけ」みたいな専業主婦もいるでしょう。

番組にでていた専門家も「社会的孤立の状態でも、本人の心情からみたときにそれが幸せと感じられるなら、特に問題はない」と言っており、

いまや「ひきこもり」かどうかは、家から出ないかどうかという客観的な状況によってではなく、その生活を本人がどう感じているか、という極めて主観的な感情によって定義されるモノになったわけです。

これ、すごい変化でしょ!?

★★★

今までは、家からでないと必然的に下記のような状態に陥っていました。
・稼げない
・生活に必要なものが手に入らない
・家族以外の誰ともコミュニケーションできず、孤独になる

が、今は、
・在宅でも稼げる
・在宅でもネットで必要なものは買える
・在宅でも、いろんな人と話したりオンライン飲み会したりできる

わけで、

成功したyoutuber など「家から一歩もでないけど、日本人の平均年収以上に稼いでる」し、「登録視聴者が数十万もいるので、なんも淋しくない」という人もいます。

今、ひきこもりは100万人以上といわれ、その多さが問題視されています。

んが、

在宅で稼げ、かつ在宅で楽しい生活が送れる人があと何百万人増えても、なんの問題でもありません。

つまり「ひきこもり」は今や、ライフスタイルの選択肢のひとつとなったのです。

★★★

なのですが、

やっぱ「ほとんど家から出ない」という生活には問題もありますよね。

まず、相当に気をつけないと健康を害します。

家でもヨガや筋トレはできるけど、やっぱり「毎日少しでも歩く」とか「太陽の光を浴びる」のは健康への貢献度が大きそう。

ずっと座っているだけでは、加齢に伴い様々な生活習慣病に悩まされるのではないかと思います。


第二に、家にこもり、誰とも会わないと、「基礎生活スキルが身につかない」という社会性リスクが生じます。

基礎生活スキルとは、

・定期的に洋服を着替え、それを洗濯し、歯磨きしてお風呂にはいって定期的にシーツも取り替え、部屋の掃除をしてゴミをすてる、などして清潔な環境を保つ

・栄養バランスの良い食事をとる。アルコールなどを過度に摂取しない

・体の調子が悪くなれば病院に行ったり、治療を受けたりする

・納税したり、収入内で暮らすために収支(家計)管理をしたり、最低限、必要な行政手続きをルールに沿って処理する
といったスキルです。

自室や自宅に閉じこもり、たとえお金は稼げていても、たとえネットスーパーとアマゾンで必要なものは手に入れていても、

・めっちゃ不潔な環境でゴミとダニに囲まれて暮らしていたり、
・不健康なものばかり食べて体を蝕んだり、
・調子が悪くなっても病院にも行かず、
・親が死んでも死亡届も出せないほど、なんの行政手続きもできなかったり、
するのは、

たとえ本人が「自分はコレで幸せ!」とか言ってても、問題でしょう。

★★★

以上、整理すると、

1.時代が変わり、「ひきこもり」=家からほとんど出ずに暮らすこと自体は問題ではなくなった。

2.ひきこもりが問題になるのは、下記のいずれかの問題が生じたときのみ。
・本人がそういう生活や人生を「つらい・苦しい・なんとかしたい」と感じている場合
・ひとりで生きていくための「清潔で健康的で社会的な生活を維持するための最低限の生活基礎スキル」が身についていない場合


ところで皆さんは、最後の部分の条件に「稼げているかどうか」が必要と思いますか?

毎日楽しくひきこもっていても、「自分で」稼げていないと問題だと考える人もいるのかもしれません。

でも私は、それはどうでもいいと思っています。

親の遺産や、親が残したアパートや駐車場からの家賃収入、親や配偶者の稼ぎや生活保護など、自分が稼いでいなくてもなんらか収入があり、それで生活を成り立たせているなら、他人がとやかくいう必要はないと思います。


また、実は「生活に必要なお金がない」という問題は、ひきこもり問題の中では比較的「解決の容易な問題」です。

だって経済的な問題は、役所が生活保護の支給を決めれば解決できます。

でも!

・毎日つらい、苦しいと感じている人に「いやいやもっと楽観的になろうよ。生きてるだけで丸儲けなんだよ!」などと180度の意識転換を図ることや、

・最低限の生活基礎スキルがついてない人に(しかも子供ではなく40代とかの大人に!)、毎日、歯磨きさせてお風呂に入らせて洗濯やバランスの良い食事の用意の方法を教える、みたいなことって、めっちゃ難しいっしょ。

支援団体にしろ役所にしろ、ひとりひとりにそんなこと身につけさせようと思ったら、どんだけの手間と時間がかかることやら。

とてもじゃないけど生活保護の費用(月10万とか20万円とかのコスト)では、大の大人にそんな世話はできないと思います。

★★★

でね。そうであれば、この問題はもはや「ひきこもり問題」ではありません。

だから名前を変えた方がいいと思う。

「ひきこもり」自体は今や進化版のライフスタイルのひとつなんだから、「ひきこもりで何が悪い?」って感じです。

んが、

「他の人と同じように通勤できない自分はダメだ!」と感じる「人と同じコトができないと苦しい病」や、

洗濯も食事の用意も掃除もできない基本的な生活スキルの欠如のほうが問題なんです。

だったら呼び方は「ひきこもり問題」ではなく、
「みんなと同じでないと苦しい病」とか
「生活スキル欠如問題」と呼ぶべきじゃん。


それらは誰が教えるべきかって?

ひとつめの「みんなと同じことができないとダメ」みたいな価値観は、間違いなく「学校」が刷り込んでるので、まずはそれを止めたほうがいい。

朝礼とか運動会で全員で並んで行進する練習とかは廃止。あんなの参加したい人だけやればいい。

あと、どの先生のどの授業を受けるかは、生徒それぞれが選択制で決められるようにすべき。

「みんな一緒」に学ぶ必要なんてぜんぜんない。

学校の先生よりわかりやすい教育動画があるなら、youtube で勉強してテストで習熟度が確認できたらそれでいいじゃん。


基礎生活スキルのほうは(できるなら)家庭で教えるのがいい。

小さいときから「勉強ばかりやってないで、自分の食器や洋服くらい自分で洗いなさい!」と言って育てたり、ゴミ出しやトイレ掃除くらい、中学生くらいから担当させるとか?

もちろん学校の家庭科の時間も、他の教科の時間を削ってでももっと増やしたほうがいい。簡単な調理だけでなく、掃除や行政手続きの方法も教えればいい。

不登校の多くは中学校あたりから始まるので、小学校の間に集中的に。

★★★

繰り返しになりますが、

「ひきこもるライフスタイル自体はなんも問題ない。それは令和の新しいライフスタイルのひとつだ」ってことをお忘れなく。

通勤なんてせずに在宅で稼ぎ、
家でバランスのいい料理を作って、掃除や洗濯や断捨離もして身の回りを清潔に保ち、
健康のため、定期的にウォーキングやジムで運動し、
あとは家の中で好きなだけ趣味に没頭する。
必要なら、趣味に必要な範囲ではどんどん外出する。

そんなひきこもりに、あたしはなりたい。

(いや、既に・・・以下略)


 そんじゃーね