“大人度ゲージ”

それぞれの人の“大人度”を考えてみる。

生まれた時は誰でも「大人度 0%」。でもいろんな経験を経て“大人度”は次第に上昇する。

インジケーター、てか“ゲージ”が 0%から 100%に向かって上昇していくイメージです。

ホントの大人になるとゲージは 100%になる。

でも一生“大人度 100”に至らず人生を終える人も大勢いるし、大人度=マチュリティ・レベルは実年齢と相関するわけでもない。

そもそも私の大人度はいくつなのか?

それはどのように 0%からここまで上がってきたのか?これから何があると 100%に向かっていくのか、ってのを考えてみた。


<ちきりんの大人度ゲージの推移>

生まれた時はゼロだよね。

子供の頃インパクトがあったのは、自分の下に二人の兄弟が生まれた時でしょう。

母親の手は二つしかない。右手と左手。すなわち、子供が 3人になった時点で、長女だった私は母親に手をつないでもらえる特権を失った。

5才にして最初の喪失感。

あたしは長女で初孫。

すべての大人にとって自分が一番大事な子供だったのに、「げげ〜、あたしって女王様じゃなかったんだあああああ」って知らされた。

あ〜、思い出してもつらかったぜ。

大人度 2%


これを「挫折期」と呼ぶことにしましょう。

人は誰でも「自分は王様ではないと気がつく」ことで大人への階段を一歩上る。


★★★


学校でも社会性は養われるけど、単に学校に行っただけで大人度が上がるわけではない。

ロボットみたいに朝起きて、学校に行って、座って、夕方に戻ってくれば卒業できますからね、高校までは。

あたしは経験してないけど、もし「小中学校では神童だったが、高校に行ったら普通の人だった」みたいなことがあれば、大人度アップにかなり貢献すると思う。

「自分の限界を知る」とか「自分のいた場所が大海ではなく、井戸の中であったことを知る」というのは、大人度を大きくあげるイベントだよね。

そこで挫折って人もいそうだ。この前、アキバで暴れた人もそんなこと言ってたような。

私の場合は、中学校で「社会の縮図を見た」みたいな体験をして*1、これでかなり大人になった。

子供の人生に全く関心のない親が存在するんだなーっての、ホント衝撃だった。「あたしってもしかして幸せ者なのかも〜」と思った。

社会におけるいわれのない差別の多くを目にして、「世の中ってあまりに汚い」と痛感もした。子供の世界ではなく、大人の世界をのぞいた、と思う。


大人度 7%


これを、「社会(との)遭遇期」としとこうか。

親からや学校で教えられていたことが「嘘じゃん」と気がつき、「ひえ〜、世の中デカっ」って気がつくのが、2番目の階段を上る時。


★★★


高校ではあんまし進展なかった。入学時と卒業時の大人度はほぼ変化なしかもしれない。

しかし、大学の最初の 1年で大人度は大幅にアップした。

大学って高校までとは全然違うよね。そもそも「学校にいかなくても誰も怒らない」。

これはすごい。つまり「大学行く意味」を自分で見つけない限り、行けなくなっちゃう。

実際そーゆー人、いるべさ。(←どこの生まれだ?)


この「“○○する意味”を“自分で”見つけられるか?」ってのは、大人度を左右する非常に大きな命題なわけですよ。その第一歩がここで来る。

今までは助手席にのっていたのに、いきなり運転席に座れと言われる。

そして「どこに行ってもいい。どこにも行かなくてもいい」みたいな立場に置かれると、「あたしは何がしたいの?どこに行きたいの?」ってのを自分で自分に問わなくちゃいけなくなる。

「えっ、別にどこにも行きたくないんすけど、俺」とか言い出すと「んじゃ、エンジン止めるか」みたいな人もでてくる。

一方で、暴走する人もでてくる。

そんな運転、滅茶苦茶だよ!!みたいなことする人もいる。

初めてハンドルを自分で握って、やっていいこと悪いこと、それやると何が起るか、とか、考えられずに走っちゃう人。たまに(比喩的な意味で)「事故死する」みたいな人も現れる。

私の場合、大学に入ったときに実家をでて下宿を始めている。

だから 24時間の自由度が手に入る。それに、生活費の管理も(仕送りとバイト代の範囲で)ぜんぶ自分でやることになる。

学費を払うも、遊びに行っちゃうも、バイト三昧に生きるもすべて自由・・・


つまり授業に出るかどうかという自由度だけでなく、生活全般に完全な自由が手に入った。

すると、なにをやるにせよ、「自分は何をしたいか」というのと、「なんでさ?」ってのが問われてしまう。

ここは大きかったと思います。

大人度 20%


★★★


就職活動をして社会にでる、という活動と最初の数年の仕事、のあたりも“大人度”に与えた影響がでかい。

まずは就職活動。

受験とちがって「メジャーがない」。

受験の時は「定規」があるんだよね。で、その定規に合わせて他人や親がアドバイスしてくれる。「あなたの成績なら、このあたりです」って。

だからあんまり考えなくても「じゃあ、ここ行きます。」とか言える。考えずに人生の駒が一つ進む。

ところが就職活動では「世間一般に使われているメジャー」が存在しない。

「自分だったらどの会社を受ければいいんでしょう?」とか聞いても誰も答えてくれない。

反対に「おまえは何がやりたいのだ?」と聞かれちゃう。

やりたいことがわからないから、どこに行けばいいかと聞いてるのに、そんな逆質問されても困る。

というわけで、高校生ならとりあえず「一応大学行こう。そういうもんらしいし。ええっと、偏差値によるとこのあたりで」みたいな安直な選択が可能だけど、働く時はそうはいかない。

よくわかんね〜な〜とか思っているうちに就職活動シーズンが終わり、そのままなんとなく卒業してしまう人もいたりする。


加えて、それを乗り越えての最初の就職、社会人生活ってびっくりするほどの異質の体験だよね。

やっぱ学生(金払ってる)と、社会人(金払ってもらう)は全然ちゃう。

つらい。

朝起きるだけでもつらい。

よくわからん作業を延々やるのも意味不明。

まじかよ??って思うことがたくさんある。

しかも「給料こんだけ?」みたいな感じ。バイト代のほうが時給がよかったりする。

だから、「なんでこんなつらい思いをしてまで親から独立する必要があるのか?」という問いに答えが見つけられないと、このステージ(危機??)を乗り越えられない。


このあたりまでの時期において“大人度”を上げるというのは、こういう「自分の人生の“なんで?”質問」に答えを見つけていく作業なのだよね。

というわけで、就職 2年目をコンプリートした時点で「お〜、自立するっておもろいじゃん〜」とわかったりすると、大人度 30%。


★★★


上記のステージまでで「○○する意味探索期」が終了し、ここからは「取捨選択期」が始まる。

次の 15年くらい、すべての人が多くの選択肢で答えを選ぶよう迫られる。

転職、結婚、子供を持つか、留学、どこに住むか、どういう働き方をするか、等々。

ここでは「複数の正しい選択肢」が与えられ、「どっちを選ぶねん?」と迫られる。

今までは「複数の選択肢の中から、一番正しいものを選ぶ」というゲームだったのに、ここからは、すべての選択肢が正しい。

正しい選択肢が複数あるなかから「ひとつを選べ」と言われると、「どれが正しいのか?」という視点や訓練は全く意味をなさない。

しかも「全部取り」はできない選択肢ばっかりだ。

昔なら「勉強もスポーツもどっちもがんばる!」とかあったけど、「結婚もするし、独身も楽しむ」というのは両立しない。「ばりばり働くけど、まったり暮らす」もできない。


次々と選択を繰り返し、多くの「選ばない選択肢」を積み重ねる。「捨てるもの」「あきらめるもの」がたくさん積み重なる。

これが人を大人にする。

「あきらめが人を大人にする」というのはこういうコンセプトだ。

「全部は手に入らない」ということのつらさを乗り越えないと次のステージに残れない。


大人度 40%。


★★★


上記と平行して、「親になる」「親を超える」というふたつの「大人になる機会」が与えられる。

ただし後者に関しては、子供も親も健康である限り、大人になるチャンスは得られない。

人より早く大人になる人もいる。たとえば自分の子供の健康に問題が起ったとする。

手術をするかしないか、どういう治療をするのか、みたいな子供の命に関わる判断を求められると、20代でも一気に大人にならざるを得ない。

初めて「自分以外の人の人生を左右する」という体験は、ものすごいプレッシャーがかかる。

自分が若い親である場合、自分の親(祖父母)に頼れるか?

頼れないよね。

意見は聞くだろうし、経済的、時間的には頼れるかもしれない。でも、自分の子供に関する判断は、自分の親(祖父母)にも任せられない。

人はここで初めて「他人の人生に責任を負う」という体験をする。


親についても同じ。

親が健康であれば、なんだかんだいっても「親を超える」という経験はなかなかできない。

しかし親が老いなり病気なり寿命なり、なんらか動物として弱者になっていくのを見て、それに関わる判断を求められると、子供は初めて「立場の逆転」を理解する。

今まで、自分の親が、自分の人生に関わる判断をしてくれていたように、今度は親の人生に関わる判断を、自分がしていくという立場になる。

そして、そのとき初めて知る。

自分は、自分の親のことを全然知らないと。

そして困ってしまう。

どうやって「この人にとってのベストの判断」を自分がすればいいのか?と。この人の人生を知らない自分がどうやって?


大変。

大変だから大人になる。


こうして、親子とはいえ「他人の人生を左右する判断」をする立場を経験することによって、“大人度”は一気にジャンプする。

「この人は何を望むだろう?」という他人の気持ちを、自分の気持ちとして理解するスキルが問われる。

思い入れが問われる。
責任が問われる。
説明責任が問われる。

自分の人生ではない。自分以外の誰かの人生に責任を負う。


ちきりんは親に関しては体験したが、子供に対しての体験はなく、大人度 60%。

ここが今の時点ですが、これから何があり得るのか?


最後のチャンスは「自分の死に方」を考える時だと思う。

「人生が終わる」ということをどう“飲み込んでいくのか”“納得していくのか”というのは、一定の大人度がないと難しい。

大人度のない人の死に方とは、他人を巻き込んで死ぬような人のことです。

自分だけでは人生を終わらせられない。

他人を巻き込んで勢いで死のうとして、それでも失敗すると生に執着を始める。

ほんと迷惑。


「あなたの人生はあと 4ヶ月です」と言われた時、自分がどう人生に向き合うか。

こういうことが用意できたら大人度は 20%アップ。

もちろん、ちきりんはまだ全然用意できてないです。

生きている意味と、死ぬという意味。

哲学的にではなくプラクティカルに、それはどう生きるという意味なのか。


先日、元プロ野球選手の桑田さんが言っていた。

「人間はいつ死ぬかわからないんです。それがいつかさえわからない。だから僕はすべてに全力投球をするんです。なんでも一生懸命やるんです。できないことでもできる限りの努力をしようと思うんです」って。

ああいう職業についていると、人間としての死期はまだ遠くても、“選手生命”の終末期を、普通の人の寿命と同じ重さで意識するんだと思う。

だから「死ぬ日に向けて、どう生きるべきか」という心構えができるんじゃないかな。


五体不満足の乙武さんや、エイズ禍の川田さん、彼らは 10代の頃から「死」と向かい合いながら生きてきたはず。

そしてその裏返しとしての「生きる意味」を意識してきたはず。

ああいう人の“大人度”には、普通の人は絶対追いつけない。16才くらいから大人度 70%みたいになってる人生だと思う。


★★★


まとめると、“大人度ゲージ”を高めるには、以下のステージをクリアする必要がある。


(1) 挫折期
(2) 社会遭遇期
(3) 人生の意味探索期
  (3)-a 前期(定規あり)
  (3)-b 後期(定規なし)
(4) 取捨選択期(もしくは、あきらめ期)
(5) 他人の人生への影響者時期
(6) ラストデイ準備期間



そんじゃー。


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