感慨、そして前へ?にっぽんの金融業界

三菱がモルスタに20%程度の出資をし、野村がリーマンのアジアと欧州部門を買うと言っている。

ゴールドマンはまた住友に出資を依頼してきたらしい。長く金融業界にいる人にとっては、なんとも言えない思いのするニュースだと思う。

ある種の感慨深さ、でも、そう単純でもない苦い思い、期待と不安と疑心と希望の入り交じる、複雑な気持ちなんじゃないかしら。



思えばバブルの頃、日本の大手金融機関は皆、欧米の一流金融機関に“並ぼう”とした。

日本生命はシェアソンリーマンに出資し、住友はゴールドマンに、そして野村もブラックストーンなど欧米の一流投資企業と次々と提携した。

しかし、これらの時代、日本の金融機関と欧米の外資系金融機関の技術力格差は、「日本企業側が理解できないほどに」大きかった。

格差が大きいことが問題というより、「その格差がどれくらいか、わからないくらいだった」というのが本質的な問題だったと思う。


結局のところ、ものすごい額のお金をつぎ込んで彼らがえたものは、毎年数名、相手側に“研修生”を受け入れてもらう、という程度のことだった。

30代くらいの“そこそこ”英語のできる社員がNYだのロンドンだのに送られて、1年か2年、相手側のオフィスですごす。

しかし相手側は日本企業ではない。

机にぼーっと座っていても何かがわかるわけではない。ほんのちょっとお手伝い程度のことをしたり、定例のミーティングに同席したりするだけ。

日本に戻ってきた彼らが何か貢献できるか?できることは唯一、「その格差が、日本側の経営者が考えているようなものでは全くない」と、ごくごく遠慮がちに報告することだけだった、と思われる。

欧米では純投資以外で株を買うのなら、きちんと自分の欲しいモノを主張し取りに行くのが普通だ。

日本の金融機関がぼんやりと期待した「大株主になればそれなりに優遇してくれるかも」みたいな“あうん”の呼吸が通じる世界ではない。ということさえ当時の日本の金融機関は知らなかった。と思う。


そのうちに日本のローカル基準に業を煮やした欧米の“BIS基準攻撃”とバブル崩壊が重なり、日本の金融機関は巨額の投資からなんの見返りも得られないまま次々に海外事業や先進事業から撤退することになる。

そして長い長い冬の時代。多くの金融機関が「国内のみ」「リテールのみ」に特化し始めた。彼らがこの期間に失ったものは不良債権処理のための資金だけではない。

“一流企業”の名前をほしいままにした金融業界はその座をすべりおち、優秀な人材の流出は甚だしい。

15年前と今の銀行の人材の質がどれくらい異なるか、ずっと内部にいる人で嘆かずにすむ人はいないだろう。

長きにわたり公的資金で縛られて経営の自由度を失い、すべての戦略は“後ろ向き”のものとなった。しかもその間、世界の市場では全く通用しない自分たちの姿を彼らは見続けていた。長い長い長い冬だった。

そして今、ようやく少し体力が回復してきたタイミングで、昨年まで我が世の春を謳歌していた欧米の金融機関が、いきなり再度こけた。



野村にとってリーマンを丸ごと買うチャンスがくるなんて、どれだけの僥倖であろう。

日本の他の証券会社は潰れたり、外資に買われたり、銀行のグループ傘入りしたりして消えていった。純粋な日本の証券会社は大手では野村だけ、しか残っていない。

日本では盤石の力を持つ野村も、しかし海外では全くプレゼンスが出せなかった。

地道にアジアでのビジネスを拡大し、欧米ではチームごと大金をはたいて外人を引き抜いた。

ひとつひとつは成功したり失敗したり。しかしそんな“一歩ずつ”のうち手ではあまりにもゴールは遠すぎた。

その様子をみて“ほらね、単独では無理なのさ”と誰もにささやかれながら、それでもかたくなに“飲み込まれること”を野村は拒否してきた。“孤高の侍”みたいなプレーヤーだった。

遙か彼方の欧米プレーヤーの、時々見えなくさえなる背中に目を凝らしながら、“唯一日本の証券会社”として海外市場でプレーすることを祈念してきたこの巨人にとって、リーマンの破綻は千載一遇のチャンスと映っただろう。


これは本当に成功するのか?


そんなの誰にもわからない。


ひとついえることは、今回の買収判断のスピードは、従来の日本企業の経営判断の“想定範囲”を超えていた、ということだ。

世界が理解できるスピードで、彼らは決断した。このことは、“もしかしたら今回は?”という薄ぼんやりとした希望を私たちに与えてくれる。

もうひとつ教科書的に言えば、このスピードは、「正当な準備をしていれば日本企業だってちゃんとしたスピードで決断できるのだ」ということを物語っている。

最初に戦略目標があり、何が売りにでたら即買うのだ、という決断が先にあって、“玉は後から”でてくるものなのだ。そうすれば決断には全く時間がかからない。

今回がそのケースだ。これは玉が出てきてからびっくりして「どうするべ?」と考えるのとは全く違う。


三菱のモルスタや、住友のゴールドマンの話はよくわからない。これがまた純投資としてさえたいした意味をなさないお金の無駄遣いになってしまうのか、なんらかの戦略的価値を生むオプション料となりえるのか。

少なくとも彼らは昔とは違う。少なくとも「彼我の差」の大きさだけは、さすがにもう知らない人はいない。どれくらいその距離があるかは、皆わかっているはず。

いや、こちら側には「頭でわかってはいるが、」という人も多いかもしれない。

しかし、相手側にそれを知る日本人がたくさんいる、というのが今回と前回の大きな違いだ。モルスタにもゴールドマンにもリーマンにも、三菱や住友や野村で働いたことのある日本人が大量に在籍している。

彼らは非常にビビッドに、そして、日本側が理解できる言語で「何が違うのか」を伝えることができる人たちだ。


しかし、そういった人たちを日本側の経営者が活用することが本当にできるのか?

よくわかんない。


「また高い授業料を払うことになる。」
「なんどやっても同じ。」
「金づるとして馬鹿にされている。」


という人たちがいる。


でもね、ちきりんは“いいじゃん”と思ってる。だって進歩ってのはそういうもんだ。一足飛びに一番前にでたりはできない。失敗して苦労して馬鹿にされて失って傷ついて唖然として、そうして少しずつ前に進めばいい。


「そんなのんきなことを。住友や三菱がつぎ込む金は結局は預金者やローン借りてる人の金だろ?無駄使いするなよ!」って?


そういうこと言ってちゃだめなのさ。5円を惜しむような生活しててもだめなんです。賭ける時はどどどーんと大きく張る!



それが大事なの。


どどどーんとね。


おもしろそう!
ふむ。


じゃね!


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