処刑を免れた元首 その2

前々回、前回と、マリーアントワネットや昭和天皇について書いてきました。

今日はもうひとり、革命時に殺害されなかったとても有名な「最後の皇帝」の人生を振り返っておきましょう。

それは、中国清朝の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀です。

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愛新覚羅溥儀と妻

ラストエンペラーとして映画や手記でも有名な溥儀(日本語読みでは“フギ”)は、辛亥革命で清朝が倒れた後、処刑されることなく病死する61才まで、当時の中国の平均寿命からいえば、ほぼ天寿を全うしました。

彼はなぜ処刑されなかったのでしょう?

この人、清朝最後の皇帝であっただけではなく、革命後にも(当時の中国の敵国である)日本政府と結託し、傀儡国家・満州国の皇帝となって清朝再興をもくろんだりしており、

中国政府からしてみれば、単に無邪気で無知な女性だったマリーアントワネットどころではない酷い所業を重ねた元皇帝。

なのに処刑されてない。


日本が戦争に負けた後、やばっ!と日本に亡命しようとした溥儀。

が、飛行機に乗る直前に捕えられてしまいます。

本人はおそらくこの時点で、処刑されることを覚悟したんじゃないでしょうか。

でも彼は、処刑される代わりに撫順の政治犯収容所(撫順戦犯管理所)に送られ、弟や満州国の幹部ら他の戦犯と一緒に10年あまりを政治囚として過ごしています。

処刑されたマリーアントワネットとも、
同じ住居に住みながら贖罪の後半生を送った昭和天皇とも異なり、
収容所で更生の機会を与えられたわけですね。

んが!

なんたって元皇帝。

身の回りのことなど一人では何もできない。

そんな彼も収容所では「他の人と全く同じように」食事の用意から洗濯や掃除まで教えられ、食料確保のための農作業にも参加。

加えて再教育を受け、「敵国である日本の傀儡となってまで皇帝に戻ろうとした自分の罪や特権意識」と向き合い、反省の日々をおくります。

こうして模範囚となった彼は特赦を受け、皇帝としてではなく一般人として再びシャバの生活に戻ったのです。

★★★

一生の間に彼が過ごした場所を振り返ってみましょう。

実は私、これらの場所をすべて実際に訪ねたことがあるんです。下記の写真はすべて、その際に私がとった写真です。

まずは幼少期から皇帝として過ごした北京の紫禁城。行ったことある方はわかると思いますが、「広大すぎて!」びっくりします。

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紫禁城全景 広すぎてか霞んでる・・

次が、日本の傀儡政権となっていたときの新京の住まい。日本軍が用意した住居でしょうか。

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満州国の皇宮(今は歴史博物館)
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日満議定書が締結されたデスク

当時としては豪華なお屋敷ですが、とはいえ、紫禁城から比べれば、ほんとーに小さく質素な住居であり、溥儀としても必ずしも満足だったわけでもないでしょう。

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皇帝溥儀の椅子 紫禁城とは比べものにならない質素な部屋

しかし!

その後に収容された撫順の戦犯管理所はそれどころではありません。

この収容所、今は歴史博物館となっており、私も訪ねたことがあるのですが、とても印象的な場所でした。

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撫順の政治犯収容所(撫順戦犯管理所)

再教育施設を兼ねているとはいえ、鉄格子や監視システムもあり、そこはやっぱり「戦犯向けの牢屋」です。

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収容所の内部

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収容されていた戦犯たち(左上に溥儀、二段目中央に弟の溥傑)

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歴史博物館としてはなかな充実した展示で、ここに収容されていた日本軍の戦犯の手記なども読むこともでき、いろいろ考えるところもありました。

しかし!

なにより驚いたのは併設されていた「世界の皇帝たちの運命」についての展示室です。

そこでは、様々な国で革命後に処刑された王族の写真などがずらりと展示されています。

もちろん、マリーアントワネットやニコライ皇帝一家などについても、パネルや説明文によって処刑の方法まで書かれてる。

そして説明はこう続くんです。

「だが中国共産党は、革命後も清朝の皇帝を処刑していない。なぜなら我々は、たとえ日本と共謀して満州国まで再興しようとした元皇帝であったとしても、再教育さえすれば、心から反省し、ひとりの労働者として生まれ変わることができると信じたからだ」と。


ひえー!

それが目的だったのかー!!!

って感じでしょ。


まあ実際のところ、革命後に元首の処刑を行わないウラには必ず政治的な意図があります。

「政治的に役にたつ」から、命を奪われずに済むわけです。

それは昭和天皇も溥儀も同じ(ちなみにこの二人は、存命時代に一緒に馬車でパレードするなど親交がありました)。


また、共産主義というのは、「理論としては正しいところもあるが、実践としては誰も成功していない」机上の空論的な思想なので、戦争直後には本当に「死刑ではなく更生」が正しい道だと信じたのかもしれません。

というのも、政治的にたいして利用価値のない日本の戦犯もこの収容所で処刑されずに更生教育を受けたりしてるんで。


そして最後にもうひとつ。

清朝の皇帝一族には、この収容所に収容された溥儀&溥傑だけでなく、王女たちもたくさん存在します。

彼ら・彼女らの多くは共産主義革命のあと、アメリカや台湾などに亡命しているのですが、その中であえて中国に残り、捕らえられた王女もいます。

その人も処刑されずに「再教育」を受けて思想改造されてるんですけど、こちらはその過程を事細かに綴った本がでてるんですよね。

これ、ほんとーに衝撃的な本で、私はこれを読んで、再教育ってほんとーーーーに人間の考えを根底から変えてしまうんだなと、(もしくは、変えることができるんだなと)びっくらしたのを覚えています。


以上、マリーアントワネット、ニコライ皇帝の子供たち、昭和天皇、そして中国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀に上記の本を書いた清朝の王女。

処刑されたかどうかに関わらず、彼らの人生は本当に壮絶なものです。

でも彼らは誰一人として、「選んで皇帝になった」わけでも「選んで王妃になった」わけでもありません。

たまたま清朝の血族として、ハプスブルク家の娘として、そして「万世一系の家系」に生まれただけなんです。

それでも、一般人にはありえないほどの波乱に満ちた激動に巻き込まれる。

今でもそうでしょう。

結婚さえ「国民全体の祝福」がないとできないんですよ。

ほんと大変な運命だなと思います。



 そんじゃーね