愚鈍なる人生の安逸

“鋭敏な感覚”を持つ人というのは人生がつらいと思う。

特に若い時はそうだよね。

他の人が何も感じないことにこの世の矛盾が凝縮しているように感じるし、何気ない他人の言葉や表情の中に、絶望的な拒絶や身勝手な横柄さ、救いようのない愚かさを見た気になる。

そして一人で奈落の底まで落ち込んでいったりする、でしょ。

なんだけど、そんな人も年齢を重ねるごとに少しずつ愚鈍になる。


誰でもそうなるし、否応なくそうなる。
そしてそれはものすごく幸せなことです。


もちろんその人が希代の芸術家だというのなら、それは“才能の枯渇”を意味してしまう。

なんだけど、実際にはそういう可能性は 99.9%無い。

なので、大半のケースにおいて、年をとれば幸せになれる。愚鈍になることによって。


年をとると、他人とのほどよい距離感のとり方など、若い頃に余りにも難しいと感じたことも感覚的に理解できるし、“気にせずにすます”という技をいつの間にか習得してたりする。

人生も世界も圧倒的なレベルまで偶然に支配されていると気づくと、考え悩むことの無意味さもわかる。

過去において、これは人生をかけて考え尽くすべき深遠なテーマだと思ったことさえ、あまりに単純な原則の上に成り立っていることが見えてしまう。

そして昔想像できた境界線の外の世界の広さを知ると、今までの頑張ってきた自分を滑稽にも許してあげようと思える。


どれもこれも精神の鋭敏さを失うことで実現することであり、大人になるってことはそういうことなんだと。


愚鈍になるということ。

それはとても幸せなことです。



そんじゃーね。


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