昨年の12月、日本が本格的に寒くなってきたころ、サイパンに行ってきました。

サイパンは常夏。真夏のクリスマスの時期でした。

プールでも海でも泳げる季節でとっても気持ちよかった!

とはいえ、今回はリゾートに遊びにいったわけではありません。
第一次大戦のあと、日本が統治することになったサイパン。一時期は多くの日本人が移住し、サトウキビ栽培などに従事。
大変賑わっていたため、当時の建物もたくさん残っています。
たとえばこちらの神社。「彩帆」がサイパンの漢字表記です。

中心街の「ガラパン」地区の地図

かなり詳しく日本が支配していた戦前の様子が残されています。

日本が作っていた刑務所も

こんな感じで、朽ちつつもまだ残っています。

こちらは奉安殿。当時、天皇陛下のご真影をまつっていた建物です。


一方、サイパンは太平洋戦争(日米戦争)において絶対防衛が求められた激戦地でもありました。(下記は現地の歴史資料館の展示物)

当時の戦車や武器なども多数、残されています。


こちらは防空壕かな?

今回は激戦地だった場所や野戦病院として使われたエリアなど含め、さまざまな戦跡を訊ねました。
(詳細を文字にするのははばかられるほど、凄惨な現場だったと想像できてしまうので、ここで詳しくは記しません)


サイパンが陥落したのは終戦の1年前。そのあと、残っていた日本人は当地の収容所で過ごしました。
こういった説明板はアメリカが設置したらしく、彼らの視点での説明も大変、興味深いものでした。

北部には、最後に残った日本人が「天皇陛下、バンザイ!」と叫びながら飛び降りた(自殺した)と言われるスーサイドクリフやバンザイクリフといった急峻な崖が残っています。バンザイクリフには、上皇后様と上皇后妃のおふたりも(天皇陛下時代に)慰霊に訪れられています。

周囲には、戦後に訪れた遺族の方や存命者の方々が作られた多くの慰霊碑も。

当時は日本(の植民地)だった韓国の人もサイパンで多く働いていました。彼らの慰霊碑がこちら。

こちらは日本の慰霊碑。私たちもこちらで手を合わせました。

さて、戦後の一時期はハネムーナーなど日本からの観光客で賑わったサイパンも今は、人もまばらとなり・・・

繁華街でも多くのお店が For Rent (テナント募集中)となっていました。

そのうえ、謎の(闇の?)中国資本・廃墟・カジノホテルまで・・・
なんか怖すぎます。

日本から飛行機で4時間足らずのサイパン。今回はほんとうに学びの多い旅となりました。
詳しくは Voicyで語りたいと思うので、ぜひそちらもお楽しみください。


