「テニアン島」をご存じでしょうか?
サイパンのすぐ近くにある平坦な小島で、戦争当時、最初は日本軍が、最後はアメリカ軍が軍用飛行場として使った島の名前です。
日本の敗戦は、この島を米軍に奪還されたときに決定的となりました。なぜならテニアンは、B29が燃料補給なしに日本全国に爆撃を行い、戻ってこれる距離にあるからです。
広島と長崎に原爆を落としたエノラゲイも、この島から飛び立っています。
東京大空襲をはじめとした日本各地への一斉爆撃も、この島から飛び立った無数の B29によってもたられました。
もちろん当時の日本軍も、この島が絶対的に重要であることは理解していました。
だから「絶対国防圏」として死守すべく、満州にいた部隊なども移転配備するなど防衛準備を進めていました。
しかし日本軍には、もはや十分な準備をするだけの国力が残っていませんでした。
このためサイパン防衛戦の目的は「本土決戦を1日でも送らせること」となっていました。
「負けるのはわかっているが、死ぬまで戦え」ということです。
沖縄戦と同じですね・・・
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サイパンからテニアンへは 5人から 8人乗りの小型飛行機で10分ほど

下記は日本軍が作り、アメリカがB29の発着に使った滑走路。
アメリカに島を取られたあと、ここから原爆を載せたエノラゲイや、東京大空襲を始め、日本各地を火の海にしたB 29の大軍が飛び立ちました。

こちらはテニアンを死守すべく展開していた日本の海軍司令部の建物

内部は破壊され尽くしています。

幹部用の司令部なので、トイレやお風呂も完備。もちろん、一般の兵士は山の洞穴などに寝起きしており、こんなところを使えるのはごく少数の軍幹部だけです。

以前、パラオ(ペリリュー島)にいった時に見た司令部とまったく同じような造りでした。

不発弾などが残っている可能性についての警告版もあちこちに。

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そしてなによりテニアンが歴史上重要なのは、日本に落とされた原爆を載せたエノラゲイも、この島から飛び立ったという事実です。
広島に落とされた原爆の模型と、B29への積み込みピット(ガラスの中)がこちら。こんなところまで観光で訪れることができるのです。

中には原爆積込みの様子が撮られた写真まで置かれていました。

エノラゲイに積み込まれる瞬間の原子爆弾・・・

すぐ近くには長崎に落とされた原爆、通称「ファットマン」の模型も。こちらは長崎への原爆がB29に積み込まれたピット跡です。

長崎に落とされた原爆の現物写真

この滑走路から原爆を載せたエノラゲイは飛び立ったと言われています。こんなところまで入れるなんてびっくり。

島にはこんなものも。B29のプロペラでしょうか? (未確認)


日本軍が防衛や避難のために造った建物もたくさん残っています。穴は上から爆撃された跡です。

島のあちこちには戦後、遺族などが建てた慰霊碑があります。

現地の人は日本語が読めないので、倒れた慰霊碑が逆さに戻されてる模様。

こうした(日本軍が造った)建物や

神社あとには鳥居も残っていました。


本当に大きな学びのあった訪問だったのですが、あまりに悲惨な話が多かったため、詳しくは有料の音声配信にて語っています。
ご関心のあるかたは、ぜひそちらもお聴きください。
・音声配信:第1回 戦後80周年記念 サイパンと日本の歴史
・音声配信:第2回 原爆を落としたエノラゲイの滑走路@テニアン島

